極めることパート2にて~自身の事まで、紹介する事が出来ませんでしたが・・・
 
自分の事も話さなければ、責任の無い記事になってしまいますね!
今回、思い出話をしながら当時の事をお話致しますので、どうぞ~お付き合い下さいませ~♪
 
競輪選手に憧れたのは中学生の時でした~!家族で赤城山にドライブに行った際に選手の練習風景を見しまったのが、事の始まりです
 
急な山坂道をスイスイ~と、後ろから見たふくらはぎは、踏み込む度に左右に綺麗に割れ収縮を繰り返す~
坂道では、車以上の猛スピードで、風よりも早く通り過ぎる~(゚o゚;;圧巻でした!!
 
でも、この時は憧れにしか過ぎませんでした~
 
高校を選択するに辺り、自転車部の有る高校へ行って、行く末は競輪選手になれたら良いな~こんな気持ちも仕舞いこんで。。夢のままに・・・
 
自転車部が有る高校は、周りに無い・・・下宿生活を余儀なくされ、尚且つ自転車部は結構な費用が掛かる訳で。。こんな事は言い出せない家庭事情でしたので・・
自分自身も、高校の部活で活躍、その後、スムーズに選手に成れるか自身が有りませんでしたし。。。
 
以前の思い出話にも書きましたが、当時、全然目立たない~おとなしい性格で・・・
体育の成績3でした(^^;
 
         そんな訳で~高校は偏差値による割り振りで。。。
 
       ツマラナイ~高校生活を送りました。。!?機械科卒です一応。。
イメージ 1
 
貴重な当時のわたす!この頃の愛車はヤマハRD50!燃費悪いも加速がダンチ外で、2スト派でした~!その後ミニトレ80 スズキGT125も所有しました~♪
中型は車検が有りパス!なんせ、新聞配達で稼いだ銭で購入、維持してましたから!
買って貰う事は許されませんでしたので。。。
 
中古ロードレーサーも購入して、趣味の範囲でサイクリングも楽しんでました!イメージ 2
 
 
 
   な、何だこれは!
 
 
 
 
一応、こんな時も有りまして~でも、彼女とまでは行かず・・・なんせ!まだウブでしたので~ダハハ!
 
 
 
こりゃ、全然極めてないじゃん~
 
これから、これから
 
             ~でございます(^^;
 
 
 
 
 
 
 
さて、選手の憧れや、夢を自身の胸にしまいこんだままに、卒業後の進路を決めなくてはなりません。。。皆さんお分かりの通り、頭脳明晰で無い私が大学のお話が出る訳もなく、進学なんてする気もサラサラ有りません~!
 
地元の企業に就職する羽目になるんだろうなぁ?その為に機械科に入った様なものだだった訳だし。。。
 
先ず、小手調べに姉が地方公務員をしていましたので、公務員試験を受けましたが、丁度良い具合に!見事に不合格!!
 
今しか無い、此処で自分の気持ちに正直にならなければ一生後悔する!!
 
ここで、初めて競輪選手なりたいと、非現実的な夢と憧れを話す事になったのです・・・m(._.)m前置き長かっね。。
 
 
家での答えは・・働いて家計を助けて呉れると思っていた様な。。うん、まあ、そうでしょ~
 
そんなにやりたいなら、1年間我慢する!それで成れない場合は諦めろ!!
結構キツイ条件でしたが~自分のやりたい事を、自分で決めた事に、不安よりも嬉しさの方が優っていました
 
とは言え、全くのシロート!身体能力至って普通!!
 
選手になる為には、競輪学校に入校する事が絶対条件!!
当時の倍率は役10倍の狭き門!但し、半年に1回募集していましたので、自分は2回受けられる!言うよりも2回しか受けられません・・・
 
この事を、担任に伝えると、イヤーな顔して夢見たいな言ってるんじゃないよ~と言わんばかりむかっむかっ
 
こちとら、親の了解得れば、先生の一般論なんて知ったことじゃ有りません!
それでも、押し通して~
卒業時の進路先、只の1名(私の事)未定で、
                      堂々と卒業してやりました( ̄ー ̄)ふん~!
 
こうして、選手になる為の奮闘記が始まりました!
とは言え~選手になる為にはどうしたら良いか全く分からず。。。わが町に、只1人だけ選手が要る事を調べ弟子入り志願を致しました
かなりの高齢の方で、私には面倒見切れないとの事で、此処に行けと案内して貰ったのが、選手が街道練習する際の集合場所でした
 
家から、此処まで25キロ、約50キロ皆さんに稽古付けて貰って別れ、25キロ掛けて帰って来るのが日課となりました~!!
 
お休み日は無し!ほぼ毎日・・・暑い日も寒いも。。。
土地柄、北風が強く大変な日が多かった~
プロの方の練習方法は、ダッシュ・ダッシュに我慢!通称もがきと言われいち早く、トップスピードにして、維持出来るだけ我慢する事!!
 
これを何十回とこなします・・登りだろうと下りだろうと。。。ですから、練習コースはアップダウンの有る場所を好んで行うのです~!
 
その後の1人で家路に帰る時には、もう~死にそうな位に疲労困憊で・・
木陰に休んで、ジュースがぶ飲みして1時間位休まないと帰れない日々が続きました。。。
 
その他に朝練習・夕方練もやれとのご指摘で!要は寝ても覚めて自転車以外の事は考えるな!とのことでしょう。。。でないと確かに受かりませんが・・・毎日がきつかったけど、だんだん強くなるのを肌身を通して感じるのが嬉しかった~o(^▽^)o 
 
イメージ 3
 
選手になる為の、初めてのピストレーサー 当時の相棒ですね!
後ろの器具は固定ローラ・後輪の軸部分をこの器具に固定させてペダルを回すものです
 
 
学校の試験科目は1000mを如何に早く走れるかをタイムで競い合います
1次試験が各地区ブロック事に行われ上位200名に絞り込ます
2次試験は競輪学校にて、この1000mに加えフライング200m(俗に言うハロン)・学科・身体検査・面接・公表されていませんが素行調査も間違いなく行われています
 
 
こうして、約1000人受けて100人が学校入校を許されます。。。
自分の場合この2次試験迄は、先の練習にて進む事が出来たのです!
2回とも!!
ですが、どうしても合格には至らず・・・1年が過ぎ去りました~
自分なりに、此処までやっての結果ですから・・・仕方ない。。。
親父に、やるだけの事はやったつもりだ。。働き口を探すよ~と話しました少しばかり、もうこんなしんどい事しなくて済むとの思いも正直有ったのも事実です。。。
 
只のど素人が、夢を叶えるなんて~此処までが精一杯だよ。。。(つд⊂)
 
親父に一括されました!!どうしてもっとやらせて呉れと頼まないんだ!!
もう少しで手が届く処まで、頑張って来たんじゃないか!!諦めるすべはないぞと。。。。
 
親子で泣いた日が有りました。。。この日の事は忘れる事は出来ません~
 
オヤジの励ましが無かったら、今の自分は有りません。。。思い出すと今でも熱くこみ上げるものが有ります・・・・・
イメージ 4
 
       当時の親父とお袋!競輪学校の卒業記念レースにて
 
アマ時代の写真は有りませんでした~それだけ気持ちに余裕が無かったのでしょうね。。
 
 
こうして、さらに練習量を増やし、朝、おやじの車誘導でトップスピードを増す練習を、プロとの練習コースからさらに30キロ距離を増やしトータル130キロの乗りこなしで地力アップを、夕方はローラ台にて回転練習と取り組み、越えられなかった自身壁を破る事が出来ました
 
晴れて競輪学校に入校する事が出来たのです
 
 
その後の競輪学校の様子や、選手になってからの事は、又、近いうちにupしますので~にひひにひひ
 
 
そうそう、競輪学校入校して間もなく、不機嫌な顔していた高校の担任へ自身の写真を送りました。。現在、此処にいますとね・・・
 
イメージ 5
 
 
 
 
                      それじゃ、(*^-^*)ノ~~マタネーパー