子供の頃、なぜかわからないがびーびー弾を集めることに異様に執着していた。

 

よくわからない石やビー玉も集めていた気がする。

 

今の自分には分からないが、当時の自分にとっては特別な価値があったものなのだろう。

 

 

 色んなものに自分なりの価値を見いだせる思考が必要なのかもしれない。

 

 

 

 

子供の頃、自分はゲームをすごい楽しんでやっていたが、そこに意味があるかとかそういうことは1ミリも考えなかった。

 

ただ面白いからやるだけ。

 

大人になってからそういうことが減ってきた気がする。

 

これをやると将来のためになるかとか、これをやることでどういう見返りがあるかとかそういうことばかり考えて物事に取り組むことが多い。

 

じゃあ、意味がないことをやろうとするとかえって考えすぎで動けなくなる。

 

意味がないことをやろうとするのは、自分が少しでも楽しいと思える感覚を取り戻すためという結局策略のようなものが生まれてしまい、結局意味があることをやっているのと変わらないよなとなる。

 

どうすれば意味がないことをできるかとか意味不明な思考を深くすることになり、結局ストレスが溜まる。

 

昔は何も考えず、自分が好きなことが明確だった。

 

今はそれをする自分が他人の目にどう映るかとか、評価されるものをやれているかそういうことばっかり考えてどんどん楽しくなくなる。

 

まあでも、気楽に行こうと思う。

 

人の評価がほしいなら、その欲求をある程度満たせるようにしてやればいい。

 

無理にそういった承認欲求を否定しても辛くなるだけだと気づき始めた。

 

youtubeとかなら、チャンネル登録者数を大きく伸ばすことではなく、一人ずつ増えていくことに喜びを見出せば良い。

 

無意味なことを生み出したいなら、これってそもそもこの視点だとやる意味ないよなみたいな考えを持てばすべてのことは無意味なことになる。

 

極論かもしれないが、悩みを持つことすら楽しんでいけたら良いんじゃないかと思う。

 

悩みを解消することに躍起になっていれば、人生で退屈することはないだろう。

 

悩みなんて無限に湧いてくるんだから。

 

最近思うことなのだが、人生には自分が気づいていないだけ恵まれていることが山ほどある。

 

バスや電車が時刻通り来ること。

 

道路が綺麗に舗装されていること。

 

美味しい食べ物がお店にたくさんあること。

 

食べ物を保存できること。

 

水道がひかれていること。

 

人類の歴史を考えれば、現代には信じられないほど恵まれた環境が用意されている。

 

こういったものに目を向けることによって、少しだけかもしれないが嬉しい気持ちや満たされた気持ちになる。

 

結局楽しいかどうかも考え方や捉え方次第なんだろうなと思う。