子供って大きくなるとなかなか本当のことをお母さんに話してくれない。
お母さんに心配かけたくないっていう気持ちと、
心配されると面倒だっていう気持ちと両方だと思う。
心配のせいで余計なことを言われたりされたりするのは子供にとっては
自分の起こっている心配ごとより厄介なのだろう。
だけど、やっぱり親に話していた方が安心と思う時もあって、
時々ほんのたまに親に話す時もある。
そうすると母はそんなの日常茶飯事で起こっているけどいつもは知らないだけなのに、
いつもは相当穏やかな日常を子供が送っているものと思っているからか、
そんな大変な事態になっているのかという大変な誤解をしてしまい、
どうやってそこから子供を救おうかなどとさえ考えてしまう、
子供は親に話したことで案外すっきりしてもうその心配ごとの9割は解決してるのに、
母親はそこから心配で眠れなかったり、ママ友に話して学校に相談した方がいいかなとか、
大袈裟な方へ事を運んでいこうとする。
・・これはいつもの私のことである。
そして今日もそんな日常茶飯事で起こっているであろう些細な話が、
私にはとてつもない大事件に聞こえ、心配で動悸がしてしまった。
・・だけど、動悸がするほど心配することほど子供にとって迷惑なことはないと、
息子を14年育ててきて14年目にようやく思うことが出来る母になった。
でも、本当にそこに問題がないのかどうかだけは見守っていなくてはいけないけれど。
だいたいのことは時間が解決してくれる。
というか子供はそもそも母がそれは大変と思ってしまった出来ごとの話は、
たいした問題と思っていないから母にしゃべっているのだと思う。
だってそもそも子供は親に心配をかけるのが嫌いだから。
そういうことを子供に何か余計な言葉かけをする前に気がつけるようになった。
14年も経ってようやく・・です。
本当に私は子供を一人しか育てていないけれど、
子供を育てるっていうのはとても難しいことだなと思います。
子供は一人の人間で人権があってその道は子供自身のものですが、
その子供自身の道が幸せであれと思えば思うほど、
親は余計な心配をして余計な手を貸してしまいがちです。
責任を感じるから。
自分がそう育ててしまったんだと思うといたたまれない気持ちになるから。
自分の心を守るためなんですね、結局。
でも、子供は親が躾けたようにすべて育つわけじゃなくって、
保育園へ通ったり、幼稚園へ通ったり、学校へ行って、
おじいちゃん、おばあちゃんに会って、
いろんな環境に触れて育っていて、
母一人の影響が一番強いのはもちろんですが、
それだけがすべてで育つわけではないってこと、
息子を見ていると本当にそう思います。
私の失敗してしまった子育ての中からでさえも、
彼は彼なりに自分を守る手段を学び、
正しさと過ちを彼は私が教えそびれても彼自身で学んでいることが
たくさんあるのです。
息子を見ていると、
子供ってすごいな。
って思います。
子供って一人でどんどんいろんなことを学んで育っていくからです。
親がしてあげられることって愛情を与えてあげることくらいしかないのかなって。
後は全部自分で吸収して学んでいって自分ってものを確立していくんだなって。
もちろん、家庭の中にありふれた愛情があるっていうことが絶対的に必要です。
愛情を送っているだけで後はどんどん自分からいろんなことを考えて行動して、
間違ったらそれは二度としないと学び、褒められたらまた頑張ろうと思い、
こんな時代の中でも子供っていうのは将来に光を見て生きています。
息子はいつも地球温暖化や自然災害などのことについて、
僕の将来は大丈夫かなって心配します。
もう中年と呼ばれる年齢になった私にはここまで生きられたから
この先がどうなってしまっても時間に任せるしかないなんて思える。
でも、子供はこれからを生きることに希望だけを持っている。
だから大人もこの子供たちの未来を守っていかなくちゃいけないんだって
つくづく輝いている息子の瞳を見るたびに思います。
私も何が起きても仕方ないなんて言ってないで
まだまだ将来に夢を持って生きなければと
息子に教えられるこの頃です。
桜 歩美