本記事は認知症を肯定し、もしかしたら美化しようとさえしている可能性をはらんでいます。
認知症で苦しんでおられるご本人ご家族がいることは承知していますし、
こんな病気になりたくないとお困りの方がいることもわかっていますがあえて書いてみます。
気分を害される方がいたら申し訳ありませんがご容赦ください。
恋をしたい利用者さんがいたとします。
施設を利用してますから相応の年齢ですし、
介護が必要となったりしたらそんなこととんでもないことと自分でも思っているかもしれません。
勝手にあきらめているかもしれません。
かつて勤めていたデイサービスで認知症のおばあさんに追い回されていました。
相談室で事務仕事をしていれば大抵向かいの事務員の机を占領してその人は私の向かいに陣取っていました。
電話をすれば「相手は誰だ?」「女か」と問い詰められました。
入浴した後は(風呂が嫌いだったのですが入れなくてはならない状態だったので)ひどいことされた~と泣きついてきたり・・・
その人は私のことを「婚約者」と認識していました。
いろいろ意見はあると思いますが、私はその人の前では「婚約者」になりきって対応していました。
その人の世界観に合わせて付き合っていました。
おかげでいろいろなことを教わりました。認知症の方への対応についてとても考えることが出来ました。
送りの時間となっても帰ろうとしないので「お父さん(実際は旦那さんですが)のとこへ挨拶にいきましょう」と車に乗せて送っていきました。
自宅についてからも「なんで帰るの~!」「あがっていきなさい~!」と一悶着あるのですが、なんとかあの手この手で戻ってきました。
この方は恋をしていたのではないでしょうか。
もしかして「認知症」という病気が、そのことを可能とさせたのではないでしょうか。
「認知症」になることで叶うことがあるとしたら・・・
そう考えると「認知症」という病すら神さまが意味を持って人類に与えた病気なのではないかと思うこともあります。
その人らしさを表す手段の一つだったとしたら・・・
と考えるのは不謹慎でしょうか。
認知症になっても一人の人として接することができますか?
何もわからない人とバカにしたり、もしくは虐待の対象になったりなんかしていないでしょうか?
相手への言葉かけ
相手への触れ方
相手の想いに寄り添い
人を愛するということ・・・
それでも想いに寄り添ったり、愛することができますか?
認知症を通して本来の人としてのかかわりを学ぶ・・・
この世に起こることのすべてには意味がある・・・
そう考えるとこの病は神さまが人類に与えた課題にすら思えます。
かいごフェスタの告知をさせていただくため、ある会合に参加させていただいた時、私の順番の前の方たちはひたすら「介護予防」「認知症予防」を声高に訴えていました。
そういった立場の方たちですから仕方ないと思います。
ただ私の勝手な解釈ですがあまりにも「介護」や「認知症」を否定されているように感じました。
「かいごフェスタ」は認知症も含めて介護を身近に感じていただくためのものですから、その場ではっきりと「例えば、火災とか食中毒とか感染症とか○○予防ってつくと遠ざけたくなるものですが、介護や認知症は遠ざけないでください」って訴えました。
ここに書いてしまっていいのかわかりませんが、かいごフェスタに参加してくださったとある店舗では認知症のお母さんが実際お店に立っておられました。
これこそ認知症があっても地域に参加できるという証ではないでしょうか。
認知症は悪いことではなく、必要性があって人類の前に現れた病・・・
みんながそう考えればもう少し認知症に関して寛容な社会になるのではないでしょうか。
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駅前デイサービス みのりの家
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