ベルニーニの彫刻。まるで写真みたいに、瞬間を切り取ったような美しさ。




あの宗教と組織に騙された!と怒りを感じる人が多いと思います。30歳まで開拓者してた私の妹もそう言います。

私は母からアイデンティティーを奪われた、乗っ取られた事への腹立たしさの方が大きいです。もちろん、あの宗教への怒りはありますけれど、それを選んだのはバカなわたくしの親ですもの、、、仕方ないって感。

妹は神と宗教を永らく信じていましたが、私は10歳位の時には既に神というものに疑念がありました。そのことも関係しているかな。



小学生のころ、低学年位までは集会で言われることを信じていたから神も終わりも怖かったです、いつかハルマゲドンが来るなら生きていたくないなって思いました。

教育熱心な母は私たちに原爆や戦争の映像や本を読ませたりしたから、イメージが重なったと思います。

2年生の遠足の感想文に”一日 憂鬱だった”と書いたくらい。

(幼い子供をこんな気持ちにさせるとか、信じられない宗教!)



私は本を読むのが大好きで、家にある本、図書館、おけいこ先、片っ端から読んでいました。

10歳の頃には聖書だけでなく、他の宗教や神話、哲学、文学、歴史、美術書と様々な本からいろいろな”神”、”宗教”を学んで、その世界は面白くて好きだったけれど”良いもの”という認識は全くありませんでした。

だいたい、神様っていうのは自分の気に入らない人を罰したり、殺したりする。なんの為か知らんけど、動物の犠牲を喜んだりする、食べるわけでもないのにね。動物が可哀そうやん。

背いた人は代々まで祝福しないどころか、呪われるとかさ。言う事聴くコビコビちゃん達には莫大な財産やワガママを聞き入れて、でもその人たちって、やっぱコビコビな人間だから現金なんよね、すぐ何かやらかして罰を受けたり。

だから神様も同じ人種、それにどっから見てもワガママやん、、、って思ってました。

よほど、ギリシャ神話の神々たちの方が本能に素直で好ましい、って位にしか思わなかったので、全く信仰心なぞありませんでした。

みんなが思う宗教や神、仏はありがたい感覚はなくて、まあ哲学の一種くらいな感じです。

キリスト教は世界征服するために構築されたものであって、宗教とはそんなものとしか思っていなかった。社会とお金がなかったら、宗教いらないでしょ。

社会を簡単に統制するのには便利と思うけど。



目に見えないけど何等か存在するかも。

自然とか、人間には想像もつかない何か、エネルギーみたいなものとか。そういうものへの畏怖の気持ちがないわけではありません。

多くの人は神様は人間に公平で、優しく、完璧に正しいもの、そうに違いないと思っていると思いますが、私はそう思わない。

そう思う方が救われるかもしれないけど、それは人間の都合って思ってる。

特に聖書の神はそう。

誰にだって好き嫌いや機嫌あるもの、、、神様だってそうなんじゃぁないと思う方が、私には自然かな。