
おそらく主婦、女性で、家事、育児が苦手、不得手な人は多く存在すると考える。
女性全てが、子供好きで料理好きで家事好きなわけがない。
そんな世の中だったら、気持ち悪いし、きっと思い込まされているだけ。
殆どは、仕方がなくて、やらないと、
食べるものがない、着るものがない、寝る場所すらなくなる(ゴミに占拠されると)
という、逼迫した状態になることが予想できるので、
死活問題として、嫌々ながらでも、不得手でも、
何とかするのである。
それだけでも、女性は我慢強いといえる。
でも、最近、もう大嫌いの限界にきて、
育児も家事もやる気になれない。
放棄(命に関わる)、とまではならないように最低限気を付けながら、
時短、最短、手抜き、無理せず、をモットーに
頑張ることなく、自然体で生きていきたいと思う。
そう思うきっかけは、首の痛みが以前に比べ酷くなってきたからだ。
日常で当たり前にできていたことが、辛く感じるようになり、
痛みが四六時中伴うと、生きる気力を奪われる。
痛みと共にあると割り切ろうと思っても、やはり痛みのために、
家事にしろ育児にしろ、とても苦痛を伴ってくる。
集中できない、立っていられない、痛みに耐えられない、何もやりたくなくなる。
ここにきて、誰しもが健康で、日常の暮らしを当たり前にできることに
感謝が足りないな、と、感じる。
これまで健康で、痛みなどどこもなく、持病も、ケガも入院にも縁なくこれたので、
この痛みがとても辛く、日常を送れないように苛まれている。
事故やケガ、病気に入院は、体の不具合とともに、
精神衛生上もよくないことを考える方向へ導くので、
なるべく避けたい要素ではある。
よく、お嫁さんになる人は、体が健康であることが一番、と言われるのも、
家事や育児には休みがなく、休むと皺寄せが必ず誰かに及ぶ。
でも、昔はただ働きの召使扱い同然だったから、
人権があったかどうかも疑わしい。
不満を思う間もなく、それが当たり前だったのだろう。
しかし、健康が当たり前で、ただ働きで、
家の仕事や家族の面倒、育児、介護に対して、
当然のように、やって当たり前だろう、と思われると、
腹が立ってくるのである。
そうされると、余計にやりたくなくなるのが、
世の常である。
だが、誰もにも感謝されず、理解されず、一人満足でずっと生きてきたのが
今更尊ばれもせず、感謝されずと文句を言うのであれば、
どうせなら何もしないで、生きていくために最低限のことだけしよう
と、思うきっかっけになった。
東日本や熊本の震災を思うと、
当たり前の日々が、どれほど奇跡のような偶然で成り立っていたかが
痛いほど思い知らされる。
今日もいつも通り、家族が健康で幼稚園、小学校、中学校、会社に出勤、出社して、
そして、いつも通り家に帰ってくる。
それが何よりの贅沢だと、心から思える。
それだけでいい。
家が埃だらけ、ゴミだらけになろうが、
ご飯が出来合いのものばかりで、手作り感がないとか、
洗濯物が山になって、畳む間もなく、山の中から着る物を探そうとも、
とりあえず、健康で、無事でさえあれば、
これ以上に感謝することはないし、
求めるものもない。
今日も一日、なんとか無事に過ごし、
みなが無事に戻ってきて、
家でゆっくりと、窓の外を日が暮れるのを眺められれば
それで全てよいのである。