尖閣問題を巡る、海外での報道について | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。

 サーチナに尖閣問題を巡るスイスでの報道が掲載されていました。以下ではその記事の抜粋を紹介します。
(スイスは主にドイツ語を使用する国民が64%、フランス語を使用する国民が19%、イタリア語を使用する国民が8%、その他が9%です。従って、話されている言語はドイツ語が圧倒的に多く、これにフランス語が続き、イタリア語になるとかなりの少数派になるわけですが、そのせいか、この記事で取り上げられているのは、ドイツ語の新聞とフランス語の新聞です。)


 まずは、ドイツ語圏の日刊紙ターゲス・アンツァイガー(Tages Anzeiger)の記事の抜粋です。

 「自らを被害者と見なす日本人は、対立激化の原因は隣国の強硬な態度にあると考え、中・韓両国は日本の弱みにつけ込んでいると主張する。さらに、中韓両国を領土問題を使って(中韓両国自らの)国内問題から国民の目をそらさせようとしている国々だとみている。」「尖閣諸島周辺で水産資源やガス資源が豊富なことが判明して初めて、中国は領有権を主張したと日本は言う。だが、中国人にとってこの島は侮辱の象徴なのだ。」「ところが日本は戦争での残虐行為すべてに対し今まで誰も責任を取らず、『あれは戦争だったから』と過小評価する。」

 次に、フランス語圏の日刊紙ル・タン(Le Temps)の記事の抜粋です。

 「中国の外電は北京の日本大使館前でのデモを穏やかな模範的なデモで、日本による中国の名誉棄損と中国の領土主権を支持する行為だと評価している」。「結局、第2次大戦は終了していない。アジアでは、いつも、ある出来事が巨大な争いに発展する可能性が潜在的にある。それは、日本が全く戦争を反省せず、 日本の歴史の中で最も暗いページの部分を認めようとしないからだ。」

 読んでみて、ショックを受けなかったでしょうか。私たち日本人からすれば、明らかに道理に反した暴力沙汰であり、テロと言ってもよい所業であるのに、スイスの報道ではそのような所業に対する憤りはほとんどありません。NATO には加盟していない永世中立国とはいえ、民主主義と市場経済を大切にしているはずのスイスにおいて、共産党独裁国家中国にむしろ共感する報道がなされているわけです。そしてこのような報道は、何もスイスだけに限った話でもないのです。

 例えば、New York Times には Han-Yi Shaw という台湾国立政治大学教授の書いた、次のような英文を含む記事を掲載しています。

The Japanese government maintains that the Diaoyu/Senkaku Islands are Japanese territory under international law and historical point of view and has repeatedly insisted that no dispute exists. Despite that the rest of the world sees a major dispute, the Japanese government continues to evade important historical facts behind its unlawful incorporation of the islands in 1895. (尖閣諸島は国際法的にも歴史的にも我が国固有の領土であり、領土問題は存在しないと日本政府は主張している。日本以外の国が大きな論争点だと考えているにも関わらず、日本政府は1895年の尖閣諸島の不法な編入の背後にある、重大な歴史的事実を隠し続けている。)この記事の言う「重大な歴史的事実」とは、1895年の尖閣諸島の編入は、実際には日清戦争の結果だというものです。

 また、イギリスの有力紙 Guardian にも、次のような英文を含む記事が掲載されています。

The sharpening dispute over the Senkaku islands, known as Diaoyu in China, is the most recent product of this old narrative of violence, hatred, fear and grief that continues, sporadically, to obstruct both nations in their efforts to forge a more stable, trusting relationship.  (激しさを増す尖閣諸島を巡る論争とは、このような暴力と憎悪と恐怖と悲哀の長い物語の産物なのである。より安定的で信頼のできる両国関係を築いていこうと双方が努めていても、こうした物語がこれに水を差すことが突発的に起こるということが続いているのである。)

 このガーディアンの言う「暴力と憎悪と恐怖と悲哀の長い物語」とは、日本は謀略によって満州事変を引き起こしたり、満州に傀儡政権を樹立したりしてきたのに、日本は戦後こうした行為に向き合って真剣に謝罪することはなかったというものです。そして、この日本の対応はドイツの対応とは際だった違いになっていることに、中国人はやりきれない感情を抱いているというのです。

 こうした世界の報道ぶりから、私たちは何を学べるでしょうか。

 中国の反日プロパガンダが大きな力を持っていることは、疑問の余地はありません。「真実は見ていればわかる」と高をくくっていると、とんでもないことになる可能性があり、日本の側からも積極的な広報を行っていく必要があります。尖閣諸島が国際法的にも歴史的にも我が国固有の領土だということを、わかりやすく世界に訴える動画を作るなどして、あらゆるチャンネルを通じて、日本政府は世界に向けて訴えなくてはなりません。

 ですが、このような海外の報道を見て感じるのは、もはや問題はそういったレベルではすまないということです。世界において、特にヨーロッパ世界においては、戦前の日本を悪の帝国と単純にみなす見方が根強く残っていることが、このような報道を通して理解できます。従軍慰安婦や南京大虐殺の虚構に世界は気付いていません。戦前の歴史に関する我が国に関する誤解を解く作業に着手しなければ実は問題解決には至らないことを、私たちは悟るべきなのです。自民党総裁選挙で安倍晋三候補は「戦後レジュームからの脱却」を訴えていますが、まさにこの「戦後レジュームからの脱却」こそが、日本に突きつけられている最大の課題であり、もはやここから逃げるわけにはいかないことでは腹をくくらなければならないのでしょう。

 日本国憲法は前文で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあり、我が国は、中国政府にも公正と信義を信頼する立場で臨んできました。しかしながら、中国はそのような公正と信義を持っているのでしょうか。中国に限らず、韓国にせよ、北朝鮮にせよ、アメリカにせよ、ロシアにせよ、公正と信義に基づいて国際政治を動かしているのでしょうか。自国の冷徹な国益のためには、公正と信義に背くことをやってのけつつ、いかにも公正と信義に依拠しているかのように装うことばかりを行っているのではないでしょうか。

 憲法前文の書かれている内容は一見大変美しいものですが、あくまでもファンタジーに過ぎず、現実の国際社会のリアリティーに基づくものではありません。ファンタジーに基づく対応がリアリティーに対しては効果をなかなか持ち得ないのは当たり前です。私たちはリアリティーに基づいた対応に、当然ながら踏み出していくべきです。

 例えば、今回の反日暴動が中国政府内部の権力闘争から生まれたもので、動員も行われ、デモの主導者が地元の警察官や共産青年団の幹部たちであり、政府内部の一部の勢力によって組織されたものだという、中国政府にとっての不都合な真実も明らかにすべきです。日本の在中公館の被害のみならず、日本企業の受けた被害の総額がどのくらいであると推計されるのかも、明らかにすべきです。日本が戦後の中国の建設にどれほどの貢献をなしてきたのかについても明らかにすべきです。天安門事件で世界中から孤立した中国に対して真っ先に救いの手を差しのべたのが日本だったことも明らかにすべきです。過去の反日暴動によって日本の在中公館が受けた被害の補償を、中国政府は行うと世界に対して約束しながら、実は実行してこなかったことも明らかにすべきです。いかに公正と信義にもとる行動を中国が日本にとり続けてきたのかを、日本は繰り返し繰り返し、世界に向けて説明していかなくてはならないのです。

 戦後レジュームからの脱却へと歩み出さなければ、私たちには未来もないことをよく自覚し、日本国民として決意を固めるときが来ていると、私は考えます。