「せつなさ」 の正体

せつなさというのは不思議な気持ちだと思う。
淋しさや悲しさのようにわかりやすくはないし、言葉で説明を求められてもはっきりと答えられないから困ってしまう。それに人によって受け止め方もさまざまで、ある人は淋しさによく似た気持ちかもしれないし、ある人にとっては悲しみのひとつの形になっているかもしれない。

私は……と言うと、これがとても曖昧。たとえば触れられそうで触れられない、その指先と何ものかの距離をせつなさと呼ぶのかもしれない。

抱きしめているのに、どうしても手に入らないもの。ひとつになりたいのに、決して体も心もひとつになれないこと。取り戻せない時間。なのに昨日のことのように輝いている出来事。そんなどうにもならない何ものかとの隙間が、とても愛しくて、とても素敵で、とてもとてもせつない。

時の流れという縦糸と、いろんな出来事や気持ちの横糸が描くつづれ織り。せつなさは言葉では表せない。ただただ、心にしんと感じるもの。

こんなに好きなのに、

どうして好きなだけではいられないんだろう。

恋しさは淋しさによく似ていて、

逢いたい想いも淋しさに似ていて、

私ひとりを見つめて欲しくて、

愛する人をひとりじめしたくなって。

やがて淋しさからやきもちが生まれて。

そんな恋の渦巻きに巻き込まれそうなとき、

やきもちなんて知らないよ、

と、見上げた空の青さがなんだか悲しい。
なんでだろう。

どうしていつもこうなんだろう。

誰かに必要とされてるかな?
ここにいていいのかな?

生きていていいなかな?

もうわからない。

たすけて