
自分が騙されている、嘘をつかれているということを知っても
自分は、すぐには騙されている自分を受け入れようとしないもの。

それは相手を信じているからだ、と言えば前向きだし聞こえはいいけど
詰まるところ、相手を信じているというより、自分は騙されてなどいないと信じたいだけの話で
防衛本能が、自分にとっての不都合な現実に蓋をしてしまうんですよね

でも、その蓋が、金属などではなく、雪だとしたら、

雪の蓋に覆われた自分は、
決して悪くもないと思える……

Bank Band『はるまついぶき』は、雪に閉ざされたまま春を待つように、
冷え切った心に小さな希望の芽を見いだす歌だと感じます

信じていた相手につかれた大きな嘘とか
大事な人を失った孤独とか

怒りや苦しみが金属の扉に反響するような狂おしい孤独感は過ぎ去り
悲しみだけが残り
自分の身体ぜんぶが、指先からつま先まで悲しみで凍てついているような
耐えるしかない孤独に陥る

自分の手足なのに、自分では動かしようのないまま、
季節が変わるのを待つようにして、動かない自分にも自然と熱が通うのを待っている

「心に佇んでいる寂しさ」
「それすら確かな愛の姿と」
「自分にそう言い聞かせながら」
「想いを守っている」
という歌詞から、記事冒頭の嘘と防衛本能の相関関係が思い浮かんだんです

想いを守った人に、いつか雪解けの笑顔が訪れるようにという願いが
「春待つ息吹」という表現に込められている気がします

雪の蓋なら悪くもないと思うのは、
それが春には溶けてなくなって、守った想いがその相手に通じるから――ではなく
春まで待てば、それまで想いを守り続ければ、
春になり、雪の蓋が溶けて拓ける大地には、
同じ冬を越え、想いを守り続けた息吹がぽつぽつと姿を現し
そこに想いを守った者同士の新しい出会いが生まれるような気がするから――なんです

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Bank Band
『はるまついぶき』
作詞:櫻井和寿
作曲:小林武史
アルバム『沿志奏逢2』収録
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