みにみにけんのブログ

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サブタイトル「人格障害の研究」
タイトルをそうしなかったのは、いつか彼らに悩まされない日々がおとずれると、信じているから

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以前から、ずっと疑問に思っていたことが2つある。

 

1.モラハラ加害者は、なぜ、自分にとって何の害もない人に対し、何も得することがなくても嫌がらせするのか。

 

2.同じ親に育てられた兄弟なのに、モラハラ加害者と被害者に分かれるのはどうしてなのか。

 

この2つに対する答えが、何となくわかったと思う。

 

1について、例がある。

 

20年くらい前のことなのに、今でも覚えているんだけど、あるところで、私はすごくトイレに行きたくてたまらなかったのに、長蛇の列で、自分の番が来るまで必死で耐えていた。

 

やっと、もう少しで入れるという時になり、「並んでいた」と言って、同じくらいの年の人が、前に割り込んできた。

 

友達が並んでいたんだろうけど、それは、並んでいたとは言えないんじゃないかと思ったけど、争いが苦手な私はおかしいと言えなくて、前に入られてしまった。

 

でも、その女の番になると、ほぼ同時にトイレが2つ空いたたため、自分が割り込んだのに意味がなかったとばかりに、思いっきり「面白くない!」って顔をしていた。

 

初めて出会って、二度と会うことがない人に、ここまでの悪意を見せる人って何なんだろう?って、今でも覚えているくらいだ。

 

谷本惠美さんというカウンセラーが、著書に、このようなことを書いていた。

 

「モラハラ加害者は、自身の心の問題のゴミを他者に押し付け、他者に処理をさせる。

それは、究極の甘え。

そうするのは、それが一番、楽だから」

 

ゴミを他者に押し付ける行為、それが他者に対する嫌がらせで、他者に怨みがあったり、嫌がらせで得するとかの理由や目的があるんじゃなく、「嫌がらせ行為」をただするだけで得るものがあるんだと気が付いた。

 

嫌がらせ行為で、加害者の心の問題のゴミが、被害者の心に移動し、被害者がゴミ処理係になるってこと。

 

ただ、谷本さんの考えと私の考えはちょっと違う。

 

ゴミを他者に押し付けるのは、楽だからじゃなくて、加害者には、ゴミの処理能力が決定的に欠如している。

 

一方、被害者は、能力が高い。

 

心の問題のゴミが生じやすい性質は、同じ親に育てられたんだから同じだけど、能力が低い者は加害者となって、被害者にゴミを押し付けて生きるしかないんだと思う。

 

だから、加害者は被害者を離さない。

 

ゴミの引き受け手がいなかったら、自身がゴミに埋もれ、押しつぶされてしまうから。

 

被害者体質の人は、元々、能力が高いんだから、自身のゴミが生じやすい体質の改善をすれば、本来の強さに目覚め、飛躍的に成功できるんじゃないだろうか・・・