最近 またギターを触り始めたので・・・

千春の曲ばかりですが

興味がありましたら 聴いてみてください(;'∀')





よく オープニングに使われていました「青春」







悲しい時には・・・







君のために作った歌・・・







オホーツクの海
これは 一番好きな曲かもしれません(^.^)






最後に 高田みずえさんもカバーして歌っていた「青春Ⅱ」です











千春も60歳になりましたが
まだまだ歌声はしっかりとしていますし、ライブでの毒舌トークは絶好調です(^.^)




フェイスブックの松山千春のファンの方々のグループに参加してから
たくさんの方が 歌っている動画をアップしているので
自分も触発されて 歌ってみました(汗)

しかし ギターは相変わらず下手ですわ~(T_T)

千春が富山県高岡市のホテルに泊まった時に作った有名な曲
「人生の空から」です







もうひとつは 少し古いものですが
やはり千春の曲で「オホーツクの海」
きれいにギターが弾けたら魅力てきなんですが・・・空回りしています★★★





まだまだ 練習しないと だめだなぁつて痛感いたします・・・♪♪♪



【前回の 高岡城の歴史に続いての 続編です( ̄▽ ̄;)】






高岡市の国宝「瑞龍寺」は、高岡の開祖「前田利長公の菩提寺」として知られています。

瑞龍寺が建てられたのは 1645年~1663年です。(実に18年間の歳月が・・・)

豊臣家も滅亡し、天下太平の世になりつつある時代だったとは思いますが

外様大名の前田家としては、警戒の手を緩めることはできなかったことと思います。


この「瑞龍寺」は、単なる菩提寺という名目以上の役割を兼ね備えていました。






いざ戦いとなった時には、「お城」としての機能を果たしたことでしょう。
(屋根の鉛瓦は、戦いの際には溶かして鉄砲の弾にもできました)
 
周りに濠を張り巡らせた約12万平方メートル(当時は)という敷地の広さは尋常ではありません。

瑞龍寺から約1キロ弱離れた場所にある「前田利長墓所」はもっと広くて、完成当時は敷地面積が約16万平方メートルもあり、墓を中心に二重の濠がめぐらしてあったとのことです。





★この「瑞龍寺」と「前田利長墓所」をセットで、高岡の南方からの(敵の侵入からの)守りに備えたのでしょう。
いずれも3代藩主・前田利常公の構想だったと思います。

高岡城のお濠・石垣等を残せたのも 利常公の知恵と力によるものと考えています。

また、利常公の 兄・利長公を敬愛する気持ちの大きかったことも忘れてはならないでしょう!





この八丁道は、「瑞龍寺」と「前田利長墓所」をつなぐ直線の道で、高岡の南方からの侵入に備えての防衛ラインの役割も果たしていました。