研究会報告 #3    メディア情報ネットワーク研究者の集い

 

 

                     駿河台大学名誉教授   今村庸一

 

 

今回、メディアや情報やネットワークに関する研究者で、かつて駿河台大学でともに過ごした3人が集い、各々の専門領域や現在の研究状況などの情報交換を行った。すでに3人とも駿河台大学は退職しているが、長年同じ職場で研究や教育に当たってきたこともあって、大学教育や学生指導の課題なども共有された。そして今後のネット社会やAI時代の諸課題や展望等についても話をした。

 

私が2001年から20年間勤務した駿河台大学メディア情報学部には、メディアや情報やネットワークに関して三つの専門コースが設置されていた。それは映像・音響コース、デジタル・デザインコース、図書館アーカイブスコースである。

映像・音響コースは映像や音響分野の学問的基礎知識を扱うほか、映像制作実習や各ゼミでの作品研究などを通してクリエイティブな知識や技能を習得させ、学生たちにはテレビ局や制作会社等への就職も支援する内容になっていた。デジタル・デザインコースはコンピューターやインターネットの基礎知識を習得させ、テキストや画像処理のソフトウェアを使って実際にデジタル・デザインを経験させるようなカリキュラムが組まれていた。学生の進路としては、プログラマーやウェブデザイナーやシステムエンジニアになるための科目が用意されていた。図書館アーカイブスコースは、図書館や博物館等の管理運営の基礎を学び、情報の記録管理を担うアーカイブに関する専門知識を習得するようになっていた。このコースは資格過程とも連動して、各分野の専門的なアーキビストやキュレーターを養成したり、また図書館司書や博物館学芸員の国家資格を取得できるように指導していた。

当時、私は現役の放送作家でもあったしテレビやラジオの優れた番組を顕彰するギャラクシー賞の選奨委員も務めていたこともあって映像・音響コースの主任も務めていたのだが、この分野は多岐の専門分野に関わっているのと同時に本格的な学問研究のテーマや方法等についてもまだ確立されていなかった。私自身も東京大学大学院社会学研究科でメディア論やジャーナリズム論を研究したのだが、殊に映像や音響メディアに関する研究となると、伝統的な先行研究はまだ十分なものがなく、次々に生じてくるような新しい課題に対応するような研究態勢を模索しているような状況でもあった。そうした中で2001年から駿河台大学の文化情報学部(現メディア情報学部)に赴任することになり、他の専門領域のメディアや情報に関する研究テーマや研究方法も参考にしながら、現在進行形の共通課題を見出していきたいとも考えていたのであった。

1997年に開設された文化情報学部は、当初は情報資源と記録管理を専門とする学部だったのだが、その後の学生のニーズの多様化などから、上記のような映像・音響コース、デジタル・デザインコース、図書館アーカイブスコースの3コースを設置し、名称もメディア情報学部に改称した経緯があった。そうした大学や学部の状況の変化を受けて、私は大学院の文化情報学研究科科長に就任したのだが、そのあとに入職してきたのが今回集まった野村正弘さんと丸山裕孝さんであった。

 

野村正弘さんは、新潟大学大学院自然科学研究科で博物館学やアーカイブ論を修めたのち、群馬県立自然史博物館学芸員を経て駿河台大学文化情報学部へ入職した。専門の博物館学やアーカイブ学を生かして主に図書館アーカイブスコースの科目を担当し、その後、学部教育のほか資格課程主任等も務め、メディア情報学部の学部長を4年間担当した。その当時、私は大学院総合政策研究科科長や文化情報学研究所所長に就いていたのだが、学部の方ではしばらく人事委員長も兼務していて学部教員の任用や昇任等の人事業務には、野村学部長と協力しながら担務していた。学部長という激務にも関わらず、野村さんは研究者として専門の古生物学や博物館学にも精力的に取り組んでいて、とりわけデジタル化が進むアーカイブの分野では大学を代表する研究業績を残してきた。2年前に駿河台大学を退職して名誉教授に就任し、現在は藤沢市にある日本大学生物資源科学部教授として研究や教育に励んでいる。私とは長年一緒に大学業務を行ってきた戦友でもあり、また専門分野は異なるもののお互いの研究分野の情報を交換してきた研究者仲間でもあった。

 

丸山裕孝さんは、東京芸術大学大学院美術研究科を修了し、ウェブデザイナーやグラフィックデザイナーとして第一線で活躍してきたプロのアーティストである。駿河台大学へはデジタル・デザインコースを担当するために赴任し、主にウェブデザインやデジタルコンテンツ制作などを担当したきた。学務ではメディア情報学部教授として入試委員長や文化情報学研究所所長等を歴任し、研究・創作・教育に大きな成果を残してきた。元々は金属工芸や現代アートのアーティストであったが、1980年代に創作したモダンアート作品が世界的に高い評価を受け、その一部はスペインのクエンカにある美術館に収蔵されていた。近年ではインターネットを使用したウェブコンテンツの制作に取り組んでおり、デジタル化が進むアートの世界で新しい表現の可能性を追求している現役のアーティストである。私は文化情報学研究所の所長を二期通算6年間担当してきたのだが、一期目のあとに丸山さんには2年間、この文化情報学研究所長の職を引き継いでいただいたことがある。現役のアーティストにとってはこの任は複雑で困難なものであったはずだが、しっかりと研究所の運営をしていただいた。現在は地元の藤沢市でマンションの経営をしており、これと並行して独自にデジタルコンテンツ制作を推進していて、今なお新しい表現を模索しているクリエイターでもある。

 

今回は、以下のメンバーで各々の立場からメディアや情報やネットワークに関する問題を討論することになった。

 

今村庸一(作家・駿河台大学メディア情報学部名誉教授。専門はメディア論・ジャーナリズム論・映像論・国際関係論)

 

野村正弘(日本大学生物資源科学部教授。駿河台大学メディア情報学部名誉教授・元学部長。専門は博物館学・アーカイブ論)

 

丸山裕孝(ウェブデザイナー・グラフィックデザイナー。駿河台大学メディア情報学部元教授・文化情報学研究所元所長)

 

 

 

 左から 野村正弘  ,  今村庸一 ,  丸山裕孝 (藤沢にて)

 

 

 

                   野村正弘氏

 

野村正弘 (のむら・まさひろ)
1964年生まれ。日本大学生物資源科学部教授。
駿河台大学メディア情報学部名誉教授。
新潟大学大学院自然科学研究科博士過程単位
取得満期退学。群馬県立自然史博物館学芸員を
経て駿河台大学メディア情報学部教授・学部長。
専門は博物館学・アーカイブ論・古生物学。
博物館の展示・教育及び情報等を研究。
博物館展示の実務的研究も進めている。
駿河台大学学部長時代には学生の教育に貢献し
メディアや情報と大学教育にも専門的な知識を持つ。
 
 
 

               丸山裕孝氏

 

丸山裕孝 (まるやま・ひろたか)

1960年生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科

修士課程修了。専門は彫金。現代美術・金属工芸・

ウェブデザイン・グラフィックデザインなどを専門とし、

ウェブエンジニア、グラフィックデザイナー、

アートディレクター、ゲームクリエイターなどを務める。

駿河台大学メディア情報学部教授・文化情報学研究所所長

を歴任。

現在、会社経営の傍ら、ウェブのインタラクティブ

コンテンツ制作に取り組む。1980年代に制作した

テクノロジーアート作品がスペインのクエンカの美術館に

収蔵されている。

 

 

 

                 今村庸一氏

 

今村庸一 (いまむら・よういち)

1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部

名誉教授。専門はメディア論、ジャーナリズム論、

映像メディア史、国際関係論、等。

東京大学大学院社会学研究科修了。東京大学大学院

情報学環客員研究員。放送作家としてオフィス・

トゥー・ワンに10年間所属し、テレビやラジオの

報道情報系、スポーツ系、ドキュメンタリー番組等の

企画・構成を数多く担当する。放送批評懇談会理事・

編集委員・ギャラクシー賞選奨委員等を歴任。

日本民間放送連盟賞テレビ部門選奨委員。飯能市

情報公開及び個人情報保護運営審議委員会会長。

駿河台大学では、文化情報学研究所所長、大学院

現代情報文化研究科科長、大学院総合政策研究科科長、

等を歴任。主著に「映像情報論」(丸善)、他。

 

 

 

 

 

 

ーーー 最近の仕事について

 

野村 :  今勤務している日本大学生物資源科学部では「博物館教育論」「博物館情報メディア論」「博物館展示論」「博物館実習」などを担当しています。学生は全学部で260名位もいて結構大変です。元々は農学部だったので男子が多いかと思っていたのですが、意外にも半分以上が女子学生です。割と真面目でそれなりに能力も高いですね。博物館と学部の専門性という点では、動物の行動展示を学んだ学生がそのまま動物園に就職したり、また水族館の人から水族館のことを学んだ海洋生物学科の学生が水族館に就職したりしています。昨年は水族館に7名が就職しました。基本的に理科系学部なので課題も多く実習室などはいつも満員です。そういう点では文科系の学生よりよく勉強している気がしますね。

一昨年に博物館法が改正されて博物館はデジタルアーカイブを設置して公開しなければならないようになりました。それで各地の博物館はその対応に追われているのですが、神奈川県博物館協会から呼ばれてデジタルアーカイブを作るにはどうすればよいのか講義を頼まれました。それで日本大学の博物館が文化庁登録博物館に指定されて私がその学芸員に認定されました。アナログからデジタルに変わると博物館の世界では間違いなく仕事量が増えますね。

 

丸山 :  これまでずっと考えてきたウェブのアプリケーションを開発しようと思って、今データベースの使い方などを独自に勉強しているところです。一般的なデータベースは大体分かったのですが、INDEXだけでなくSQLも自分で作らなければならなくなりました。ある程度Interfaceが出来てそれをどうやってつなぎ合わせるのかとなると、そのための独自のSQLを自分で開発する必要があるのです。もう一段階上のレベルのシステムを作ろうと思うといろいろな問題も出てきます。昨年あたりからデータベースの技能や知識を勉強してスキルも上がってきましたが、出来れば究極のドメスティックデータベースを構築したいと考えています。それを元にして事業コンテンツが作れないかと思っています。今考えているのはプログラミングの教育コンテンツで、将来的には関心がある人を対象に課金して事業化も考えています。自分ではこれをアート作品だと思っていますけれども、ウェブ上に公開しても誰もそれが作品だと気づかないかもしれないですね。自分ではこうした作業は技術ではなくて造形だと考えています。印象派の画家が、これはカメラじゃなくて新しい視点を持った絵画を創作したように、自分ではプログラミングを使って創作した造形であり作品だと考えているのです。情報がデジタルになっても、人間はこういうものでしょう、というような表現をしたいと思っているのです。何年かかるか分からないですけど、少しずつ前に進めているところです。

 

ーーー 情報化や生成AIの開発で何が変わるか。

 

今村 :  最近よく考えることは、将来コンピューターやAIが発達していって、芸術や文化でも人間とは違った価値観をコンピューターが持つようになったらどうなるのか関心があるのです。20世紀に人類が成し遂げてきた様々な活動を大きな視点で見てみると、文化でも芸術でも作品を制作した人たちも大切だけれども、それが価値のある作品だと判断して芸術や文化に仕立て上げた人たちの存在に関心があるのです。例えば、有名な例としてはミロのヴィーナスがいつから「芸術」になったのかと言えば、それは地中海のクレタ島に埋まっていたときではない。それが掘り出されてフランスに運ばれ、ルーブル美術館に陳列されたときに、ミロのヴィーナスは初めて「芸術」になったのだという話があります。それからあのゴッホなどは、生前は全く絵が売れなかった。弟のテオが一生懸命やって兄の絵を売りに出したのだけれども、ゴッホが生きている間は一枚も売れなかった。ところがゴッホの死後、その絵の価値を認めて市場に売り出して優れた作品にした人たちがいるわけです。その結果、我々は今ゴッホの作品を美術館で見ることが出来て、物によっては数10億円もの値段がついてくるものもある。それはその作品の創作をしたゴッホ自身も頑張ったかもしれないが、彼の死後になってその作品に高い価値を見出して「芸術作品」という付加価値をつけて美術館に陳列した人たちがいたから、広く世界にゴッホの作品が高い評価を受けているとも言えるわけです。つまりどういうことかと言えば、確かに芸術や文化などの創作活動をする画家や芸術家などの活動は立派であるけれども、それを評価して「作品」として価値を認めてきたのは、これまでは人間が行ってきたということなのです。それには作品の情報を解読して評価し、芸術や文化における「意味論」の世界を具現化する主体が必要で、それは従来まではあくまでも人間が行ってきたということになります。

しかし20世紀後半になると、芸術や文化自体が抽象化されたり概念化されたりして、その作品自体に明確な「意味論」を定義づけて評価すること自体が不可能になってきたと言えます。モダンアートは作品そのものよりも、作品が創作される過程の思想や哲学やそれらを表象するイメージなどが大切になってくるからです。そうなると誰かが作品から意味を見出し評価しなければならないわけですから、それが人間ではなく将来はAIが行うようになったとしたら、どういうことになるのでしょうか。

現在のコンピューターや生成AIの開発によって、様々な新しい情報処理による価値観の変化が生じてきています。その多くは、従来まで芸術や文化活動を評価する「意味論」の世界の活動は人間が行うものだという大前提が崩れ、コンピューターが人間の芸術や文化の価値を評価することが可能なのかという疑問が生じてくることになるのです。今世紀に入ってからビッグデータとディープラーニングを使った情報処理技術が格段に進歩し、人間の行動や思考のパターンだけでなく、人間の感性や価値観まで生成AIで解析されるような時代になってきました。しかも将来汎用型AIがさらに進化を続けると、人間の理解を超えた「意味論」の世界をコンピューター同士で競い合うようになり、どちらのAIが芸術作品や文化活動をより正しく評価できるのかという問題になることも考えられない話ではなくなります。そうなると、いよいよ芸術や文化とは何なのかという疑問が出てきて、場合によってはコンピューターの示す最適解を満たす作品が「最高の芸術」と定義されてしまうかもしれません。そのとき芸術や文化と人間の関係はどういうことになるのでしょうか。私はこのところそんな問題意識を持っているのです。

 

丸山 :  印象派が出てきたときは新しい写真技術が開発されてきて、それに対して絵画とはこういうものだというメッセージがあったと思うのです。でもそれ以降はピカソあたりまでで終わってしまっていて、現在のデジタル技術が出てきてから、それに対する新しい芸術や文化があるかというと、それは全くないのではないでしょうか。展覧会とか言っても19世紀の印象派やせいぜいピカソあたりまでの作品を繰り返し陳列しているのを眺めているだけで、20世紀後半は本当の意味での新しい表現はないと思うのです。

 

野村 :  もう現代アートになると、いいのか悪いのか、訳が分からなくなってしまって、実は誰も評価なんか出来なくなっているんじゃないでしょうか。

 

今村 :  その訳が分からないものを評価するのに、AIやビッグデータが出来るかと言うとそれもまた変な話になりそうですね。コンピューターの膨大な情報を解析する作業は、最初に入力されていた基礎データの条件を少し変えるだけで、結果はいくらでも変えられるわけです。現代アートなど誰も判断も評価もできないものになってしまうと、逆にどんな結論でも成り立ってしまうものです。極端な話ですが、トランプ大統領が「これが俺は一番美しいと思う」と言って定義してしまえば、一部の人が共感することはあるかもしれないが、誰もそれを否定することもできない訳です。このようなデジタル技術やAI等が開発されればされるほど、人間はますます自信を失って、何かの価値を判断することも評価することも出来なくなってしまうのではないかという悲観的な見方が出てきそうですね。

 

ーーー 人間の五感と情報化の関係

 

丸山 :  実は僕、時々茶道の先生のところに通っているんです。昔、何種類かのお茶が出てきて、その銘柄を当てる効き茶とか闘茶とかいうものをやったことがあるんですけど、僕だけ全部当てることが出来ました。それ以来、お茶の先生が僕のことを信用して、何かあると僕に効き茶をしたりするんですよ。

 

今村 :  それは面白い。丸山さんは、芸術家で感性が人一倍優れているから、お茶の味も正確に分かるのでしょうね。実は、このようなテーマについて、私自身も以前から関心を持って考えてきたことがあります。人間の五感には、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚があるのですが、このうち近代の科学技術の発達によって、この人間の感覚を情報化して伝達するものとしては、映像と音響、つまり視覚と聴覚の分野だけが、他の感覚と比較して突出して開発されてきたことに気がつきます。視覚という点では、19世紀の写真技術の開発から始まって、映画、テレビ、動画配信、等々、劇的な進歩を見せてきました。聴覚も同じように、19世紀末のエジソンの蝋管から始まって、レコード、蓄音機、ステレオ、CD、iPod、等々、こちらもこの150年ほどの間に長足の進歩を見せました。現代では、この映像・音響情報は完全にデジタル化され、世界中の人々にスマホやSNSで利用されています。ところが、人間のそのほかの感性はどうでしょうか。味覚や嗅覚に関しては、近年になってデジタル化しようという試みはありますが、まだこれが正確に情報化されるところまでは行っていません。触覚については、まだまだ研究途上の状態です。人間は触覚の「感じ」を伝達するためには、今でも「ザラザラした感じ」とか「ヌメリがある」とか、そのような「言葉」に置き換えているのが現状です。ただ同じものに触れた感触でも人によっ感じ方も違うでしょうし、言語の違いによっても恐らく異なった感覚を意味しているのではないかと考えられるのです。

丸山さんが、効き茶や闘茶で優れた味覚の持ち主であるのなら、それと同じように人によっては嗅覚に優れた感覚がある人や触覚に優れている人もきっといるはずです。これらを何らかの評価値のような数値に置き換えることは難しいとは思いますが、それが出来なければ正確な比較は出来ません。映像や音響やテキストに関する情報がデジタル化という作業を通じて一元化され、マルチメディアとして同時に同じフレームで情報処理出来るようになったことは画期的なことだったのです。それは偶然このようになったのではなく、各々の五感のもっている特性とそれを伝えるメディアの開発や発達に応じて、今日に至る感性とメディアの歴史が形成されてきたのです。しかしこの五感とメディアの開発は、視覚や聴覚以外の世界でもこれから将来にかけて様々な技術革新が実現していくことでしょう。この日、3人で食したアジフライの味が、それぞれどのように美味しかったのか、将来生成AIがさらに進化するとこうした味覚に関する情報ももっと正確な情報に置き換わる日が来るのかもしれませんね。

 

野村さんは、今後のご自身の活動に関して、どんな抱負がありますか。

 

野村 :  私の研究としては、引き続き有孔虫の化石を調査しながら関東平野の形成過程を調査分析しています。今勤務している藤沢市六会の日本大学のキャンパスから出てきた化石があるのですが、ここまで古相模湾が来ていた証拠になっていて、この場所で有孔虫の化石を確認できたのは私が初めてだったそうです。また教育としては、学生たちに博物館研究会というサークルを作らせているのですが、今、横須賀の博物館で地元の子供たちを対象にした理科フェスティバルというのをやっていて、子供たち向けのブースを作って活動しているのを手伝っています。やっぱりそういうところに来る子供たちはやる気もあるし、この子たちが将来こういう仕事に就いてくれるかもしれないと思うとやりがいがありますね。

 

今村 :  お二人とも研究者、教育者、実務者、クリエイターとして、これからも充実した日々を送られることを祈念したいと思います。本日は楽しく、貴重な話をすることが出来ました。また機会があれば続きをやりましょう。ありがとうございました。

 

 

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本日は久しぶりに駿河台大学時代に一緒に仕事をした仲間、野村正弘さんと丸山裕孝さんと今村庸一が集まり、最近の仕事や関心事、さらには情報化やデジタル化などに関して、闊達な意見交換を行うことが出来た。3人とも専門分野は違うが、メディア情報学部の教授として研究や教育に尽力してきたことで、同じ釜の飯を食ってきた戦友とも言える仲間でもある。私は20年間勤務した駿河台大学を4年前に退職し名誉教授になったのだが、この4年間の間にもメディアや情報やネットワークを巡る動きは休む間もなく、新しいものへと気ぜわしく更新を続けている。

1980年代に私が放送作家の仕事を始めた頃、任天堂のファミコンが登場して世界を一変させた。こんなものを子供たちが物心ついた時期から四六時中見ていると、これから生まれて来る子供たちの感性がますますおかしくなってしまうのではないかと危惧する識者の意見もあった。

あれからすでに40余年の時が経過した。デジタル技術と情報化は、その後の人類の歴史にとって一体何をもたらしたのだろうか。同じ時間と空間を生きてきた研究者同士がこうして集まって、各々の異なった立場から意見交換をして問題の所在を共有していく試みは、研究者や教職者にとっても大切なことではないだろうか。今後も機会があれば、このメディア情報ネットワーク研究会(MIN-LABO)の場で、引き続き情報を共有していきたいと思った。(今村庸一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メディア情報ネットワーク研究会 (MIN-LABO)  運営試案と研究対象分野について

 

 

メディア情報ネットワーク研究会 (MIN-LABO) では、これからの活動方針や組織運営について試案を作成しています。基本的にはメディアや情報やネットワークに関する様々な情報交換できる「場」を設定することにあります。ここに各々の専門分野で優れた業績のあるメンバーが集い、多角的な視点からの考察や分析を行って、意味ある知見や提言等を発信していくことを目標としています。従来までの固定観念に囚われることなく、また常識や通説を常に再検証しながら、複雑で多様なメディアや情報の諸問題を広く深く考えていけるような組織を目指します。

具体的な活動は、出来る限り少数精鋭の組織とし、メディアや情報やネットワークを専門とする研究者、経営者、制作者、ジャーナリスト等の幅広い人材が交流し、若い世代に向けて情報発信していけるような内容にしたいと考えています。

以下、現段階での運営試案と具体的な研究対象分野について、基本的な構想を記しておきました。「情報コンテンツ研究」と「放送・情報通信ネットワーク研究」のふたつの分野で専門的な知見を共有しながら、構造的な課題を吟味し問題解決のための提言ができるように、機能的なな運営方法を追求していきます。

 

 

 

メディア情報ネットワーク研究会 (MIN-LABO)   運営試案

 

 

1.      組織     当面は事務局を置き、会長、副会長、理事長、顧問、等を置く

 

2.      活動     HPやブログを作成し、定期的に情報発信を行う。

         一年に数回の例会を開き、テーマに沿って意見交換やヒアリングなどを行う。

         テーマに関して、現状分析や過去の事例、海外事情、国際比較、等を行う。

         テーマによっては、専門的知見を持つゲストスピーカーを招聘し、講演と討論を行う。

 

   適宜、HPやブログやYouTubeなどを利用しながら、情報発信を行う。

 

3.      資格制度   研究会としては、これまでの実績や経歴を勘案して、研究員としてフェローを任命する。

         フェロー制度は、理事会の承認を必要とし、研究テーマに即した人材を選抜する。

         大学教授、ジャーナリスト、番組制作者、研究者、等々、専門分野から選抜する。

 

4.      顕彰制度   メディアや情報に関する研究論文、評論、随筆、などを公募し、審査して顕彰する。

       メディアや情報に関する歴史的考察、社会的考察など、斬新な作品を期待する。

 

5.      資料検証   メディアや情報に関する資料を検証し、歴史的価値のあるものは、改めて再評価する。

       映像資料としてニュース、ドキュメンタリー等を中心に検証を加え、同一テーマの内容分析、比較分析、時系列分析等を行い、現代の問題や課題と照合する。

 

6.      研究     メディアや情報に関する活動について、様々な分野を総合して研究していく。

 

(1)    報道ジャーナリズム研究 ・・ 個々の事例、海外との比較等

(2)    情報通信技術・情報システム研究 ・・ 情報のデジタル化を技術的条件から分析

(3)    法制度の研究 ・・ メディアや情報に関する法制度の検討。海外比較、運用の検討

(4)    記録管理の研究 ・・ メディアや情報の記録管理と歴史資料の課題を検討

(5)    産業ビジネスの研究 ・・ メディアや情報の産業の構造、海外比較、市場やモデル分析

(6)    歴史社会文化の研究 ・・ 作品や番組等の歴史社会文化との関係を多角的に分析

 

7.      その他    研究会という会の性質上、出来る限り少数精鋭の組織にして専門性を担保する。

        少人数からなる役員を中心にして、メディアや情報のアカデミーを構築する。

        財源は、各種関係団体からの協賛制度や寄付金等を当面は考える。

        ある程度、組織が出来たところで、研究テーマに応じてフェロー制度を導入する。

        主な活動はネット上で行い、オンライン会議やHPやブログ等を通じて活動実績を報告する。   

 

 


 

 

研究対象分野


 

<情報コンテンツ研究>

 

1.     報道ジャーナリズム分野

 

テレビ放送の場合、日々のニュースや特集など、報道分野の番組を中心にジャーナリズムを検証する。

とりわけ映像情報がどのように伝達され、どのような影響を与えているのかを、内容分析や計量分析等を通して考察していく。国内政治、国際政治、事件事故、社会事象等に関して、テレビが何をどのように伝達しているのかを分析し、課題を発見し克服していく方法を模索する。

 

2.     ドキュメンタリー分野

 

テレビ放送の中でも、テーマに応じてドキュメンタリー番組を中心に検証する。この分野では一度放送された番組が、その後、どのような影響を与えたのかを追跡するとともに、同一テーマの扱い方や、番組制作上の課題についても検証していく。またキー局だけでなく、過去にはローカル局が制作した優れたドキュメンタリー番組もあるので、ドキュメントのシリーズの中からテーマ別に再評価を実施し、テレビのドキュメンタリー番組として有意義な表現方法や課題などを検討していく。

 

3.     スポーツ番組分野

 

スポーツはマスメディアの発展によって、最も市場規模が拡大した分野でもある。オリンピックやサッカーW杯などに見られる世界的イベントとテレビなどのマスメディアがどういう関係を築いているのか、歴史的展開とメディアの課題において検討を加える。またテレビ放送の多チャンネル化や専門チャンネル化と、インターネットの爆発的な拡大によって、メディア相互の複雑な役割分担が行われてきている。プロ野球の中継も地上波からBSCSが主流になり、それがメディアの歴史から見ると何を意味するのか分析する。

同時にスポーツとメディアイベントの研究も大切で、夏の高校野球や正月の箱根駅伝などは、テレビ放送がイベントと同期してメディアイベントに定着させていった事実がある。このようなコンテンツとしてのスポーツ文化と、メディアや情報との関係を、社会的、歴史的に解析していく。

 

4.     アーカイブ分野

 

メディアや情報を研究する上で、歴史資料としての情報管理の問題は極めて重要である。特に映像資料は各々の放送局や制作会社等で、きちんと記録保存されていることが望ましいが現実には不十分であろう。

フランスなどでは、国家レベルで情報の記録管理の制度が整備されており、INAなどでは膨大な映像資料が国の組織として記録管理されている。日本では図書館や博物館などで、資料管理が行われているものの、統合された制度や組織がないため、情報の管理方法や基準などが曖昧で、貴重な資料が散逸されている事例が数多く見出される。テレビ番組も同様で、このような映像資料のアーカイブに関する専門的な研究者の育成や制作現場の当事者との連携が不可欠になっている。これは諸外国でも同様であるが、こうした問題を、学際的な立場を踏まえ様々な領域を超えて、専門的に研究する人員や組織が、今必要になってきている。


 

<放送・情報通信ネットワーク研究>

 

  

1.     放送及び情報通信ネットワークの事業分野

   

放送及び情報通信ネットワーク事業に関する事業体の経営や運営について分析する。

インターネットの開発によって、放送や通信事業の融合について現状と課題を議論する。

デジタル化の技術開発の推移を確認して、放送及び通信事業者に与えてきた影響を考察する。

放送では、地上波、CATVBSCS放送、ネット配信等の事業主体の組織や運営内容を診断する。

通信では、NTTau、ソフトバンク、その他のモバイル事業の可能性と課題を整理する。

日本と海外の放送・通信事業の運営状況について、国際比較を行い、共通点や相違点を検証する。

各々の研究分野の専門的知見を比較し、インターネットの普及との功罪について分析する。

放送及び情報通信ネットワーク事業の産業構造やビジネスモデルに関して考察を加える。

 

 

2.      放送及び情報通信ネットワークの受容分野

 

放送及び情報通信ネットワークの市場や利用者等の受容研究を行う。

放送及び通信事業の利用形態や世代・年齢・性別等の利用状況を精査して推移と傾向を分析する。

インターネットを経由する情報提供の市場を調査し、コンテンツの利用状況と問題点を整理する。

ネット事業者、プロバイダー、アプリ事業者、等々の役割と、利用者との受容関係を考察する。

放送及び情報通信ネットワーク事業者の経営形態(B to BB to C )による利用状況を解析する。

放送局、通信事業者、コンテンツ制作者と、読者や視聴者、ネット利用者との関係の変化を調査する。

映画、テレビ番組、ネット配信等の事業形態と、各々の利用状況や受容者の特性・目的等を分析する。

 

 

3.      放送及び情報通信ネットワークの制度分野

 

放送及び情報通信ネットワークに関する各種制度とその影響の研究を行う。

放送法、電波法、情報通信事業者法、等の放送及び情報通信ネットワークに関する制度を整理する。

各々の制度の成立時の目的や変遷を確認し、その後の技術的・政治的・社会的背景を考察する。

放送及び情報通信ネットワーク事業の制度を、国際比較検討して共通課題や相違点等を明確化する。

現行制度の課題や問題点を指摘し、異なる専門的視座から改善策や適用条件等を考察する。

メディア情報ネットワークに関する公共性維持と規制緩和の双方から、メディア制度を研究する。

メディアに必要な制度の思想や理念について、広範囲な知見から意見交換し有意義な提言を行う。

 


研究会報告 #2    1990年代の衛星テレビ BSとCS

 

 

1990年代に日本でも急速に普及した「衛星テレビ」について、当時の事情を振り返りながら、その後の30余年、現在に至るまでの経緯を確認して課題や問題点を探ることにしました。参加者は、以下の通りです。

 

 

  左から 南晋一郎、今村庸一、砂川浩慶、上原伸元

 

 

 

今村庸一 :  1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部名誉教授。専門はメディア論、ジャーナリズム論、映像メディア史、国際関係論、等。東京大学大学院社会学研究科卒。東京大学大学院情報学環客員研究員。放送作家としてオフィス・トゥー・ワンに10年間所属し、テレビやラジオの報道情報系、スポーツ系、ドキュメンタリー番組等の企画・構成を数多く担当。放送批評懇談会理事・編集委員・ギャラクシー賞選奨委員を歴任。日本民間放送連盟賞テレビ部門選奨委員。飯能市情報公開及び個人情報保護運営審議会会長。駿河台大学では文化情報学研究所所長、現代情報文化研究科科長、総合政策研究科科長、等を歴任。

 

今村庸一・名誉教授

 

 

 

砂川浩慶 :  1963年生まれ。立教大学社会学部教授・学部長。専門は放送論、メディア論、等。早稲田大学教育学部卒。日本民間放送連盟を経て現職。新聞や雑誌にメディア時評を多数執筆。これまでWOWOWやJスポーツなど数多くの放送局で番組審議委員長を務める。放送局の運営や管理にも詳しく、総務省の放送行政とNHKや民間放送局との問題にも深い知見がある。

 

砂川浩慶・教授

 

 

 

上原伸元 :  1969年生まれ。東京国際大学国際関係学部教授。専門はメディア論、コミュニケーション政策論、等。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程単位取得満期退学。国際通信経済研究所(RITE)を経て現職。情報通信学会及び日本マス・コミュニケーション学会(現・日本メディア学会) の理事、幹事、委員、等を歴任。近年は放送制度の形成過程と連関性について研究している。

 

上原伸元・教授

 

 

 

 

南晋一郎 :  1956年生まれ。前・東京MXテレビ専務取締役。現在、東洋大学情報連携学部・特任研究員。東京大学文学部英文科卒。電通で営業職を長く担当し、その後、電通アドギア代表取締役社長、東京MXテレビ専務取締役に就任。メディアの広告現場やテレビ局の運営・経営に精通しており、電通時代は大手スポンサーの営業を担当。巨大企業の広報とメディアの関係について現場の専門知を有している。

 

 南晋一郎 氏

 

 

 

今回は1990年代のBS・CS放送による衛星テレビについて意見交換を行った。

まず日本の衛星放送は1980年代にNHK-BSから始まり、1991年にWOWOWが開局したが、それからすでに40年近い年月を経て、当時の日本の衛星テレビについて各々の立場からの指摘が出てきて意見交換をした。

 

その中で開局時のWOWOWについては、民間放送で初めての有料化が実現したことから大きく注目されたが、民放連で同局の開局事務に携わっていた砂川や、スポーツの番組を担当していた今村などから、開局当初の放送局としての混乱ぶりが語られた。WOWOWは実験的な要素もあったが、開局時の社員は異業種からの寄せ集めが多く、これが災いして様々な挫折も経験していた。1990年代半ばからパナソニック出身の社長が就任して経営を立て直したことにより徐々に業績も上向いていき、契約者数200万件を突破した。4人の意見が共通していたのは、WOWOWは有料チャンネルなので地上波テレビと比べるとあくまでもプレミアテレビという印象があり、番組編成でもそれに見合うような内容が求められてきたことであった。しかし現在ある3系統のチャンネルには、映画、音楽、スポーツ、ドキュメンタリー、ドラマ、・・等々の番組が混在している点で地上波と同じ総合編成であり、何かに特化した専門チャンネルにはなりきれなかったのではないかという指摘があった。その中でも、例えばテニスの錦織圭が活躍することで若い女性層に契約者が増え、それがテニスの国際大会を継続して視聴する固定客になっていったこともあった。その後のWOWOWの契約者数は、200万~300万件の間を推移しており、開局以来34年間この数字を維持してきたのは、その後の多チャンネル化やネット配信が拡大してきたことを考えれば、むしろよく健闘している方だという評価で一致した。WOWOWだけでなく他のBS各局も同様の問題を抱えており、これから独自のキラーコンテンツを持たない限り契約者数を伸ばしていくのはなかなか難しいのではないかという意見もあった。

 

次にBS・CS放送で一気に普及したニュース専門チャンネルの話題になった。海外のテレビ番組が日本の放送局等の組織を経由せずに、24時間ライブで直接視聴者に伝送されるようになったのは、実は1990年代にCS放送が開始されたときが初めてのことである。1980年代の後半には、衛星放送の普及で海外の放送が国境を越えて伝送されることが大問題になった。この問題はいち早く国連でも取り上げられ、直接衛星放送を受信する場合の国際基準であるDBS原則が設けられた。その後、東ヨーロッパの社会主義諸国で西側の魅力的なテレビ放送がパラボラアンテナを使って密かに視聴されていたことが契機となり、1989年のあのベルリンの壁崩壊に象徴されるような東欧革命に繋がったという見方もある。この問題は衛星放送の電波を意図的に国外に配信する場合もあれば、狭いヨーロッパでは厳格に国内だけ配信することが難しく結果的にスピルオーバー(電波漏れ)する場合もある。この問題は世界中の国で議論の対象となったが、その具体的対応については各々の制度の下で処理されることになっていた。すでにアメリカのCNNインターナショナルやイギリスのBBCワールドなどは、24時間体制で衛星放送でニュースのライブ配信を始めていたが、日本の放送法では外国の放送をそのままライブで配信するわけにはいかなかった。ここに新たに展開してきた「通信」に分類されるCS放送のプラットフォームが一躍注目されることになり、スカイポート系でCNNインターナショナルが、CSバーン系でBBCワールドが24時間リアルタイムのニュース配信を行うようになった。今回の議論の中ではこの時期、このような形でテレビの国際報道の新しい道が開かれたことは大きな意義があり、これがCS放送というシステムで実現したことは有意義であったという意見で一致した。

 

衛星放送のニュース専門チャンネルという点では、日本を含むアジアの放送事情はどうかという観点が議題になった。日本では何といってもNHK-BS放送がいち早くBSニュースの定時放送を始めたが、当初は日本のアジア版CNNを目指したGNN構想というものが計画されていた。それはCNNやBBCなどの欧米先進国による英語のニュース配信だけが世界の24時間ニュースになってしまうのは好ましくないということから、日本発のアジア版のニュース専門チャンネルを開設すべきであるという意見もあった。すでにNHKには海外向けの国際放送があったわけだが、BSで世界に向けて定時にリアルタイムのニュースを配信することは、国際報道のシェアを日本も確保するという点で意味のあることではあった。しかし残念ながら、日本発24時間ニュース専門チャンネル構想は実現しなかった。やはり英語と日本語では世界のマーケットにおける需要も大きく異なるし、日本発の情報がどれだけ必要とされているのかも不明であった。NHK-BSではニュース配信は継続しているものの、24時間専門チャンネルにするところまでは踏み切れなかったようだ。日本で実現しているのは、CS放送で配信している「TBSニュースバード」と「日テレニュース24」である。これはTBSと日本テレビの報道局が独自に配信しているサブチャンネルで、基本的には30分毎に最新ニュースに更新され、緊急速報がある場合にはいつでも割り込んで「Breaking News」というライブ配信できるようになっている。これも1990年代から導入された衛星テレビの功績のひとつであるが、そのほかにも民放各局は地上波に加えてBSとCSにいくつかのサブチャンネルを持つようになり、そこでニュースも適宜チャンネルを使い分けるシステムが採用されている。このように地上波、BS、CSの棲み分けはスポーツなどでも見られるが、映像の権利関係や利用者の使い勝手からすると必ずしも最善のシステムとは言い難い。また日本のテレビニュースは、ローカル局のニュースをどうするべきかという問題もあるので、単に衛星テレビが普及すればよいという問題ではないという意見があった。むしろ世界から伝えられるニュースを配信することにばかり労力が注がれて、日本から世界に発信する作業が弱いのではないかという意見も見受けられた。

 

1990年代のCSで放送される専門チャンネルの中で、アニメ専門チャンネルも登場した。日本のテレビアニメと言えば、1963年にフジテレビで「鉄腕アトム」が放送されたのが最初だが、それ以来、人気アニメシリーズは高い視聴率が獲得できることから、民放キー局のゴールデン枠で放送され、子供の生活時間に合わせた番組編成が採用されていた。しかしCS放送でアニメ専門チャンネルが登場してくるとそのような放送時間の概念は一変し、24時間あらゆる時間帯でアニメが放送されるようになった。この時代にはすでに家庭用ビデオデッキが一般家庭に広く普及したことにより、アニメも好きな番組は録画することができるようになったが、これもCS放送の普及に一役買っていたと考えられよう。またアニメはアメリカのディズニー社のように、テレビだけでなく劇場用作品とタイアップさせ、また過去の名作も含めて24時間体制の配信を実施しているところもあった。日本のCS放送のアニメ専門チャンネルとしては「アニマックス」「キッズステーション」「カートゥーン ネットワーク」などがあるが、この多くが各地のCATV局やスカイパーフェクTVの基本パッケージに組み込まれていて、アニメチャンネルというひとつのジャンルを構成している。漫画が「少年マガジン」や「少年ジャンプ」などの雑誌から始まり、それが「鉄腕アトム」以降はテレビアニメ番組として地上波放送、そしてBS・CS放送へとメディアの発展に合わせて販路を拡大してきた。このようなアニメとメディアの関係を歴史的に考察するならば、1990代のBS・CS放送におけるアニメ専門チャンネルの登場というのもまた両者にとっては特徴的なことでもある。今また近年のネットを経由した動画配信サイトが急拡大する中で、アニメもまたその激しい変化の中で配信のスタイルを変化させようとしている。「YouTube」「Netflix」「TVer」「TikTok」などでも、アニメは数多くの利用者を獲得するキラーコンテンツであることに変わりはない。メディア環境が変わることにより、アニメ界の広告収入やビジネスモデルがどのように変わっていくのか、さらに注目する必要があるという意見が多く見られた。

 

今回は、私が1995年から1997年に「放送批評」という雑誌に連載していた「メディアコラム」の記事を材料にしながら、この時代に普及していったBS・CS放送の「衛星テレビ」について、いろいろな意見交換を行った。約30年前の出来事だが、つい昨日のことのように感じられるのは、その間の時間の推移があまりにも速かったことの証明なのかもしれない。この時代をそれぞれ異なる専門分野で過ごしてきた4人によるディスカッションは、それなりに問題の掘り下げや再確認の作業にもなり、なかなか有意義な内容であった。参加された各位に改めてお礼を申し上げたいと思う。以上 (今村庸一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

                     今村庸一 (駿河台大学名誉教授)

 

激しく変化するメディアや情報の問題を考えるとき、どうすれば広く深く考察することができるでしょうか。テレビやネットの情報に接し、様々な問題に遭遇した経験は誰でもあると思います。また一口にメディアや情報の問題と言っても、それは技術的、制度的、産業的、社会的、文化的、・・と多岐に渡るもので、各々の専門的知識や経験が求められるはずです。そうした中で、テレビを中心とするコンテンツが近年どのような変遷を辿り、どのような構造の変化があるのかを、時系列で追跡しながら考察を加えていくことは、有意義な知見を得ることができると考えられます。メディア研究では一般にコンテンツの時系列分析といわれますが、この手法を踏まえて専門分野の異なるメンバーで意見交換をしてみることにしました。
 

今回扱うのは、今から約30年前の「衛星テレビ」です。日本の衛星放送は1984年にNHKで放送衛星を使ったBS放送が始まりました。1991年には民間放送のWOWOWが初の有料放送を開始し、テレビは地上波に加えて衛星放送の時代に入ってきました。その後、BS放送もデジタル化され、民放キー局には各々サブチャンネルとしてBSの電波が割り当てられるようになりましたが、いずれも事業展開に苦戦しており、地上波の再放送やテレショップなどで時間を埋めているのが実情です。

またそれと並行するように1990年代には、銀行や総合商社やメーカーなどが中心になって独自の通信衛星を経由したCS放送が配信を始めました。これは従来の放送とは違ったいわゆるプラットフォーム型配信で、ニュース、音楽、スポーツ、映画、などの専門チャンネルが24時間体制で番組を配信するものでした。このCS放送はデジタル化される前のアナログCSといわれるもので、当初はスカイポート系とCSバーン系の二つのプラットフォームがありました。しばらくして再編され、JスカイB、パーフェクTV、ディレクTVの三系統になりますが、このうち契約者数が伸び悩んだディレクTVが撤退し、JスカイBとパーフェクTVが統合されてスカイパーフェクTV(スカパー)となり、現在に至っています。

2000年代に入ると、BSCS、そして地上波もテレビはデジタル化が進み、次々と多チャンネル化に移行されて放送時間枠は拡大しましたが、新たな番組やコンテンツを制作する余裕はなく、再編と淘汰が繰り返されてきました。そうした中でもスカイパーフェクTVを筆頭とするCS放送は各地のCATVJCOMなどとタイアップすることにより、一定数のパッケージ契約者を確保することに成功しました。また民放キー局もそれぞれCSにもサブチャンネルを設置するなどして多様なコンテンツを配信するようになり、CS放送は全体として確固とした地位を得るに至っています。

さらにこの時期はインターネットやパソコンやスマホが爆発的に普及し、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画配信サイトが急拡大してきたことも大きな変化でした。ネットのアプリ開発は世界中で進められテレビとは異なるビジネスモデルが広がっていきました。すでに日本国内の広告収入ではテレビはインターネットに追い抜かれ、若い世代からはテレビは新聞と並んでオールドメディアと呼ばれるようになってしまいました。
 

このような激しい変化に晒されてきたメディアは、今後どうなっていくのでしょうか。日々の変化があまりにも目まぐるしいので、メディアの辿ってきた歴史をつい忘れてしまいそうですが、大切なことは変化の陰に隠されている本質を見逃さずにしっかりと時系列で物事を考えることです。とりわけメディアの総合的な研究となると、同時代に起こっている目先の現象を単に追いかけるのではなく、複数の視点からそれを比較分析して解析を行うことも大切になります。

このように30年前のBSCSの衛星テレビを振り返りながら、その後、テレビがハードでもソフトでもどのような変化をしてきたのか。またそれは現代の状況と比較することで、どのような問題や課題が見えてくるのか。さらにはテレビが番組として提供してきた映像や音響等のコンテンツは、これから先ネット配信も含めてどのようになっていくのか。こうした問題意識を共有した上で、様々な専門的な立場から意見交換し議論を深めてみたいと考えています。
 

今回は、私が1995年から1997年まで「放送批評」に連載していた「メディアコラム」を参照しながら、当時のBSCS(アナログ)の状況を再確認することから始めることにしました。当時は衛星テレビが普及したことから、地上波テレビにはなかったような新しい環境が出現しました。BS放送では、まずNHKがニュースやスポーツを中心とした報道情報系チャンネルのBS1を設置し、また映画や音楽などに特化した娯楽文化チャンネルBS2も充実を図っていました。またBSで初の民間放送としてスタートしたWOWOWは、映画、音楽、スポーツ、などを中心に課金システムを採用し日本初のペイチャンネル注目を集めました。この方法が日本の放送制度の中でビジネスモデルとして定着していくかどうかも課題に挙がっていたのです。CSでは前述したように、スカイポート系とCSバーン系がプラットフォーム型の番組配信を行っていて、番組受託事業者という新たな経営システムが導入されました。当時はあくまでもCSは放送ではなく通信の一部であるという認識でしたが、やがてBSCSも同じような番組提供をしていることからBS放送、CS放送と称されるようになりました。かねてから放送と通信の融合が唱えられていたのですが、日本では所轄官庁が異なり放送が郵政省(現・総務省)、通信が通産省(現・経産省)となっているため、免許制度などの法律や事業者の要件等についても別々のものと解されてきました。世界的に見ても衛星放送は各国に普及しているのですが、それをBSCSに分けて所轄する官庁を別にしている国は実は日本しかないのです。このような制度上の矛盾は現在でも続いていて、日本の放送通信行政の停滞の一因となっているという指摘も依然としてあるのです。
 

さてそのような状況で1990年代に一気に普及していったBS放送とCS放送ですが、この時期の番組の中身がどのようなものであったのか、時が過ぎると忘れてしまいがちです。全体的な新たな特徴としては、NHKや民放の全国ネットのテレビでは放送されなかった番組が登場しました。

例えばそのひとつが24時間ニュースやスポーツや映画などを放送する専門チャンネルの登場です。これはアメリカでは、チャンネル毎に有料化されるペイチャンネルや、番組毎に有料化されるペイパービューなどが一般的ですが、日本では人気のある専門チャンネルを基本パックとして課金したり、またCATV経由で配信するときに何チャンネルかをパック料金にして課金したりするシステムが広く普及していきました。そういう点では、アメリカと比べると完全な専門チャンネルではなく、ひとつのチャンネルに様々な番組が混在している地上波テレビの総合編成が受け継がれ、CSのスカイポート系やCSバーン系、またはCATV局の方針に沿ったパックの中に専門チャンネルが埋め込まれていたという特徴がありました。

そしてもうひとつは、言うまでもなく多チャンネル化の動きです。それまで全国ネットのテレビはNHKと民放を合わせても、せいぜい一桁しかなったものが、BS放送やCS放送が普及したことで数10チャンネルにまで増加しました。この多チャンネル化によって、テレビ番組の需給関係が大きく変化したのです。それまで地上波の時代は、圧倒的に情報を発信する放送局は希少な存在であり社会的影響も現在とは比べ物にならないほど絶大なものでした。ところがBS放送やCS放送が普及し多チャンネル化が進展すると今度は視聴者に選択肢が多くなり、その結果としてニーズが細分化されていくことになりました。新しくBSCSで開始された番組は、それまでにない市場を開拓する必要があり、それと同時に限られた利用者を巡って早速過当競争に晒されることになったのです。
 

そのようなメディア環境のもとで展開された1990年代のBS放送やCS放送。1995年から約2年間にわたり「衛星テレビ」というテーマで「放送批評」に連載していた「メディアコラム」を振り返りながらこの後の30年の変化について考察し、今回は4人で各々の立場から意見交換をしました。(今村庸一)