日本全国ぶらり街道一人旅

日本全国ぶらり街道一人旅

タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

 

  

島田川沿いを進み米川駅を過ぎると「差川十字路」となる、真っすぐ行く道が街道かと思い

進んだが何か違うような気がするので、再度地図を確かめると、差川十字路の所で右に

行かねばならなかった、慌てて引き返し旧道に復帰、坂道を登った右手に石仏群がある

ここは道が左下に行く道と右に登って行く道に分かれている、左下の道が旧道らしいのだが

途中で行けなくなるとの情報を得ていたので右の新道を行く、丸子坂から中山峠へ至る道である

 

  

登って行くと「中山峠」の頂上に「従是東玖珂郡」、「従是西熊毛郡」と書かれた郡境碑がある

「周南市」と「岩国市」の市境にあたる、中山峠から下って行くと、右下に案山子のような

人形が椅子に座っているのが見える、「はだし天国サーキット」とあるので近くにサーキット場

があるらしい、「中山道踏切」を越え、左折して線路沿いを進み今市宿に向かう

 

    高水神社の常夜灯がある、そしてしばらく行くと右手に「高水村塾之址碑」がある、その横の

高台にあるのが「正覚寺」今市宿の脇本陣を勤めていた、この辺りに今市一里塚があったようだ

左の石垣前に芭蕉句碑がある、「ほろほろと山吹き散るか滝の音」

 

    

今市宿に入る、街道両側に民家が建並び今市宿の町並みが広がる、荒神社を過ぎ跨線橋で

岩徳線を越え、高水駅を越えて行く、今日は徳山17:55発の新幹線で帰るつもりなので

どこまで行けるか、現在14時、17時には徳山に付いていなければならない岩徳線の本数が

少ないので後1駅が限界か

 

高水駅を過ぎると呼坂宿になる、「寺嶋忠三郎誕生の地」「寺嶋忠三郎松蔭訣別地の碑」は

共に見落とした、寺嶋忠三郎は維新の志士で16歳で松下村塾に入り松陰の弟子となった

禁門の変のとき久坂玄瑞とともに22歳で自刃した

 

  

西町からすぐの坂を上がると呼坂宿の名前の起源となったという古市という集落となる

古市坂は欽明寺坂、中山峠とともに交通の難所の一つだった、岩徳線は古市の下を

通り抜けて勝間へと続いている、街道は下り坂になり、国道に突き当りそうになるが

国道手前で直角に左に曲り、山間の道を進んで踏切を渡り国道を左へ少し進んで

歩道橋の所で、左手へ入って行く勝馬駅はすぐそこだ、もう2~3駅は行っておきたかったが

今日はここで終わることにした