ミノムシの半生記・半世紀・反省記

ミノムシの半生記・半世紀・反省記

「我が人生に悔いなし!」そう言って死にたいものだ・・・。

別の道を選べば、別の人生があっただろうか?・・・・しかし、何を、どう生きればよかったのだろう・・・。

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前にも、少し書いたが・・・・私の心を癒してくれていたのは、身の回りにいる小さな生き物たちだった。

私は、あっという間に・・・・いわゆる虫少年になっていた。
あの頃は、いろいろな所に虫少年(虫好き少年)がいて、そして、そういう子供は、皆のあこがれであったと思う。

私は、現在、森林インストラクターであり、自然観察指導員でもある。いろいろな自然・・・・特に、小さな生き物に対する知識が豊富であると世間的に認められている。

・・・・・しかし、小学校の時の、自分の小さな昆虫や生き物達に対する知識は、今の私でもかなわないだろうと思う。今は、ずいぶん、忘れてしまった。

カメノコテントウやマメハンミョウ、チョウトンボ・・・・当時、見たことが鮮明に記憶に残っているが・・・今では、見る事が出来ない生き物たちも多い。

しかし、当時は、私を、そんな風に認めてくれる人は、誰もいなかった。

当時は、捕虫網を持ち、捕まえ、標本を作るのが、虫少年だった。

私は、そうではなかった。私にとって興味があったのは、小さな生き物達のいきいきとした営みだった。トックリバチが、ロクロもなしに精巧な土の壷をつくるのを、私は、飽きもせず・・・・完成するまで、観察していた。ベッコウバチが、まるで、ヒョウのように大きなクモを捕まえ、マヒさせて地面をひきずっていくのを・・・ずっと、追いかけた。カタツムリやミミズのほとんど、進まないような動きを1時間もかけて、ずっと見守っていた。
シャクトリムシやナナフシが、樹の枝に擬態してじっと動かないのを飽きもせず、じっと眺めていた。

両親は、私に、昆虫の標本を作るように勧めたし、そのため、当時、虫好きの仲間から、標本の作り方を学んだ事もあったが・・・・・私には、性に合わなかった。
どうしても、虫たちを殺す事に嫌悪を感じた。死んだ虫たちを美しいとは、感じなかった。

そんな中、捕虫網でトンボを捕まえていた時に、網の回りの鉄の環で、あやまって、頭を落としてしまった。私は、その時、どんなに残忍な事をしてしまったのかと、ゾッとした。

それいらい・・・・昆虫採集をする事もなくなった。

まわりの子供たち・・・・とくに、私をいじめていた奴らは、カエルや昆虫や小さな生き物たちを平気で、石をぶつけたり、ピンで差したり、あるいは、もっと残忍な手段でいたぶった。
私は、それを、自分がされているようで、我慢が出来ず、ヤメロ!と止めにかかり・・・・ますます、自分が、いたぶられる事になった。

その頃、私は、まわりに小さなサンショウウオの仲間が生息している事に気がつき、感激して、回りのいろいろな人に話をし、学校の作文にも書いた。・・・・・しかし、それは、クラスの仲間はもちろん、先生も、両親すら、信じてはくれなかった。

そのサンショウウオを見せても、まわりのものは、イモリだといって笑うだけだった。

私は、自分が、完全に正しい事がわかっていた。
今なら、専門家に鑑定してもらうようにお願いしに行く事も出来るだろう。
しかし、当時の小学生の私には、そんな力はなかったし・・・・もちろん、自分自身に皆を納得させられるだけの肩書きもなかった。

数年して・・・・私が、大学生になった頃、隣の村の小学生が、地域に棲んでいるサンショウウオ(カスミサンショウウオ)を発見し、地元の新聞に掲載された。