先日、交通事故の示談が終わった。丸4年。長かったなぁ。この4年でいろんな事を学べた気がする。

交通事故は、被害者、加害者双方が不幸になること。車を運転する立場でもある私は、ハンドルを握る責任も考えさせられた。

その後の義母の介護。ここに関しては、正直病院のスタッフにお任せなので私は何もしてないけど、そういう仕事に従事している人たちの有難さもわかった。

義父のお金の管理のずさんさと使い込みもあった。700万という義母の貯金を1年半で使ってしまった義父。言い訳を繰り返し、最終的に逆ギレという情けない義父だが、結局お金の管理は義父のままになった。今は、もうどうでもいいと諦めている。

義父の生活は今も変わらない。あいかわらず飲み屋に入りびたり、旅行へ行き、好きなお酒を飲んでいる。使い込みをしているのはあきらかだが、義母が病院代だけ確保してもらえればいい。もともと年金だけで、義母の入院費は賄えるしね。

唯一の救いは、娘たちが義母の病院に行って「お婆ちゃん」と笑いかけることぐらいかな。娘たちは、赤ちゃんの時から通っているので重症な介護のお年寄りを全く怖がらない。恐らく私が子供の時は怖がって近寄れなかっただろうなというお年寄りもアヤちゃんはニコニコ笑いかける。

大きな声で叫び出す人。人形に話しかける人。義母のように自分が何者か忘れてしまった人。

老いるというのは、こういうことかと改めて教えてもらった場所。こういう場所で娘が学ばせてもらっていることは大きいような気がする。

生まれたばかりの子供たちと、言葉は悪いが死に近づくお年寄りの最後の場所。「生と死は一体」と「もののけ姫」のセリフで出てきたけど、まさしくこういう事なのかなと。

元気で生きていける時間は一瞬なのかも知れない。義母の交通事故で改めて日常のありがたさを教えてもらった。

これから何年義母はここで生きるんだろう。生きてほしいような、このまま病院のベッドで死ぬまで離れなれない生活が幸せなのか答えは出ない。

だけど、生きている間は娘たちの顔を見せてあげようと思う。それが唯一、義母にしてあげられることだから。