みなさん、大変ご無沙汰しております。

しばらく振りのブログですので、きっと読んでくださっている方はごくわずかなのではと思いますが(笑)、それも何かの縁と思い、今メッセージさせていただいております。

 

私の場合、メッセージが降りて来ないと、基本書けないタイプであるため、楽しみにしてくださっている方に対しては心が痛い気持ちなのですが、どうか最後までお付き合いくださいませ。

 

この情報社会、最先端の時代の最中に新型コロナウイルスのパンデミックという、3ヶ月前までは全く予想もしなかった事態に全世界で発展してしまいました。

この状況に意味があるのか?と私自身内観しながら考えていました。そして私だけでなく観の良い方は気づかれたと思います。

 

すべての価値観において、篩(ふるい)にかけられる。

 

これに尽きると思います。

そして今まで考えられなかった(非常識とされていた)ことが、当たり前(常識)になって行く時代のいわば狭間にいると考えていただければと思います。

時代が変わる瞬間はその渦中にいるときは気づかないものです。だいぶ時間が経過した後になって「あの出来事がきっかけで時代が変わったのかな?」と振り返ってみて初めてわかるものではないかと思います。

 

今回2020年というタイミングで発生した新型コロナウイルスのパンデミック。しかも最初に中国で発生したということも冷静に考えてみればもしかしたら意図的なことがあるのかもしれません。

深堀すればするほど謎は深まるばかりですが、現状ではそうは言っていられません。

 

日本においても石油ショック以来の騒動と言われる、トイレットペーパーをはじめマスクを買い求める消費者たちのパニック振りは連日メディアでも嫌という程報道され続けています。

 

パニックになっている方は、どうしてパニックになっているのでしょうか。もしかしたら「ウィルスのせいで、今日私や家族が死ぬかもしれない」と慌てている人もいるかもしれません。

 

そこで気づきませんか?

 

残念ですが、誰もが死ぬ運命であることには変わりないのです。

そう、生まれてきた以上誰もが死ぬのです。

それが1時間後なのか、3日後なのか、1週間、1ヶ月、1年、10年後なのかはわかりません。

 

そこで慌てていても、いつか死んでしまうのです。

残酷なことですが、本当にそうなのです。

亡くなるタイミングは違っても、誰もが平等にいつか命を失うのです。

 

インフルエンザワクチンだって、接種してもインフルエンザを発症してしまう方もいれば、亡くなってしまう人もいる。

気を付けていても交通事故に遭われたり、健康体でも突然死する方もいます。

このタイミングでは昨日、日本のある男性フィギュアスケーターが心臓発作で亡くなったとの報道もありました。

 

こういうことをお話すると、余計にパニックになられる方がいますが、随分損をされていると思います。何故なら「あなたは今、少なからず生きておられるでしょう?」と問いたくなるものです。

 

人は当たり前にあるものに関しては、感謝しにくいものです。

逆に思い通りに行かなかったり、不自由な思いをしている人ほど、重箱の隅をつつくように粗さがしをして、勝手に問題を作って勝手にパニックになっている人もいます。

 

話を元に戻すと、今回の騒動を通じて

 

すべての価値観において、篩(ふるい)にかけられる。

 

と先ほど申し上げました。

常識と非常識の逆転現象、物質的価値観よりも精神的な価値観に今後ますますシフトするのではないかと私自身思います。

 

では、精神的な価値観を深めるためにはどのようにすればよいのか・・・それについては次回お伝えいたします。

 

最後になりましたが、このブログを読んでくださった縁ある皆様におかれまして、騒動に負けずに心の平和が永らく続きますように。

 

愛をこめてお祈り申し上げます。