私の生まれる前から近所に、大小のお地蔵様が2体いた。子供の頃は、竹藪のすぐそばにあり、なんとなく不気味な場所だったので、怖いという印象しかない。空気もなんとなく淀んでいる感じだった。

近所の住人や子供たちは、お化けが出そうな場所にはほとんど近づかなかったが、私の祖母だけが熱心にそのお地蔵様によく手を合わせていた。

私はよく祖母に付き合わされ、お地蔵様に手を合わせていたが、正直怖くて早くその場を離れたくて仕方がなかった思い出がある。

祖母はなんでこの竹藪のお地蔵様に熱心に手を合わすのだろう…。子供心に不思議だった。

その後、母からその訳を聞かされる。

このお地蔵様は、祖母の姉とその子供の鎮魂のためのお地蔵様だった。実は、戦後すぐに祖母の姉は、嫁ぎ先の義父が戦争に負けたショックでお嫁さんと子供を殺し、自決したという殺人事件を起こしている。当時の地元の新聞にも載り、ちょっとした騒ぎになったらしい。

被害者側だったが、この事件で祖母の縁談は随分破断になり、地主の裕福な娘の祖母がなぜ実家が貧乏な祖父とお見合いしたかその時合点がいった。

さて、話を現代に戻す。このお地蔵様2体は今もある。竹藪はすっかり切り倒され、明るい場所に今はいる。(聞いた話だと祖母が竹藪を切ってくれと市に陳情したらしい)

実家に帰った時、ここを通って近所の神社に娘を連れて遊びに行くのだが(滑り台と遊具があるので)、そこを通る時は必ずお地蔵様に手を合わせるようにしている。

昔より竹藪もなくなり、明るい場所にたっているが、不思議なことに娘は「ここは、怖い」という。もちろん3歳の子供にそんな不幸な過去の話は一度もした事がない。

それでも娘は「ここは、怖い。行くの嫌だ」とさっさと帰ろうとするので、淀んだ怖い空気はいまだにあるんだなと思う。私も子供の頃は、ひたすら怖かったから子供の方が感じやすいのかも…。

怖がる娘をよそに私は、強引にそこに行きさっさと手を合わせてその場を後にする。そこまでして、手を合わせる理由は、なんとなく祖母の遺言のような気がするからだ。

考えてみれば可哀想なお地蔵様だ。理不尽に殺され、誰も近寄らない竹藪にひっそりと建てられ、祖母が亡くなった後は手を合わせる人もほとんどいない。

私の父や母でも手を合わせない。すっかり親戚の中では過去の昔話だが、私が1番この場所で祖母と一緒に手を合わせたので、祖母の思いを受け継いであげようという気持ちの方が強い。

祖母は、暗く湿った竹藪の中の姉のお地蔵様を解放してあげた。今度は、淀んだ空気を私が手を合わせることで、身の程知らずだが、取り払ってあげたい。

祖母が熱心に拝んだ親子のお地蔵様。まだ娘が怖がるということは、魂が鎮魂してないのかもしれない。「安らかに眠ってください、忘れないようにしますから」と思いながら、時々手を合わすお地蔵様なのである。