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al.ruku ー負けずにあるくー

脊柱靱帯骨化症を発症し、辛かった時、支えてくれた家族と友人たちへの感謝の気持ちを込めてここに綴ります。
そして「難病」についても発信し、みなさんに知って欲しいです。

母が突然に、
滋賀県に住む兄と、連絡が取れないと、言う。
ちょっと不安に思いながら、母に連絡を任せて、わたしはふだん通りに゙仕事を…。

そして1月末、
施設やケアマネジャーを介して、何とか、伯父の家族と連絡が取れて、病院が何処かが判明しました。
わたしも心配なので、一緒に面会に行く事としました。
ところが、病院側がコロナ感染で面会中止となり、
会う予定は、延びてしまいました。

2月末、やっと面会ができるようになったとの、連絡があった。
早速予定を立てて行こうとしたら、コロナで面会中止になってしまいました。
待つこと、1ヶ月…

やっと面会できることとなり、
3月、予定を合わせて母と二人で出かける事ができました。

南草津駅からタクシーで数分の距離。
平日の午後でしたが、午後診は無いのか、静かなロビーでした。
受付で聞くと、病室までの行き方をとても丁寧に教えてくれました。

病室は、大部屋でしたが、静かでした。
長く入院している割には、ベッド周りに何も無くて、寂しくて、母に、兄妹で撮った写真を持っていってもらいました。



写真でもあれば、誰とでもお話しするキッカケができるかな、と思ったので。

わたしが会ったのは、この一度だけでしたが、母は、2,3回、会いに出かけています。
この間、食事がチューブだったのが、口から食べられるようになったり、少しずつ話しもできるようになっていたり、快方に向かっているようでした。

病院から新しい施設へ移る話しもあって、安心していたんだけど、
7月、夜遅くに電話が鳴った!

母は、とても冷静に聞いていました。
わたしは、聞いてビックリだったけど。

新しく入る施設が、京都で、近いと思ったので、会いに行こうと決めていたけど、願いは叶わなかった。

今日は、お葬式。
身内だけのお式、と聞いていたけれど、
マンションの近くの式場だっただけに、マンションの人たちがたくさん来てくれてたみたいです。
叔父は凄い人だったんだね。

責任感あるけど、思いやりある人。

わたしも大好きでした。いつも笑顔で迎えてくれて、何を聞いても「いいよ、いいよ。」って。

わたしも介護の知識は頭にるけど、身体が使えず口ばっかりで、本当に、申し訳ない感じでした。

お骨入れの時、お顔がちょうど前を向いていて、一瞬笑顔が浮かんだ。
「また会えたなー」って言った?

担当の人が、全部お骨の説明してくれた。

脚は悪かったけど、骨がしっかりと残っていて、丈夫だったんだなーと。
歯も残っていて、見れてビックリ。

天国でも、美味しいものいっぱい食べてねー。

親族で寄せ書きをして、棺に入れました。

わたしは、今日来られなかった関西の従姉妹たちの代表として、従姉妹の名前も書いて、
「ありがとう」と書きました。