1月25日に戻した最後の胚盤胞
30日の着床判定にて、
β-hcgが0
着床しませんでした。


これで最後と話していたので、
医師の『どうしますか?』の問いに、
即『長い間お世話になりました』と挨拶して帰って来ました。

院長先生が『お二人で幸せになって下さい!』と仰ってくださいましたが、

正直、未来が描けません。真っ白です。

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将来必ず子宮がん、卵巣がんになるから早く子供を作りなさい!と診察されて始まった婦人科への通院。結局20年間あちこちの病院にお世話になりました。


前夫とは子供をつくること自体でもめ、他の女といるとも知らず、すでに抱く気もない夫の帰りを待ちながら、タイミングをはかって服用指示のあった薬を飲み続けていました。

離婚後はもうやけで……誰の子でもと手当たり次第なんてことも(笑)


今の旦那様には、前妻との子が3人居ましたから、体外授精へのステップアップも容易ではありませんでした。

やっと容認してくれたと勇んで不妊専門外来の門を叩いた途端に、乳ガンに。

採卵して授精させて、なんとか9個の胚盤胞を凍結できたものの、乳ガンの治療優先でいつ戻せるかも未定。

運良くがんを全摘でき、抗がん剤治療もなく一年後から胚盤胞を戻す移植が始まりました。

年を重ね、高齢出産のリスクに合わせ、高血圧の治療まで開始。徐々に妊娠出産の可能性が下がり、諦めてさせるような医師からの高いリスクの説明が多くなりました。医師の厳しい説明と目に脅されたように、不安と焦りばかりが募る毎日でした。

結局、9個のうち3個が妊娠までには至りましたが、早期流産で、母子手帳を交付されることもありませんでした。

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病院関係者はじめ、たくさんの方に支えていただき、応援していただきました。
本当にありがとうございました。



直後に大好きな海を見て、自分に諦めようと言い聞かせ、凍結した胚盤胞と同じ9個の本真珠を買い求め、ブレスレットにして御守りのように毎日身につけています。
なんとなく、ホッとするんです。



養子縁組も里親も年齢制限により無理だとわかりました。
子供を持つことを諦める決心はつきました。
ようやく応援していた皆さまにご報告もできました。

でも、これからどうしたらいいのか、どう生きたらいいのか、不安と焦りで何もない時にさえ苦しくなります。涙がこぼれます。


考えないでいい。


そう、精神科の医師やカウンセラーに言われました。



でも、24時間自由な私には、何もない、何も考えない時間は怖くて仕方ありません。逃げたくなるばかりなんです。


私にとって、この20年はいつか通院を続ければ、自分の子供を抱ける日が来る。
それだけを思い描いていたんです。
意思が弱かったのかもしれませんが、夢であり、希望であり、目標であり、全てでした。
それがなくなった今、真っ白、真っ黒。



時間をかけて少しずつ考えます
やりたいこと、やれること。


素晴らしい日本、世界の景色を見せてあげられなかった我が子のためにも……



しばらくはお時間下さい。投稿も今まで以上に出来ないかもしれません。楽しい話題を書き込めるようになるまで、皆さんのブログにのみお邪魔させてください。

長々すみませんでした。読んでくださってありがとうございました。