この時代 子供の「死」がとても多かったです
今の時代のように「いじめ」や
親の暴力や 育児放棄での「死」は
あまりなかったように思います
両親が 戦災でなくなった 子供たち
戦後すぐは
映画「火垂るの墓」そのもので
やはり 栄養失調による「死」が 多かったでしょうね
子供が餓死することほど 悲しいことはないですね
危険な遊び・・・
これは 特に夏
京都では 琵琶湖からひかれた疎水での泳ぎです
流れが速く そして深い運河です
毎夏 2~3人は亡くなったでしょう
遊泳禁止だけど みんな監視の目を盗み泳ぐんです
たぶん ここで泳げるという事が ちょっとした自慢だったのです
これは 大阪での話です
いつも登場する 自宅前の川での事件です
この川は 大和川の支流で
雨が降ると 増水します
隣の中学の兄ちゃんが
増水になると
あの細い橋の中央で 柄のついた網を川上に向けて
少し深い目につけると 面白いほど
流さて来た 鮒などが取れるのです
それを 持って帰り 火災のための用水池に
ボウフラ退治用に入れるんです
ある 長雨のあと
いつもなら 兄ちゃんが橋の上で
網で魚を狙っているのに いないのを幸いに
買ってもらったばかりの
新しい網で初めての 挑戦となりました
・・・・・が
網の中には 魚がはいらず
ごみばかりが 入り
あげるのにも 重たくて上がらず
それどころか 網がどんどん
橋の下に入っていきます
やっと 買ってもらった まっさらの 網
「あかん 離したら あかん 怒られる」
と思ってるうちに
頭から はまりました
その時の 水中での
ぼやけた光景は 今も記憶に残っています
とにかく もがいていました
まだ泳げず ただもがいていました
その時です 服の襟あたりを
「グググー」と持ち上げられました
どこのだれかわかりません
場合によっては まずおぼれ死んでいたでしょう
助けられた感謝より
網をしっかり握っていていたことが うれしかったです
あれは誰だったのか・・・・・月光仮面これはもう少し後
でなければ 鞍馬天狗か?
とにかく 引き上げられたのはわかっていますが
その人の 姿があったのかなかったのか
記憶にないのです ・・・・・・ 不思議ということで
チョ~~~ン!
家に帰り びっしょりの僕を見た母親は
いつものことで 「また~」の 一言だったと
記憶しております
今日 73歳まで生きてこれたことに
鞍馬天狗さん ありがとうございます
私は ガキたちの間では
同学年以下に「ケイ坊」
(当時 呼び名は 名前の後に「坊」をつけていました)
年上には「ケイ助」
そして よく川に入って遊んだりするので
「どんぶり」とか呼ばれていました
いまだに 丼を食べるときは
必ず 思い出します