原発事故以来、原発推進・容認の立場でいろいろと発言してきた。
で、ちょっと別の角度から考えてみる。
地球上に、もし「人間」という生物が存在しなかったら、どうなっていただろうか?
地球上で「火」を使うことが出来る生物は人間以外には発見されていない。道具を使う生物はいても、火は使えない。人間は有史以前から火を使っている。
人間はどう考えても、弱弱しい生物だ。弱肉強食の自然淘汰によって、絶滅していても全然おかしくない。
鋭い牙や爪もない。一撃で相手を殺せるほどの腕力も無い。めちゃくちゃに逃げ足が速いわけでもない。体を甲羅で覆っているわけでもない。寒さや怪我を防ぐ毛すら生えていない。頭と生殖器は特別大切だから毛が生えるが。99%が弱肉として強食の動物に食われても、運よく生き残った1%で種を保存できるほど多産でもない。
ただ、地球上の他の生物に比べて異常に知能が発達し、道具を使い、火を使うようになった。そのおかげで、種を保存し、寒いところ・暑いところを問わず生息域を拡大し、繁栄することができた。世界の人口は70億人を超えた。
はじめは、火山の噴火や自然発火の山火事で火がついた木の枝とかを恐る恐る拾ってみたんだろうな。他の動物が火から逃げるのを見て、自分の身を守るために使えることに気づいたのかな。
あるいは、山火事で焼けた木の実とか動物の焼死体を食べてみて、生で食べるより美味いと気づいたのか。
いずれにしろ、人間は火を使うことが出来た。やがて自力で発火する道具も発明した。この時点で既に人間は「不自然な生き物」になったのではないか。
しばらくは、つつましく火を使っていた。枯れ木を集めて火をつけておけば、他の動物を寄せ付けない・夜も明るい・食べ物を焼いたり煮たりすると美味しいし、殺菌にもなって安全。弱弱しい生物である人間は、火によって種を保存し、絶滅を免れたのではないか。
やがて文明が芽生え、石炭や石油などの化石燃料を利用したもっと強くて便利な火を使うようになった。鉱石を溶かして精製し、青銅や鉄で強力な武器や便利な道具を作るようになった。安定した照明として使える灯油ランプ、冬の寒さをしのぐ石炭・石油ストーブも作った。
石炭・石油など化石燃料は、人間がいたから燃料として利用されたが、人間がいなければ地中に埋もれたままだったはずだ。まさに「化石」として。今も、天然ガス・メタンハイドレート・シェールガスなど、新しい天然の燃料資源が見つかっている。考えてみれば、不思議なことではないか?人間というただ一種類の生物だけが利用できる「火」の燃料が、どうしてこんなに都合よく地球に存在するのか?僕は無神論者であり無宗教だが、もし神様がこの世の万物を創造したのであれば、いかにも「ほら人間ども、お前たちに使わせるために燃料を作っておいてやったぞ。文明と技術の発達に合わせて、必要な燃料を掘り出し、火を使って繁栄しなさい」と言っているようなものだ。偶然にしては出来過ぎている。
でもまあ、ここまでは、火を熱源・光源としてそのまま利用していた。ここで止まっていたら良かったのかも知れない。例えばアーミッシュの人々のように。
1769年にワットが蒸気機関を発明し、産業革命を起こした。ここからが問題だ。
蒸気機関は、燃料を燃やす(熱エネルギー)→水を沸騰させて水蒸気を得る(蒸気エネルギー)→ピストンやタービンを回す(機械エネルギー)→ワイヤーを巻き取れば重いものを動かせる・動輪を回せば機関車が走る・水車を回せば船が動く。
人間は火の熱エネルギーをもっと便利に利用する「エネルギーの変換技術」を手に入れた。ここから加速度的に産業・技術・文明が発達した。
一方で、人間は電気を発見し、電気の力=電力エネルギーを使った便利な道具を発明した。例えばエジソンの白熱電球。
電力エネルギーは自然界には雷とか電気ウナギのような静電気といった形でしか存在しない。人間が意図的に「発電」しなければ、エネルギーとして使い物になる電力は存在しない。地中にどんな深い穴を掘っても、電力は出てこない。電力を利用するという点でも、人間は「不自然な生き物」であるといえる。
電力を得るために、発電設備を作った。最初は水力発電のみ。火は関係なかった。
世界で最初に水力発電が行われたのは1878年で、イギリスのウィリアム・アームストロングの屋敷、クラックサイドに電気を引くためのデブドンダム(高さ10m、発電量4kw)が最初である。
しかし、水力発電設備は、ダムを作る初期投資が高額なこと、立地場所が限定されること、発電容量が立地場所の条件で決まってしまうこと、などの短所があった。
ここで火と電力が結びつく。
上記の蒸気機関を使って発電機を回せば、発電できる。ダムを作るほどの初期投資は必要ない、基本的に立地場所に制限が無い、大型化すればそれだけ発電容量が大きくなる。水力と違って燃料代がかかるが、それでも長所が多い。
火力発電の時代が始まった。
石炭・石油などの燃料を燃やす(熱エネルギー)→水を沸騰させて水蒸気を得る(蒸気エネルギー)→タービンを回す(機械エネルギー)→発電機を回して発電する(電力エネルギー)
→が一つ進むたびに、どうしても「損失」が出る。熱エネルギーの半分も電力エネルギーに出来ない。エネルギーの変換効率を上げるのは難しい。
電力エネルギーを増やすには、大元の熱エネルギーを大きくするしかない。火力発電はどんどん大型化・高温化する。
そしてたどり着いたのが、原子力という「究極の火」である。それまでの火とは比較にならない程の大きく強い火である。
石炭や石油などの化石燃料は、そのまま火をつければ燃える天然の燃料=熱源である。原子力は、天然のウランやトリウムを精製加工し、核反応を起こすようにコントロールしなければならない。しかも、その燃えカスには自然界に存在しないプルトニウムなどの物質が含まれる。放射性廃棄物の最終処分は、深い穴を掘って埋める以外に方法が無い。
原子力発電は、人間の行いの「不自然さ」の究極であると言える。
いま、東京電力福島第一原子力発電所の事故に端を発し、原子力発電を否定する「反原発」「脱原発」を多くの人が叫んでいる。気持ちは分からないでもない。
僕の立場は「原発推進」「原発容認」である。
いつの日か、原子力という火を消す日は来ると思う。が、それは少なくとも数十年後の未来の話だ。自然エネルギーと電力レベルの蓄電技術の開発・実用化・普及、スマートグリッド・スマートコミュニティーの普及による電力需給の分散化(電力の地産地消)、合理的な節電の啓蒙、一般家庭のみならず産業や社会インフラを含めた省エネ化など、原発を全廃できる条件が整うまで、人間は原発を利用していくしかないと思う。安全性に問題が有るというなら、老朽化した危険な原発を安全に廃炉にするため、安全性を現時点の技術で可能な限り高めた新規原発の建設もやむを得ない。
なお、自然エネルギーに100%移行できたとしても、人間が電力を使って生きていく以上、自然環境の破壊は続いていく。自然エネルギーはその名の通り「自然からエネルギーを奪い取って発電する」ということであって、自然環境という巨大で複雑なシステムの中で回っている様々なエネルギーのバランスを崩す。地球上の全ての原発に匹敵するほどの自然エネルギー発電を行うなら、当然である。どんな影響が出るか、やってみなければ分からない。人間にとって有害な動物や昆虫や植物が大発生するかもしれない。今までいなかった病原菌や病原性ウィルスが産まれ、治療できない伝染病が世界中で流行し、数千万人~数億人の犠牲者が出るかもしれない。自然エネルギー発電は決して「安全が保証されている」わけではない。
人間は電力エネルギー無しで生きていくことが出来ない。人間と電力にはどんな未来が待っているのだろうか。70億人の人間が全員十分な電力を使えるようになるだろうか。あるいは電力を追い求めるあまり、人間は絶滅への道を猛スピードで進んでいるのだろうか。
全ては結果論だ。誰にも分からない。
