【周南市美術博物館】 周南市美術博物館(山口県周南市)では第34回(2026年)林忠彦賞受賞作、「XEPCOH へルソンーミサイルの降る夜に」(佐々木 康)を記念して4月25日(土)~5月10日(日)に受賞記念写真展が開催されます<4月27日(月)、5月7日(木)は休館です)>。
【林忠彦賞コーナー(林忠彦記念室)】 林忠彦賞は、戦後写真界に大きな足跡を残した写真家・林忠彦(周南市出身)の多彩な業績を記念し、周南市と公益財団法人周南市文化振興財団が1991年(平成3年)年に創設したものです。1996年(平成8年)には第46回日本写真協会文化振興賞を受賞しました。林忠彦賞選考は1992年の第1回から今年2026年の第34回まで実施されています。今回は直近の第34回から第29回までの6作品を紹介します。【関連写真】![]()
【第34回(2026年)林忠彦賞=写真集・写真展「XEPCOH へルソン―ミサイルの降る夜に」佐々木 康(ささき・こう)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 「ヘルソン」とは2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻により占領されていたウクライナ南部に位置する州と州都の名前です。佐々木さんにとっては、多くの人がいつか戻るべき故郷の名、戦地から無事を祈って待つ家族の元へ帰る旅を象徴する場所でもあります。佐々木さんは2022年の4ヶ月と2023年の3ヶ月をウクライナで暮らしました。毎晩のようにミサイルが降る中、友人と互いの無事を確かめるようにチャットを交わし、やがてその友人を介して兵士たちとも時間をともにするようになりました。その時期に撮影した写真や友人、兵士たちとのチャットの内容をまとめたのがこの写真集です。地平線まで広がる小麦、ひまわり畑。美しいウクライナの風景。そのなかで、人々が食べ、眠り、笑い、泣き、祈り、戦い、逃げ、死に、そして生まれ、命は繰り返されてきました。私たちが生きる日常のすぐ先に戦争があり、日常と非日常が交錯する中で、人々は逞しく生きていること。戦争が非日常ではないことをあらためて考えさせられる作品です。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()
【第33回(2025年)林忠彦賞=写真集・写真展「ALT」(オルト)鶴巻育子(つるまき・いくこ)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 「ALT」は、「見る」とはどういうことかをテーマにした作品です。本作は3部構成で、セクション1では、視覚障害者のポートレートを撮影しています。セクション2では、視覚障害者から見え方を聞き取って、正解ではないことを前提に写真化しました。セクション3では、視覚障害者と一緒に街でスナップ撮影を行い、視覚以外で世界を感じ取っている人々の感覚を写真で視覚化し、見えている鶴巻さんの写真と対比させています。目で見ることが全てではないということ、「見る」ということを改めて考えさせられる作品です。ALTとは…alternateの略。代わりのもの、代替え、交互の、他の可能性、他の手段。X(旧Twitter)では「+ALT」ボタンは代替えテキストの略称で、画像の説明を示す用語として使われている。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()
【第32回(2024年)林忠彦賞=写真集「BENZO ESQUISSES 1920-2012」奥山淳志(おくやま・あつし)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 作者の奥山さんは、25歳のときに、北海道の大自然の中で自給自足で暮らす井上弁造さんと出会いました。彼の暮らしぶりや生き方に触れ、彼が2012年に92歳で亡くなったのちも現在まで、26年にわたり彼の生きざまを写真で伝え続けています。2018年に1作目の『BENZO 弁造』、続いて翌年には『庭とエスキース』にまとめあげ、この『BENZO ESQUISSES 1920-2012』は3作目となります。 様々な事情により絵描きへの夢は叶わなくても一生絵を描き続けた弁造さん。この写真集は、長年にわたり弁造さんと向き合ってきた作者が、彼の死後、遺されていた膨大なエスキース(習作)を通して、人間が生きるということがどういうことかを真摯に見つめようとした作品です。本作は、北海道に暮らす井上弁造さんに出会った作者が、その生き方に感銘を受け、長年にわたり取材したドキュメンタリーです。一見、画集のようにも見えますが、絵を単に複写しているわけではなく、弁造さんが暮らしていた丸太小屋の周りの植物などを絵に重ね、またそれらを影としても写し込んでいます。弁造さんが遺した絵を通して、彼の心情や思いを読み解いていこうとする斬新な表現が高く評価されました。写真集には詩情豊かでポエジーな雰囲気が漂います。作者の弁造さんへの愛情あふれる温かいまなざしが感じられる作品です。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()
【第31回(2023年)林忠彦賞=写真集・写真展「Sakhalin」(サハリン)新田 樹(にった・たつる)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 ロシア・サハリン(樺太)、この島の北緯50度から南半分は、日露戦争後の1905年から1945年8月の第二次世界大戦終結までの40年間、日本の統治下にあった。1945年8月のソ連参戦時の緊急疎開と翌年に始まる引き揚げで、そこで暮らしていた日本人の多くはこの地を後にした。一方で多くの朝鮮半島出身者やその配偶者であった日本人らは、ソ連が支配したこの地を離れることはかなわなかった。戦後50年を過ぎた1996年、写真家としての最初の地としてロシアを旅していた作者は、サハリンのユジノサハリンスク(豊原)で日本語を話す女性たちと出会い、サハリンとそこに生きる残留韓国・朝鮮人やその配偶者であった日本人がいることを知った。しかしその時はまだ、これらの人々と向き合う自信が持てなかった。14年後の2010年、作者はこうした人々の現実を残したいと決意を固めた。最後の生き残りともいうべき人たちの家を何度も訪ね、丁寧に取材し、その生活や周りの様子をカメラにおさめていった。そしてその成果を、2015年の写真展「サハリン」で発表、その後も取材を続け、2022年の写真展「続サハリン」と写真集『Sakhalin』にまとめあげた。遠い北方の地で今なお日本語を話す人々。凍てつく寒さの中でつつましく生きる彼女らの人生に寄り添いながら撮影した作品には静かな時間が流れている。歴史に翻弄されながらもたくましく生き抜いてきた一人一人の人生の重みが伝わってくる。本作品は、戦争の歴史に翻弄された人々の姿が写真の行間から浮かび上がるドキュメンタリーの仕事として、高く評価された。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()
【第30回(2022年)林忠彦賞=写真集「東京二〇二〇、二〇二一。」初沢亜利(はつざわ・あり)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 『東京 二〇二〇、二〇二一。』は、新型コロナウイルス感染症に見舞われた2年間の東京を捉えた写真集である。目に見えないウイルス、コロナを写真家としてどう捉えるか。作者は都下のあらゆる場所へ赴きシャッターを切った。人通りの途絶えた町並や広場、中止になったイベント、しかし災厄の中でも続いていく社会活動、日々の生業、伝統行事、そしてオリンピック。一見淡々と撮影された1コマ1コマは、連続して見ることによって、パンデミック下の巨大都市の風景を俯瞰的に描き出している。そして同時に、その底に潜む社会不安や人間の生来持つ業といった様々ななにかを伝えてくるのである。この写真集を見るとき、我々はまさに当事者として、共感を覚えることになるのである。この作品を通して私たちは、東京だけでなく日本人としてのあり方をもう一度見直すことになるだろう。そして今後新型コロナが終息し、その記憶も薄れた頃、当時の東京、日本の姿を赤裸々に伝える、まさに時代を映す写真となるのである。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()
【第29回(2020年)林忠彦賞=写真集「私の知らない母」笠木絵津子(かさぎ・えつこ)(写真は林忠彦賞のサイトより)】 「私の知らない母」は作者の母が写る過去の写真と、作者が写る(または撮影した)現在の写真とをコラージュした写真集である。1998年母が亡くなり、作者は伯母の家で母の写る百枚ほどの家族写真と出会った。そこで作者は戦前の朝鮮、台湾、満州で生きる母の姿と今現在その写真を見ている自分との間にある「時空の断層」に気づかされた。以後2001年から、作者は母の生きた場所へ赴き撮影を続け、写真を撮り、過去の家族写真と自らが集めた現地の写真、さらに自分自身の写った写真を重ね交錯させ、新しい写真を制作し発表した。この旅は10年続き、母の死から21年たった2019年写真集として発表した。 過去と現在という時空間を縦横無尽に一画面に表現したフォトコラージュであり、なおかつ一家族の歴史がそのまま日本の動乱の現代史をたどるドキュメンタリーでもある、いわば「時間と空間の芸術」といわれる写真の到達点として、選考委員会でも高く評価された。(記事は林忠彦賞のサイトより)【関連写真】![]()







