2014 sukura


sukuraの季節も終わり。

やっと薄暗い冬が終わって、時々は汗ばむくらいのお天気でTシャツがきたくなる・・・ そんな日にはウキキッ音譜となります。



そう言えば、わたしが実家を出たのって、いつの季節だったろう?

・・・もう思い出せない。だけど、新米社会人のころだったなあ。



高校生最後の方はバプテスマを受けたおかげで、母の対面は保たれました。母の意識は妹を開拓者に!となっていた事もあり、自分の思い通りにならない私に諦めもあったハズ。少しばかり自由になりました。

学校の社会教育一環で、アルバイト推奨期間があり、私はファッションが好きだったためにヘアサロンに行き、その延長で通信制の美容学校も行かせてもらいました。この時ばかりは応援してくれました。

就職も進学も選んでいないのは私だけだったはず。薄々ウチの変さを解っていた先生は心配して、母に美系短大の説明を話してくれ、進学することになってましたが、申込み締め切り前日には”行かせない”と言われました。

教理に反することよりも、お金の問題。

私には美容学校の20万を払ってあげたから、と。

母は家を建てるお金を貯めたかったみたいです。

(モチ、母は専業主婦、開拓者。美術家志望だった母は自分は書道と絵画を習っていました。。。)



わたしは高校の友達はまったく合わず、放課後は近隣の医大生や服飾系の大人と遊び、時々モデルのバイトをしたり。私の思考と世界は高校生を逸脱していました。幼馴染はみんな海外留学していたので、こっそり文通。ファッション、音楽、哲学やビジネスの話をしたり、楽しかった~~音譜

ときどき家出して、友達の家から通学。

(学習は重要なので。両親はというと、何日かすると同じ学校のJW2世にリサーチ。私が学校へ行くと、担任から、”帰ってる?”と問われるという、、、彼らはメンツがあるので、娘が家出してる事を知られたくない。)

実家でも、妹とELLEやフィガロ、イギリスの音楽とか、モーリス・ベジャールのバレエの話とか、二人でコソコソしてたなぁにひひ

母は妹には私ほど、きつくありませんでした。



医大生や友達はみんな頭も良くて、恵まれた家庭だったし、やっぱウチは異常だ・・・ そう思いました。




学歴も後ろ盾も、自由もない。将来、私は家族全員を養わなければならないというプレッシャー。

なのに、アメリカ式資本主義はますます進んでいく。

この自由がなく、搾取され続ける時間が果てしなく続くのだ・・・ガーンガーンガーン

憂鬱で、絶望的な気持ちで高校を卒業しました。




つづく。。。