その日の事を、鮮明に覚えていると言ったら、嘘になるけれど、今でも覚えています。
1月16日。
私は、部活の練習試合に他校に行っていました。
先輩3人(あれ、4人だったかな、こういうことは忘れてる・・(笑)) 同学年6人、マネ1人。
普段なら、練習試合の後には、学校に戻って練習・・・なはずなのに、その時は、午前中の試合だけで、数人が発熱して、インフルの恐れもありってことで、午後は解散、練習もなしってことで、帰れました。
すっごく、嬉しかったんですよね。私、熱も出てない健康体だったもので(^▽^;)(笑)
学校ある時はもちろん、長期休みもほとんど練習で、学校があるときなんて、明るいうちに帰れたことなんてなかった部活だったので、ご褒美のように降ってわいた休みがすごくうれしかったのを覚えています。
揺れたのは、そんなご褒美のような日の次の日でした。
ふ っと目が覚めたのを覚えています。
朝練があるから、早起き・・とはいっても、普段なら親に起こされるまで、ぐずぐずしてるのに。
『何かが違う』
一瞬そうおもって、次の瞬間には、突き上げられて、揺さぶられました。
とりあえず、布団を頭から被って、「怖い」と泣く妹の手を握ってました。
意外と冷静というか、待っていればおさまるという感じで変に落ち着いてました。
妹に先に泣かれたからかもしれません(笑)
しばらくして、揺れが収まったころ、父親が飛んできました。
幸い、私が住んでいたところは倒壊もなく箪笥の上の人形ケースが落ちてきたり、水槽の水がこぼれまくったりで済みました。
家族全員が、無事だったことを確認して、私が言った一言は自分でも覚えてます。
「じゃあ、朝練行く用意するわ」
両親があっけにとられてました。
こんだけ揺れて、学校あるわけないやろ、と言われましたが、授業はなくても部活はある、行かないと怒られる、かたくなにそう訴えたのを覚えています。
後から、同じ学年の部員に聞いたら、全員 『朝練、行く』と、言ったそうです(笑)
どんだけ、部活一色の高校生活だったんだ・・・σ(^_^;)
そのあと、「今、こんな状況やぞ」と見せられたブラウン管の向こうの映像で、やっと現実を見ました。
自分の住んでいる所のすぐ近くの区域で、色々なものが倒れていて、燃えていて、煙がたくさんで・・・。
今になって思います。
今、同じ震災を経験したら、私は耐えられるだろうか・・と。
家は、倒壊を免れました。
幸い、水も電気もすぐ復旧しました。
何かあれば、頼れる親がすぐそばにいる、ガスだけはなかなか復旧しませんでしたが、石油ストーブの上に鍋をかけて、インスタントでしたけど暖かいご飯も食べられました。
テレビは見れたので、状況をすぐ知ることが出来ました。
もし、今・・。
あの時と同じ、それ以上の災害が起きたとして、私は耐えられるだろうか。
自分の身だけじゃなく、旦那もいる。
体が不自由になった母や、年を取って無理のきかなくなった父がいる。
今の私は、守る側の立場。
自分の事だけを考えるわけにはいかない。
不安です。
いつもいつも、考えているわけではないけれど、私は度々、旦那に
『もし、地震が起きて、避難したら ○○高校にいると思うからね』
と言っています。
実家にいる時は、車いすの母と逃げるには、どう動けばいいのか、ちらりと考えます。
常に、考え続けるのは無理でも、折に触れて。
せめて今日は、「もしも・・」の事を考えたいと思います。
そして、亡くなられた方のご冥福を祈りたいと思います。
1月16日。
私は、部活の練習試合に他校に行っていました。
先輩3人(あれ、4人だったかな、こういうことは忘れてる・・(笑)) 同学年6人、マネ1人。
普段なら、練習試合の後には、学校に戻って練習・・・なはずなのに、その時は、午前中の試合だけで、数人が発熱して、インフルの恐れもありってことで、午後は解散、練習もなしってことで、帰れました。
すっごく、嬉しかったんですよね。私、熱も出てない健康体だったもので(^▽^;)(笑)
学校ある時はもちろん、長期休みもほとんど練習で、学校があるときなんて、明るいうちに帰れたことなんてなかった部活だったので、ご褒美のように降ってわいた休みがすごくうれしかったのを覚えています。
揺れたのは、そんなご褒美のような日の次の日でした。
ふ っと目が覚めたのを覚えています。
朝練があるから、早起き・・とはいっても、普段なら親に起こされるまで、ぐずぐずしてるのに。
『何かが違う』
一瞬そうおもって、次の瞬間には、突き上げられて、揺さぶられました。
とりあえず、布団を頭から被って、「怖い」と泣く妹の手を握ってました。
意外と冷静というか、待っていればおさまるという感じで変に落ち着いてました。
妹に先に泣かれたからかもしれません(笑)
しばらくして、揺れが収まったころ、父親が飛んできました。
幸い、私が住んでいたところは倒壊もなく箪笥の上の人形ケースが落ちてきたり、水槽の水がこぼれまくったりで済みました。
家族全員が、無事だったことを確認して、私が言った一言は自分でも覚えてます。
「じゃあ、朝練行く用意するわ」
両親があっけにとられてました。
こんだけ揺れて、学校あるわけないやろ、と言われましたが、授業はなくても部活はある、行かないと怒られる、かたくなにそう訴えたのを覚えています。
後から、同じ学年の部員に聞いたら、全員 『朝練、行く』と、言ったそうです(笑)
どんだけ、部活一色の高校生活だったんだ・・・σ(^_^;)
そのあと、「今、こんな状況やぞ」と見せられたブラウン管の向こうの映像で、やっと現実を見ました。
自分の住んでいる所のすぐ近くの区域で、色々なものが倒れていて、燃えていて、煙がたくさんで・・・。
今になって思います。
今、同じ震災を経験したら、私は耐えられるだろうか・・と。
家は、倒壊を免れました。
幸い、水も電気もすぐ復旧しました。
何かあれば、頼れる親がすぐそばにいる、ガスだけはなかなか復旧しませんでしたが、石油ストーブの上に鍋をかけて、インスタントでしたけど暖かいご飯も食べられました。
テレビは見れたので、状況をすぐ知ることが出来ました。
もし、今・・。
あの時と同じ、それ以上の災害が起きたとして、私は耐えられるだろうか。
自分の身だけじゃなく、旦那もいる。
体が不自由になった母や、年を取って無理のきかなくなった父がいる。
今の私は、守る側の立場。
自分の事だけを考えるわけにはいかない。
不安です。
いつもいつも、考えているわけではないけれど、私は度々、旦那に
『もし、地震が起きて、避難したら ○○高校にいると思うからね』
と言っています。
実家にいる時は、車いすの母と逃げるには、どう動けばいいのか、ちらりと考えます。
常に、考え続けるのは無理でも、折に触れて。
せめて今日は、「もしも・・」の事を考えたいと思います。
そして、亡くなられた方のご冥福を祈りたいと思います。