院号とは


旦那の一族は院号が全てついている。私は不思議だった。なぜあまり経済的に裕福とは思えない旦那の一族が院号をもらえるのか。60万〜100万円以上はする院号が全てについている。


まあ、金のかけ方は家庭それぞれだしなと思っていたが、最近その理由がわかった。


ここからは、詐欺に近い話になる。法要の日に義父は「やはり妻にも院号をつけたい」と言ってきた。本人はいらないと言っていたが、義父は「家族みんなついてるし、1人だけ3文字だと寂しい」という。


すると住職は渋い顔をした。そして、仕方なく話し始めた。


「本当に申し訳ないのですが、20年前に亡くなったお父様とお母様は大変お寺に貢献してくださったので特別にお布施していただいた料金でやった院号です。しかし、本部の総本山の届出はしていません。私のお寺独自で発行した物だと思われます。本山に届けると私どもの手取りが無くなるので。しかし、これは違反なんです。もしこれがバレたら、私どもは大変です。だから、私の代では決してしません。本当に申し訳ない。もし、されるなら本山に正式に届けを出しますのでかなり値段が上がります。20年前のようにはいきません」


要は、院号は本物じゃないって事だ。なるほどねー。おかしいと思った。


ブランドのパクリ商品に近いな。そんな院号なんて逆にいらんし、安っぽい。


だいたい我が家の宗派は、どんな人でも南無阿弥陀で極楽浄土にいけるのが売りの宗派だ。なんで院号であの世の格が上がるんや…。


それでも義父は悩んでいる。本当に正規の値段を払えるのか??まあ、義母の交通事故の示談金でも使えば、楽勝だろうけど。半分、義父の見栄じゃないか??と感じる。


ただ、そこは義父の気持ちなので私は口は出さない。しかし、義母本人が「院号いらない」って遺言残してんだから、要らないんじゃない?とは思う。


まあ、院号自体が見栄かもな。ふと、歴史の時間に習ったキリスト教の免罪符を思い出す。あれは確かお金さえ払えば現世の償いを免除してくれるものだった。そして、キリスト教会は腐敗して宗教改革が起こる。


どの時代でも人間って変わんないんだなーっと薄ら思いながら、遠目で住職と義父の話し合いを見ていた私である。