「人生まるごと原理講論」(2018.07.14)
にほんブログ村「人生まるごと原理講論」(2018.07.14)神のすべての( )に備えられている( )と( )において、その( )の中心がその( )にあるので、( )と( )の( )の中心も、やはりその( )にある。しかるに、その( )の( )な中心は( )であるので、その( )の( )な中心もまた( )である。それゆえに、神の( )が( )を造成して、それらの( )の中心が( )を中心として( )になり、( )をすることによって、( )を完成するとき、初めて、( )が( )できるのである。したがって、( )の( )な中心は( )である。このように、( )を完成した各個の被造物を( )という。しかるに、上述したように、この( )は、( )(人間)と、( )(人間以外の被造物)とに大別される。( )は無数の( )によって構成されているが、その低級なものから高級なものに至るまで、段階的に( )として連結されている。その中で人間は、( )の( )として存在している。そうして( )は、すべて( )をしており、低級な( )は、より高級な( )の対象となるので、この対象の( )の中心は、いま一つ( )にあってその主体となっている( )なのである。このように、数多くの( )の中心は( )なものから、より( )なものへと、だんだん上位に( )され、その最終的な中心は、( )である人間となるのである。(原理講論P.58-59)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆神のすべての(実体対象)に備えられている(主体)と(対象)において、その(対象)の中心がその(主体)にあるので、(主体)と(対象)の(合性体)の中心も、やはりその(主体)にある。しかるに、その(主体)の(究極的)な中心は(神)であるので、その(合性体)の(究極的)な中心もまた(神)である。それゆえに、神の(三対象)が(相対基準)を造成して、それらの(三つ)の中心が(神)を中心として(一つ)になり、(授受作用)をすることによって、(三対象目的)を完成するとき、初めて、(四位基台)が(完成)できるのである。したがって、(四位基台)の(究極的)な中心は(神)である。このように、(四位基台)を完成した各個の被造物を(個性真理体)という。しかるに、上述したように、この(個性真理体)は、(形象的個性真理体)(人間)と、(象徴的個性真理体)(人間以外の被造物)とに大別される。(被造世界)は無数の(個性真理体)によって構成されているが、その低級なものから高級なものに至るまで、段階的に(秩序整然)として連結されている。その中で人間は、(最高級)の(個性真理体)として存在しているそうして(個性真理体)は、すべて(球形運動)をしており、低級な(個性真理体)は、より高級な(個性真理体)の対象となるので、この対象の(球形運動)の中心は、いま一つ(高級位)にあってその主体となっている(個性真理体)なのである。このように、数多くの(象徴的個性真理体)の中心は(低級)なものから、より(高級)なものへと、だんだん上位に(連結)され、その最終的な中心は、(形象的個性真理体)である人間となるのである。(原理講論P.58-59)