小田さんは、
2022年【こんど 君と】のツアーで
「水曜日の午後」を歌ってますね。
いい曲ですよね!
大好きな曲です。
この曲を書いた時期は、建築の道と音楽の道。
どちらに進むか迷っていた時期なんですよね。
「水曜日の午後」は
1973年6月5日発売の
ファーストアルバム
【僕の贈りもの】
に収録されている曲。
🎹 🎹 🎹 🎹
この曲は
小田さんがピアノで作った
最初の曲となりましたね。
昔のコンサートのMCで、
この曲は、
鬼子母神の近くに
住んでいた頃に書いた曲。
って紹介していたのを覚えています。
その時、この辺(住んでる地域)はあんまり好きじゃない。って
おっしゃってた様な気がします。
1971年に
早稲田大学院に進学した
小田さんは、
建築の道と音楽の道で
迷っていた時なんでしょうね。
♬朝もやにつつまれた公園で
ふりそそぐ透明なこもれ日に
まだ何か出来るかもしれない
もう一度はじめよう♬
と、自分を励ましていたんですね!
⚫︎「水曜日の午後」は
ライブでは鈴木さんが
リードボーカルを取っていたんだって。
この曲を「いい歌だね」と
鈴木さんが言った時、
小田さんは
「だったら、ヤスが歌ってみるか?」
ということになったと、
鈴木さんが
なんかのインタビューの時に話していました。
その後のレコーディングでは、
「作者が歌ったほうがいい」という
ディレクターの意向で小田さんが歌ってるんだって。
ちなみに、スタレビの根本要さんは、
「オフコースの曲の中でいちばん好き」
との事です。
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「水曜日の午後」から3年後。
1976年5月5日に
「ひとりで生きてゆければ」が
発売になります。
そして、この
「ひとりで生きてゆければ」は
建築の道と訣別した頃に
作られた曲のようです。
1976年と言えば、
小田さんが
修士論文で「建築との訣別」を書いた時期ですよね。
その後、
タイトルを「私的建築論」と変更することで受理された逸話があります。
この時期、小田さんは、
音楽の道に進む事を選択します。
大学を休学をして
ファーストアルバムの
「僕の贈りもの」を制作したのです。
その後 復学して
修士論文を書き上げたのでした。
修士論文発表の日、
勢い余って教授の怒りをかいます。
そしてその日の夜、
新宿のルイードでのライブで、
「これで終わったんだな」と思った。
と語っていますね。
1976年の2月に早稲田大学院を卒業した小田さんは
2月26日〜29 に
「ひとりで生きてゆければ」
のレコーディングをしています。
♬あゝありふれた 倖せに
背を向けてゆく 勇気が欲しい♬そして、8月に
オフコースカンパニーを設立したのでした。
本格的な音楽活動が始まったのですね。
そして、
この曲から大間ジローさんがドラムで参加されています。
その後、バンドとして5人になっていくんですね。
「ひとりで生きてゆければ」は
大学院を卒業した小田さんが
建築の道と音楽の道に苦悩した
そんな ターニングポイントの一曲なんですね。
そして、
NHKの小田三昧の時、
鈴木康博さんがリクエストした曲が
この「ひとりで生きてゆければ」
でしたね。
あの時の苦悩を知っているからこそのリクエスト曲だったんでしょうね。
🔴「水曜日の午後」と
🔴「ひとりで生きてゆければ」
小田さんの苦悩と葛藤と覚悟を感じる曲ですよね。
参考資料