蝉の声がうるさいなぁと思いながら甲子園の、縁もゆかりも無い県の、高校生を応援(?)してダラダラと観ていたら、あっという間に鈴虫が鳴き始めました。今年はやたら「平成最後の夏」という言葉を耳にしたけれど案外相応しい夏を過ごした気もします。 

 Huluを観れるようになってからというもの、ずっと家に引きこもっている生活が続いています。バイト先でマスターに何を観たのか報告するのが決まりになってまして、まぁ内容まで言わなくてもどこか引っかかる要素さえあればそこからマスターが「~と言えば…」と話を持っていってくれるのであくまで話題の起点作りです。そこからは「へ~」「なるほどぉ」「そうなんですね」を適度に挟んでおけば時給が発生する。あくまで客がいなければ。


 秋の服って年々活躍する時間が短くなってません?夏夏夏夏夏夏冬冬冬冬冬春春みたいに感じてる。でも秋の服って良いものが多いと思うんです。僕は軽装よりもゴチャゴチャの服が好きなので女性の服も秋冬服のほうが好きです。バカみたいに大きいファーの付いたフードが付いたコートとか着て欲しい。それなのに、みんな同じようなキャメルのダッフルコートで嫌気がさしますよ。


 持ち味って言葉、凄く良くないですか。自分の持ってる味ですよ?素材の元々持っている味。だから特段身に付けたりなどする以前にあるアイデンティティーのことだと思うんですけど、味かぁ。何味がいいかな。自分は確実に美味しい系では無い気がします。でも旨味とかに近いんじゃない?ほら、噛めば噛むほど みたいな。いいな。そう思い込もう。僕の味は旨味です!

 
 とは思うんですけど、桃が内心では「俺ってカラいと思うんだよ」って考えてカラさを磨いたところで結果は好転しないわけですよね。だって元来桃は甘いから。やはり自分の持ち味はきちんと理解していないといけないのか。でも、桃は自分の甘さを向上させることはできないな。そういう意味では持ち味は理解の有無に関わらず、最初に与えられた味を他者にどう手を加えてもらうのかが大事なんですかね。自分の持ち味を理解してくれる誰かがいた時に初めて輝くって感じ?


 実際の味と持ち味を比べてもしょうが無かった。失礼