はじめに



思春期の子育てについて調べると、

「信じましょう。」
「見守りましょう。」
「少し距離を取りましょう。」

そんな言葉を、何度も目にします。

これまで「信じる」「待つ」「手放す」というテーマは、思春期の子育てにおいて繰り返し語られてきました。

その大切さは、多くの親が理解しています。

けれど、理解していても苦しさが消えない母親は少なくありません。

近づけば苦しい。
離れれば不安になる。
任せようと思っても、心だけが子どもの後を追い続ける。

では、その苦しさは、本当に「距離」の問題なのでしょうか。

思春期の親子関係で苦しさが繰り返される背景には、一つの共通した構造がありました。

多くの母親が変えようとしているのは、関わり方です。
けれど、本当に変わる必要があるのは、関わり方ではありません。

親子それぞれが担っている「役割」なのです。

子どもが成長しても、親だけが以前と同じ役割を担い続ければ、苦しさはなくなりません。

反対に、役割が少しずつ組み替わっていけば、無理に距離をつくらなくても、親子関係は自然と変わり始めます。

7月のテーマは、「距離の取り方」ではありません。

親子関係を再設計すること。

その土台として、まず今回は、「役割」という視点から、思春期の親子関係を見つめ直していきたいと思います。



第1章 「少し離れたほうがいい」と分かっているのに、なぜ離れられないのか


思春期になると、多くの母親は「距離」を意識し始めます。

近づきすぎないようにしよう。
少し見守ってみよう。
口を出すのを減らそう。
必要以上に関わらないようにしよう。

子どもの成長を願うからこそ、関わり方を変えようと努力します。

けれど、それでも苦しさが消えない母親は少なくありません。

近づけば苦しい。
離れれば不安になる。
思い切って任せてみても、心は落ち着かない。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。
それは、母親が変えようとしているものと、本当に変える必要があるものが違うからです。

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母親が調整しているのは、「距離」という行動です。

近づく。
離れる。
声を掛ける。
掛けない。
見守る。
確認する。

こうしたものは、すべて行動です。

一方で、その行動を決めているものがあります。
それが、役割です。

例えば、「宿題やったの?」と声を掛ける母親がいたとします。
その行動だけを見ても、その意味は分かりません。

「忘れていたら困るから確認しよう。」
という役割から出た言葉なのか。

それとも、
「最終的には本人の課題だから、私は確認だけに留めよう。」という役割から出た言葉なのか。

同じ一言でも、親子関係に与える影響はまったく違います。

つまり、親子関係を決めているのは行動ではありません。
どんな役割で、その行動を選んでいるかなのです。

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だから、距離だけを変えても苦しさは残ります。

口を出さなくなっても、
心の中では考え続けている。

見守っているつもりでも、
いつでも動けるように身構えている。

子どもに任せたと言いながら、
結果が気になって仕方がない。

行動は変わっていても、役割は変わっていません。
母親の中では、まだ自分が「責任者」なのです。

だから、子どもが何も言わない時間も落ち着かない。

何か問題が起きれば、自分が動かなければならない気がする。

子どもが考えている最中であっても、答えを探し始めてしまう。

その苦しさは、子どもとの距離から生まれているのではありません。

責任者という役割を抱え続けていることから生まれています。

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私たちは、「距離を取る」という言葉をよく使います。

けれど、本当に必要なのは、距離を変えることではありません。

母親だけが担い続けている役割を見直すことです。

親子関係は、「近いか、遠いか」で決まるものではありません。

誰が何を担い、誰が何を引き受けているのか。
その役割の組み合わせによって成り立っています。


だから、親子関係を変えたいと思ったとき、最初に見直すべきなのは距離ではありません。

母親である自分が、今も抱え続けている役割は何か。

その問いから始めて初めて、親子関係は新しい形へと動き始めるのです。



第2章 「心配だから」では説明できない、母親だけが苦しくなる本当の理由


母親はよく、
「子どものことが心配で仕方がない。」
「つい口を出してしまう。」
「任せたいのに任せられない。」

そう悩みます。

そして、その原因を「愛情が深いから」「心配性だから」と考えがちです。

けれど、本当に母親を苦しめているものは、性格でも愛情でもありません。

もっと構造的なものです。

それは、「子どもの人生を運営する役割」を、自分が担い続けていることです。

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子育てでは、母親は長い時間をかけて、子どもの代わりに多くのことを担ってきました。

何を着るかを考える。
忘れ物がないか確認する。
困る前に先回りする。
危険を予測する。
失敗しないように整える。

子どもが幼いうちは、それが親の役割です。

子どもには、まだ自分の生活を管理し、判断し、責任を引き受ける力が十分ではありません。

だから母親が代わりに考え、代わりに決め、代わりに守る。

その役割は、子どもの成長に欠かせないものでした。

しかし、思春期を迎えると、子どもの発達課題は変わります。

親が人生を管理することではなく、自分で人生を管理する力を育てることが中心になっていきます。

ところが、子どもの成長に合わせて役割を移し替えることは、想像以上に難しいのです。

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多くの母親は、
「口を出さないようにしよう。」
「少し距離を取ろう。」
と、行動を変えようとします。

しかし、それだけでは苦しさはなくなりません。
なぜなら変わっているのは行動だけで、役割は変わっていないからです。

例えば、何も言わずに見守っていても、
「本当に大丈夫だろうか。」
「気づいていないだけで困っているのではないか。」
そんな考えが頭から離れないことがあります。

子どもは一人で過ごしているのに、母親の頭の中では、ずっと子どもの人生が動き続けています。

それは、母親がまだ「私が管理する側」という役割に立っているからです。

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ここで大切なのは、「責任」という言葉の意味です。

責任とは、何か問題が起きたときに責められることではありません。
この章でいう責任とは、人生を運営する役割です。

考えること。
判断すること。
確認すること。
先を予測すること。
失敗を避けること。
問題が起きたら立て直すこと。

母親はこうした一つひとつの機能を、長年、自分の仕事として引き受けてきました。

だから子どもが大きくなっても、無意識のうちに同じ役割を続けてしまいます。

子どもが考える前に考え、
子どもが決める前に決め、
子どもが困る前に動こうとする。

その一つひとつは愛情から生まれています。

けれど構造として見れば、それは今もなお、母親が子どもの人生を運営している状態なのです。

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思春期の子育てで起きる苦しさは、子どもが親から離れていくことではありません。

親が、子どもの成長に合わせて役割を変えられないことから生まれます。

子どもは少しずつ、自分で考え、自分で決め、自分で責任を引き受ける準備を始めています。

それにもかかわらず、母親だけが以前と同じ役割を担い続けてしまう。
すると、親子の間には見えない重なりが生まれます。

本来は子どもが担うはずの役割を、母親が抱え続ける。
だから母親は疲れ、子どもは自分の役割を十分に引き受ける機会を失ってしまうのです。

親が手放していくものは、愛情ではありません。
子どもでもありません。

「この子の人生は、私が運営しなければならない」という役割です。


親子関係が変わり始めるのは、距離を変えたときではありません。

母親が抱え続けてきたその役割を、少しずつ子どもへ返し始めたときなのです。



ここまででお伝えしてきたのは、「なぜ苦しいのか」という構造です。

苦しさの原因は、距離ではなく、母親が担い続けている「役割」にありました。

ではその役割は具体的に何を、どのように子どもへ返していけばいいのでしょうか。

「任せる」とは、何を任せることなのか。
「見守る」とは、何を見守ることなのか。
「手放す」とは、何を手放すことなのか。


思春期の子育てでは、この言葉があまりにも曖昧なまま使われています。

だからこそ、多くの母親は「分かっているのにできない」という苦しさを抱え続けてしまいます。


この続きでは、「役割」という視点から、その曖昧さを一つずつ整理しながら、

・親が本当に子どもへ返していくもの
・「任せる」が苦しくなる理由
・何度も口を出してしまう心理の正体
・親子関係が自然に変わり始める役割の組み替え方

について、順を追ってお伝えしていきます。

https://note.com/hapihapi7/n/nf3826b6dde38