歌詞には、色んな展開がありますね~(≧∀≦)
Mr.Children『Forever』は
「自暴自棄になるほど」ではないけれど、そうなりかねないくらいの絶望感を
受付窓口の締切のような事務的な断絶に似せて表現した1コーラス目の歌詞だけで…
じゅうぶん唄になるように思います
でも、2コーラス目に入ると、「僕」は「もういいや」という投げやりな心情から少しずつ脱却し、、、
失った恋愛に対しての肯定を始めるような展開を見せます

恋人同士には似た者同士なところがあるけれど
それは
「近づきたくて真似た」からだという発想
「本当はお互い頑張ってた」という肯定

「近づきたくて真似」して頑張ったから、結果、二人は似通ったんだとしたら
そんな恋愛は、今では締め切られた窓口の向こうで、手の届かないものになっているのだとしても、、、
愛しく思わずにいられないですよね(≧∀≦)

放置しておいても、自然とそうなる状態を表すときに「ともすれば」って言葉をつかいます
「君」への想いは、放置しておいても、自然と自分を変えていくくらいに、ずっと当たり前に、そこにあるものだったと唄ったあとだからこそ

「どうすれば」
「どうすれば」
「君のいない景色を当たり前と思えんだろう」
という寂寞の心情を吐露する歌詞は、より一層、聴き手の心をとらえるのでしょう
Forever、ともすれば、そういえば、どうすれば、今思えば・・・
ミスチル初期の曲には、はっきりそれと分かるように韻を踏む技巧が用いられており、この曲でもその技巧は踏襲されています
しかし、もはや、韻を踏むなんて技巧を誉めることすら稚拙な評価に思えるくらい、近年の桜井さんの歌詞においては、
言葉の意味の関連付けがしっかりなされていて、
韻は遊び心程度に感じられます
最初は自己陶酔に過ぎなかった「Forever」
でも、「ともすれば」「自分をどうにだって変えていけ」るほどに、いつも自分の中にあった強い恋心を認めるに至り
「そういえば」「君の好きな僕を演じる」ことすら、もう今は「演技じゃない」と言い切れる
だからこそ「どうすれば」「どうすれば」「君のいない景色を当たり前と思えんだろう」……いや、思えるわけがないと気づき…
「Forever」なんて「甘いフレーズ」だけど、それを「まだ信じていたい」という肯定にたどり着いて・・・
「そういえば」「今思えば」
「僕らの周りにいくつもの愛が」
「いつもあったよ」


終わった恋という現実の向こうに、永遠に失われることのない価値を見いだして、唄が終わるように感じます・・・

ラブソングに『Forever』なんて、言い尽くされた言葉かもしれないけど
忘れていた大切なことを思い出すときの「そういえば」というフレーズに重ねて
深みのある「Forever」が差し出されたという気がします(≧∀≦)
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Mr.Children
『Forever』
作詞作曲:桜井和寿
アルバム『SENSE』収録
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