minto-mintoのブログ

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 今週末、孫と旅行に行く。

 コロナが収束してないので、本来、近郊じゃない予定

でいたが、私たち夫婦には同じ都道府県内の1泊2日の

小旅行にした。

 

 最初の孫の時、祖父母夫婦の私たちだけが同行して

の旅行形態だった。私の想いは、孫が祖父母について

きてくれるのがもう最後の年頃だろうという気持ちでの

旅。特に女の子だったので、祖父と外出してくれる機会

はしばらくの間は期待できない年頃に既に入っている。

 その時、丁度小学高6年生だったので、卒業旅行という

ことで、女の子だけを連れての旅だった。

 

 孫の方が勘違いしたか、親が他の孫を納得させるため

「貴方たちも小学校6年になったら、卒業旅行に連れていて

もらいなさい。」と言ってたらしい。

 

 今回は2番目の孫。

 神社仏閣で御朱印を集めているというので、そういう目的

のところを近場で選んだ。

 少し違うのかなと思うのは、最初の孫は自分一人でも行く

とのことで、親離れの第一歩にもなるなという想いのあった。

今回、2番目の孫は、「まだ親がいない状況で、じい・ばあ

だけと泊り旅行は無理だ」というので、母親付きでの小旅行

になった。

 最初の孫は女の子、今度の孫は男の子。小学校卒業時

の精神的な成長度は女の子の方が早いのかなという想い

と、一人でついてこれるようになってからで良いのにという

想いが私個人の中では交錯してしまう。

 思い出に残るように、ビジネスホテルではなく、もう少し

グレードの高いリゾートタイプのホテルを予約した。

 

 3番目の孫は小学校6年を基準にすると、2年後に控えて

いる。この孫君は、ゴジラや恐竜が好きなので、本人の好み

が変わらなければ、福井県の恐竜博物館をメインに考えて

1泊2日か2泊3日の小旅行を組む予定にしている。

さて、私たち夫婦だけの旅に一緒してくれるのか、2番目の

孫君と同じように母親付きになるのかどちらだろうと想像

するのも私には悪くないことのように思う。

 

 ちなみに男の子だと、妻の動向もなしに、私と孫だけという

組み合わせの小旅行でも良いのだが、妻は度々娘の家に

出向くので、孫にとっては顔なじみになっており、私だけだと

ハードルがさらに高くなるのだろう。

 

 

 

 私の人生のこれまでの中で「華やいだ」思い出で

振り返ることが出来るバレンタインDの記憶がない。

 

 これは寂しいことなのかもしれないし、だから、深い

つまづきがなかったという幸運に感謝すべきなのだ

ろうか。

 

 多くの女性に振り向いてもらえない、もてる男性では

なかったことは、謝った選択をせず、心騒がわしくなく、

自分が傷つくことがなく、女性の心を傷つけることもな

く、「おだやか」な人生だったのだと思う。

 修羅場に耐えるだけの精神力があったかどうかは

分からないが、煩わしいことが嫌いな性格から類推して

それほど強い人間だとは思われない。

 今更、下手な出会いなど「火傷」の元だ。

 

 開き直りではあるのだが、一生において、世の中の

すべてを経験することは出来ない。

 出会える女性、自分が携わることのことが出来る仕事

や職、住むことが出来る地、訪づれることできる国や

観光地、食べることが出来る料理などほとんど限りがある。

 

 そんなことを考えながら、この先も「おだやかに」過ごせ

る方が良い。娘からのチェコレートは既に昨日に食べてし

まった。

 結構、チョコレート好きなので、これから出掛けて、家族

で食べるチェコレートでも仕入れてくるとしよう。

 

 

 

 

 

 

男には秘密基地が欲しい!
男だけではなく、人には一人になれる

秘密基地が必要だ。

子供の頃、藪の中に、小さな隠れ家をつくって
自分の秘密基地にして、満足感を覚えていた

ことを思い出した。

熱海をぶらついていて、基地をみつけた。
これからは、熱海を訪づれた時の隠れ基地に

しよう。

それだけのことで、なぜかワクワクしてしまう。

 

 

 

 過去の写真をながめていたら、懐かしい写真を

発見しました。

 

 

 約10年前、第三ステージ、私の新たな人生を

出発するとき、写真の長い並木道の入口、写真

を撮影した場所に立った日を思い出しました。

 

 このSNSのプログ日記を書き始めた頃とも重なり

ます。最初の頃の記事にこの写真を使ったプログ

日記があるように思います。

 

 長い先の出口を見やりながら、第一歩を踏み出し

ました。今はこの並木道のどこまでたどり着いたのか

なのかと思いながらこの日記を書いています。 

 この前のプログで天橋立近くの智徳寺の文殊菩薩像

を紹介した。

 この11月の旅は奈良、京都、京都・宮津と渡り歩いた。

この旅で文殊菩薩像を拝観する機会が3回あった。

 最初は、奈良・不退寺、次に奈良・法華寺、そして最後

が天橋立の智徳寺の文殊菩薩。最後の智徳寺の文殊

菩薩は公開されていなかったので、実際に見ておらず、

写真も購入した図録を撮影したものである。

 

 仏像の中で個人的に好きな仏像は、知恵に係わる

仏像が好きであり、菩薩の中では文殊菩薩像、そして

4つの方角の守護者である四天王像の中では広目天

がとりわけ好きである。

 さて、前回のプログで文殊菩薩像に触れたついでで少し

文殊菩薩像について検索して、分かったことが幾つかある。

 

 ・法華寺で見た文殊菩薩は、お堂の左右に分かれて、右

奥に置かれており、文殊菩薩と向かいあう構図で正面を

維摩居士像が置かれていた。その維摩居士像が国宝だった

ことから向かい合う2つの像が強い印象で自分の中に残った。

 調べている途上で分かったことだが、仏教の中の維摩経に

おける問答教話の再現がこの維摩居士と文殊菩薩の対面

構図のいわれであり、「学問の研鑽、啓発」の象徴として扱わ

れているとのこと。

 

 ・智徳寺を鎌倉時代に再建・再興した僧として大和西大寺

の叡尊と紹介した。大和西大寺は真言律宗の総本山的な

存在で、その真言律宗の教義が文殊菩薩信仰、維摩経の

布教と密接な関係があるとのこと。叡尊が智徳寺の再建・

再興を行ったのは必然の関係だったのだと納得ができた。

 

 ・最後になるが、単独の文殊菩薩像の国宝指定された像

は国内に2躯だけある。安倍文殊院の文殊菩薩像と興福寺

・東金堂の文殊菩薩像。

 釈迦三尊像の左脇侍としての文殊菩薩の国宝指定像は他に

もあると思われる。

 

 文殊菩薩は、中国の五台山を霊場とし、五台山を聖地と

する菩薩。

 

 これで、旅に関するネタはほぼ使い果たしたと思う。

唯我独尊的な個人の思索についてはいくらでも書けるの

だが、客観的に読んでもらって構わないものはしばらくお休

みにすると思う。