この世に生まれて初めて10と12の最小公倍数の年を迎えた今年。そしてまもなく赤いちゃんちゃんこをまとわねばならないのはまっぴらごめんである。
そうしたことがきっかけでもないのだろうが、ここんとこ、昔のことを思い出して今と比べることがある。幼い頃、親から聞いて直に信じ続けていたこと、真偽はともかく、耳学問で得た知識、変わってしまった常識、あのころあって今ないものなど…

バスや電車が大人1区間30円でバス(大阪市バス→のシティバス)の回数券は100円で5円券の21枚綴り、タクシーは初乗り100円、個人タクシーはなぜか90円だった。
当時は大阪の守口に住んでいて、両親の故郷である倉敷まで、大人運賃800円急行券200円。急行で2時間59分の旅だった、
倉敷には当時特急がとまらなかったので、特急は嫌いだった。また急行でも岡山から宇野線に入る「鷲羽」は本数が多いのに乗り換えせねばならないので嫌いだった。
ついでに言うと、住んでいた家の最寄り駅「滝井」は各停しかとまらなかったので、守口まで止まらず、複々線をいいことに関目あたりでこれ見よがしに追い抜いていく区間急行が大嫌いだった。
駅の切符売り場には人がいて、ガラスの真ん中に丸いぶつぶつの開いた窓口だった。京阪はペラペラの紙券で切り取り線を切り取って売ってくれてた。普段は定期だが、切符を持つと手遊びしてしまい、たった数駅で切符がぐちょぐちょになった。その点国鉄は硬券なので、数時間ぐちょぐちょになることはなかった。真ん中でパキッ折ってしまうことはあったが…

母親の買い物についていく千林商店街は庭のようなものだった。駅前の主婦の店、深田書店、とりやまの八百屋、力餅のおはぎとうどんはどれもよくいく店。加藤茶店はドリフ全盛の当時、誰かが「加藤茶や」っていう声が聞こえてきた。商店街入り口にあるクレジットデパート井野屋は今でも謎だ。いつも食卓に並んでいた魚はニチイの手前の露天商で、我が家では通称「明石のさかなや」であったが、後に伊勢から鮮魚列車で売りにきていることが判明。全く遜色はないのに、だまされた気持ちになったものだ。
駅前の主婦の店は奥にある千林セントラルという成人映画専門館がダイエーに変わるまで駅前の賑わいを独占してた。2階が卓球場で、中学時代はそこでよく卓球をした。クラスメートで卓球部の大水がむちゃくちゃうまくて、彼の手ほどきでマイラケットまで買ってしまった。

うどん屋はあちこちにあった。ごく近所に2軒あって、田舎そばとだるま屋。うちは田舎そば専門だった。父曰く「だるま屋はマズイ。犯罪者が食べる食べ物や」といっていたが、今となればもちろん嘘だとわかる。どんな味かはいまだに知らないし、店はとっくになくなってしまった。また父は「うどんに甘いあげはおかしい。天ぷらが一番や」と言っていて、ほんのつい最近まできつねうどんは知らず知らずのうちに避けていた。
中学になるとクラスメートの谷垣内の家がうどん屋だったので、そちらに切り替えた。谷垣内のうどんは本当にうまかった。

小学校は越境していた。守口から大阪市立の集英小学校まで通っていたのだが、今から思うと小学生にしては当時めずらしい電車通学でなかなかの距離を通っていたと思う。ただ、小学校入学の前年、京阪が天満橋から淀屋橋まで延伸し、開業したての北浜駅からは歩いて5分なので、危険はなかったと思う。それに父も僕の小学校入学に合わせて天満橋の大手前高校に転勤になった(偶然ではないのかもしれない)ので、朝は一緒にでかけることも多かった。
当時大人はみなホーム上でたばこを吸っていて、地面が灰皿だった。僕はそれを線路に遠く蹴り出すのが面白く、吸い殻の多く落ちてる日は朝からご機嫌だったのを覚えている。

吸い殻で汚染の話を思い出した。キャッチボールするのには淀川の堤防が抜群だったので、しょっちゅう行ったが、手前に城東運河はいつもメタンガスがボコボコ上がる泥の川だった。また小学校の近くには中之島があって、運動場の狭いうちの学校は剣崎公園で運動会をやっていた。堂島川、土佐堀川、東横堀川はどれも異様な臭いを発していて、橋の上にはいつもルンペン(小学校では乞食ではなくルンペンと教えられた)がドウドウ巡りしていた。
琵琶湖の遊覧船に乗った時、船の中の大量のごみを琵琶湖に投棄しているのを見かけた。父に「ゴミ棄てたらあかんよね」と言ったら「ホンマはあかんけど、めちゃくちゃ広いから浄化される」という説明を受けた。これも後年まで無条件で信じていたことだ。

すはまだんごは僕の生涯の天敵である。小さい頃、おやつによくこの団子が出てきた。楊枝くらいの串にくすんだ三色の団子がつきささっている。きな粉のような味と人はいうが、とんでもない。口に入れたとたん、そのおそろしく不味い食感に顔が歪み、頭痛と吐き気に襲われる。次の瞬間、気づけば吐き出してしまっているという代物だ。このようなものが世の中になぜ生み出されたのか不思議である。
しかし、両親は二人の思い出とか称して太子橋の「おきなや」でよく買ってきた。おいしいから食べなさいという母の言葉を呪いながら、その発生源の「おきなや」も呪ったが、小学校3年の時にはすでにつぶれてたと思う。それからは家で見かけることはなくなった。
大学時代、後輩の高橋がわざわざお菓子屋で団子にする前の状態のものをたらこ状に成型して「最近見つけたうまいもの」として僕をだました。卒業コンパの時の話だ。
あの時久しぶりに味わった吐き気を一生忘れない(笑)。

思い付きのまま書き連ねてみた。本当に書きたかったことはついに書かずじまいだったな。
偶然とは、辞書によると「他のものとの因果関係がはっきりせず、予期できないような仕方で物事が起こること。」となっている。そう書くと、さもめずらしいというイメージができるし、恋愛小説などでも「偶然出会った君と恋に堕ちた」というフレーズからは、少なくとも1000分の1くらいのロマンスを含んでいるだろう。

ところが、偶然の偶は偶数の偶でもある。となると数学的に漢字を解釈すると2分の1の確率ということになるのではなかろうか。

また、偶という文字は「たま」と読む。たまに行くとは「偶に行く」と書くわけで、これまた数学的漢字解釈では2回に1回行くという解釈になる。もうこれはたまにというよりしょっちゅうではないだろうか。

さらにたまたまとなるとどうだろう。偶々なのだから2分の1×2分の1で4分の1ということになろうか。

偶数に対して奇数も「奇なる数」…奇とは不思議という意味があるが、英語で奇数をあらわすoddという単語にも奇妙なという意味がある。2で割り切れないということは数字的には2分の1の確率で存在するのに、不思議で奇妙な現象なのだろうか。

と馬鹿なことを夏の夜の縁側でぼーっと考えていた。
ペダンティストの末路

あらためて自分の無知ぶりをさらけだしてみる。

最近知ったこと。
果汁100パーセントは濃縮した果汁を還元しての100パーセントやった。
そうだろうとは思ってたけど、それなら果汁200パーセントも存在してもいいはず。

せめて200ミリリットルの飲料なら、果汁200ミリリットル相当分使用とかにしてもらいたいものだ。

本当に混じり気なし、足し引きゼロで水分たっぷりの重たーい果汁を、正直に丸ごと詰めてるジュースは偉いと思う。でも、そういうのに限ってさらに重たいガラス瓶に入ってたりするのでいとおかし。

ところで、誰かの漫才ネタでもみたことあるけど、コカコーラピーチ無果汁とかトロピカーナエッセンシャル果汁20パーセントとか、果汁をないがしろにしすぎじゃないだろうか。
少なくとも果汁ゼロで果物の名を語るのはあかんと思う。
世の中にはそういうのよくあるけど、わくわくしておもちゃ買ったのに電池別売りやったみたいな落胆した気持ちになるね。

ちなみにこれもアホをさらけだすが、パーセントのセントは1ドルの100分の1のセントで、メートルの100分の1センチメートルのセンチなんやね。

鉄道勾配率を表すパーミル(‰)を見た時に、ミリが1000分の1で、セントが100分の1って閃かせてくれたよ。