本日、祖父の法事でした。昨年、コロナの中で、自宅で最後を見取りました。
よく「最後は自宅で」と言いますが、体験した母やそばで見ていた私の感想としては、壮絶です。
正直、臨終間際の体験はしたことがないので、本人しかわかりませんが、やはり苦しそうなのです。
病院の強い麻酔を使えないのかうめき声が聞こえます。うめき声が夜中に家中をひびき渡り、耳を塞ぎたくなったそうです。
おばさんは、今年の1月まで思い出して寝られなかったそうです。私も、祖父の死の直後は、寝られない日もありました。
ホスピスに入ったら、家族の面会コロナで出来なかったので、この選択でした。
身近な人であればあるほど、看取る家族は病むものです。病院の方が家族の負担はやはり少ない。
1年後の法事。残念ながらコロナは、今も続いています。1年経って、おばさんは時々思い出して泣く事はあるけど、なんとか前を向いていけるようになったと話してくれました。
私は、元気だった祖父の写真を見せて「あの時は元気で若々しかったね」と喜んでました。
この年齢になって、お葬式や法事は家族のためにあるのだと改めて痛感します。
宗教なんて必要ないと思えなくなりました。人の心は、案外もろい。何かに頼りたくなる心は、甘えでもなく、当然のような気がします。
もちろん、人の人生を踏みにじったり、相手に迷惑をかける宗教は、嫌ですけどね。
お坊さんの話を聞いて「死は誰も体験した事はありません。でも、辛いと思わないでください。始まりの世界なんです」と言ってました。
「死んだら無に決まってる」と言われるより私は救いでした。
親戚が集まり、お坊さんの話を聞き、美味しいものものを食べて、お爺ちゃんの話をしながら、心の傷を癒していくのが「法事」と私は思っています。
辛かったですが、この体験は私にとって「死」を具体的に初めて教えてくれた出来事でした。