旦那wrote。
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あんなに大きな地震は生まれて初めてだった。
仕事中であったが、縦にいきなり揺れたと思ったら、横に大きく長く激しく揺れだした。
慌てて皆で机の下に隠れる。
一度落ち着いたと思ったら、また縦にきた後、横に激しく揺れ続けた。
また慌てて机の下に避難。
ホワイトボード等は倒れ、仕事中の書類は散乱、不在者のPCは落下。
個人携帯、社用携帯、固定電話で妻と連絡をとろうとするが、どのキャリアも混乱中。
一度ようやくつながり、お互いの無事を確認。
落ち着いた後、近くの公園に避難するようアナウンスがあり、帰り支度同様の格好で避難。
外に出ると、歩道のレンガは崩れていたり、場所によっては所謂液状化していたり、壁面がはがれていたり。
避難場所では、帰れる人は即席の紙面に記名後に帰宅してよいとのこと。
まだ、「職場にいた方がよい」というコメントが発表される前だったと思う。
東陽町から入谷まで、徒歩での帰宅を決め、帰宅開始。
想定移動時間2時間程度。他者と比べて十分近い。
いつもの夜中のタクシーでは15分程度の道を歩く。
頭上等のまわりの状況に注意を払いながらの帰宅。
途中、止まっていた都バスも運行再開、道路も混雑はしていなかったよう。
しかし、バスなどこっちで乗ったこともないので、とりあえず歩くことに。
夜TVを見ると帰宅難民の報道をやっていたが、
あるいは、あのとき帰宅開始していれば帰宅できていたのでは、などとも思ったが、余震の可能性も否定できず、やはり避難場所にいる方が当然懸命な判断であったとは思う。
しかし携帯がつながらない。
docomoは回線自体はほぼ利用可能であったが、個人間のi-modeメールなどは規制されていたよう。
妻との連絡は、携帯(ガラケー)経由でgmailを利用することでなんとか。
ようやく帰宅したが、当然エレベータは停止中。
9階まで階段で。
部屋の中は家具はほぼそのまま、中のものが一部飛び出し散乱。
特にトラの部屋が本などかなりの量が飛び出していた。
そのトラ、帰宅しても姿が見えない。
呼んでも返事もしない。
いつも隠れている場所を探したがいない。
散乱した本の下敷きになっていないか慌てて探してもいない。
時折発生する微弱な余震の中、家中探し回り、ようやく、家具の裏のちょっとの隙間で大きく目を開き、かたまっているのを発見。
これまで地震があっても気にせず寝てたトラも、今回の地震はよほど恐怖だったよう。
抱いても、普段ならすぐにゴロゴロ鳴くのだが、
体を硬くし怖がってる感じであり、いつもなら昼寝する時間も妙にそわそわしている。
しばらく後、妻も同じく徒歩で1時間半かけて帰宅。
食料品を買い込みがてら、近所のよくいく飲み屋で夕食。
食料品について、近所のコンビニは、トラックが到達していないのか、弁当類は皆無。
ペットボトルの水とカップ麺などをとりあえず買い込み。
帰宅後も余震は続く。
そのうち自分が揺れているだけなのか、地震なのか、感覚が麻痺してくる。
夜中は携帯から何度も緊急地震速報を知らせる呼び出し音。
報道される東北地方の被災地は、悲惨なまでの地獄絵図。
大学時代を過した仙台でも甚大な被害が出ており、多くの方が亡くなられている。
我が母校とのリンクは未だ確立していない。
自然の脅威に対しては、いかに無力か、あらためて感じる。
その一方で人名救出のために尽力つくす方々もいる。
互いの協力なしでは生きていけない。
いろいろな情報も、いろいろなメディアで、その真偽が不明なまま公開されている。
どの情報を受けとめるか、受け側が冷静になる必要もある。
未だ余震が続く状況で、注意は怠れない。
その一方、週明け、皆通常の勤務に戻るかと思うと、不思議な感覚だ。
亡くなられた方とご遺族の方、心から哀悼の意を表します。
生き残った方、生き延びてください。
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あんなに大きな地震は生まれて初めてだった。
仕事中であったが、縦にいきなり揺れたと思ったら、横に大きく長く激しく揺れだした。
慌てて皆で机の下に隠れる。
一度落ち着いたと思ったら、また縦にきた後、横に激しく揺れ続けた。
また慌てて机の下に避難。
ホワイトボード等は倒れ、仕事中の書類は散乱、不在者のPCは落下。
個人携帯、社用携帯、固定電話で妻と連絡をとろうとするが、どのキャリアも混乱中。
一度ようやくつながり、お互いの無事を確認。
落ち着いた後、近くの公園に避難するようアナウンスがあり、帰り支度同様の格好で避難。
外に出ると、歩道のレンガは崩れていたり、場所によっては所謂液状化していたり、壁面がはがれていたり。
避難場所では、帰れる人は即席の紙面に記名後に帰宅してよいとのこと。
まだ、「職場にいた方がよい」というコメントが発表される前だったと思う。
東陽町から入谷まで、徒歩での帰宅を決め、帰宅開始。
想定移動時間2時間程度。他者と比べて十分近い。
いつもの夜中のタクシーでは15分程度の道を歩く。
頭上等のまわりの状況に注意を払いながらの帰宅。
途中、止まっていた都バスも運行再開、道路も混雑はしていなかったよう。
しかし、バスなどこっちで乗ったこともないので、とりあえず歩くことに。
夜TVを見ると帰宅難民の報道をやっていたが、
あるいは、あのとき帰宅開始していれば帰宅できていたのでは、などとも思ったが、余震の可能性も否定できず、やはり避難場所にいる方が当然懸命な判断であったとは思う。
しかし携帯がつながらない。
docomoは回線自体はほぼ利用可能であったが、個人間のi-modeメールなどは規制されていたよう。
妻との連絡は、携帯(ガラケー)経由でgmailを利用することでなんとか。
ようやく帰宅したが、当然エレベータは停止中。
9階まで階段で。
部屋の中は家具はほぼそのまま、中のものが一部飛び出し散乱。
特にトラの部屋が本などかなりの量が飛び出していた。
そのトラ、帰宅しても姿が見えない。
呼んでも返事もしない。
いつも隠れている場所を探したがいない。
散乱した本の下敷きになっていないか慌てて探してもいない。
時折発生する微弱な余震の中、家中探し回り、ようやく、家具の裏のちょっとの隙間で大きく目を開き、かたまっているのを発見。
これまで地震があっても気にせず寝てたトラも、今回の地震はよほど恐怖だったよう。
抱いても、普段ならすぐにゴロゴロ鳴くのだが、
体を硬くし怖がってる感じであり、いつもなら昼寝する時間も妙にそわそわしている。
しばらく後、妻も同じく徒歩で1時間半かけて帰宅。
食料品を買い込みがてら、近所のよくいく飲み屋で夕食。
食料品について、近所のコンビニは、トラックが到達していないのか、弁当類は皆無。
ペットボトルの水とカップ麺などをとりあえず買い込み。
帰宅後も余震は続く。
そのうち自分が揺れているだけなのか、地震なのか、感覚が麻痺してくる。
夜中は携帯から何度も緊急地震速報を知らせる呼び出し音。
報道される東北地方の被災地は、悲惨なまでの地獄絵図。
大学時代を過した仙台でも甚大な被害が出ており、多くの方が亡くなられている。
我が母校とのリンクは未だ確立していない。
自然の脅威に対しては、いかに無力か、あらためて感じる。
その一方で人名救出のために尽力つくす方々もいる。
互いの協力なしでは生きていけない。
いろいろな情報も、いろいろなメディアで、その真偽が不明なまま公開されている。
どの情報を受けとめるか、受け側が冷静になる必要もある。
未だ余震が続く状況で、注意は怠れない。
その一方、週明け、皆通常の勤務に戻るかと思うと、不思議な感覚だ。
亡くなられた方とご遺族の方、心から哀悼の意を表します。
生き残った方、生き延びてください。



」って思う時ありますよねぇ











やら動物
やら
