こんにちは。
今日は、こちらの記事が大変面白かったのでご紹介させていただきます
福井県の永平寺で修行中だったお坊さんがやらかした失敗談です。
え?
何で永平寺のお坊さんの話を?
それは、とにかく面白かったからです


私は5回読んで、5回爆笑しました。
なかなかこんな面白い話も読めないと思います。
コロナ禍の鬱屈した気分を一時吹き飛ばす笑いです。
とにかく↓ポチッと読んでみて下さい。
お客さん、損はさせまへんで~(←誰?)笑
羽生くんとは全く関係ない話(^_^ゞ
強いて言うなら、記事中に「オリンピック」と「メダル」っていう単語が1回ずつ出てくるところぐらい?
でも、文章表現がお上手!
その時の状況と切羽詰まっていく心理描写が見事です(ノ゚∀゚)ノ
他の記事も読んでみましたら
永平寺の修行ってそりゃー厳しいんです
一切の自由ゼロ。
トイレだって自由に行けないし、食べ物は少なく、寝る時は右側を下にするとか姿勢まで決められているんです。
そして、失敗したら古参の僧に怒鳴られる。
私だったら、もう無理~って山を降りるでしょう。
実際に、精神的にも肉体的にも持たずに断念する人もいるそうです。
でも、ふと思いました。
じゃあ、羽生結弦だったら?
読んだもの見たものあらゆる事に「羽生結弦」を絡めて考えてしまう。
これって羽生ファンあるあるですよね~
もし、羽生くんが望むなら、修行をやり遂げて僧侶になれるに違いないです。
それも、人の何倍もの厳しい修行を自らに課し、開寺以来の大天才とか言われ、かつ見とれるほど美しいスーパー僧侶になれると思う。
なぜなら、羽生くんなら、
①僧侶になるという最終目標を立てる
②そのために何をすべきか考える
③目標に到達するまで決して努力をやめない
こういうアプローチで目標を達成させると思うからです。
奈々美先生の言う「努力の天才」ですから。
とりわけ③をやり抜くのが羽生くんの凄いところ。
たぶん、どんな分野でも羽生くんなら一流のレベルに達するはず。
・・みたいな事を考えて、やっぱ羽生くんすごいな~って
思いました。
それと、他の記事の中に次の文章がありました。
こうした一切の自由がない生活には重要な意味があります。個の自由(例外)を認めていけば、人はそれだけ我欲で生きることになる。「何かしたい」という思いは欲であり、したがってそれを徹底的に制御することで自分のなかに眠る欲が浮き彫りになっていき、自分の欲というものに気づくことができるようになる。
これを読んでちょっとハッとしました。
そうか、自由過ぎるのは余計見えなくなるのかも知れない。
ルールや規律がある程度あるから、そこに達成感が生まれる。
自分の出来ることや、出来ないことも見えてくる。
で、またまた羽生くんの事を考えると
羽生くんは究極のプレッシャーを自分にかけ続けてる。
そうして信じられない結果を残し続けてる。
これってやっぱり修行ですよね。
尊い・・
さて、来週からは早いものでもう2月です。
2月のお茶菓子として、こんなお干菓子がありました
ほら「天と地と」風なお菓子でしょう?
金平糖と、梅の花の形の落雁は和三盆糖で出来てます。
お抹茶と一緒にいかがですか?
◆お写真はありがたくお借りしました。




