本日は、こちらのご紹介です。
※※本文抜粋※※
「ぼくはあのころ、なんにもわかっていなかった!ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。
あの花はぼくをいい香りでつつんでくれたし、ぼくの星を明るくしてくれたんだ。
ぼくは、逃げだしたりしちゃいけなかった!
あれこれ言うかげには愛情があったことを、見ぬくべきだった。
花って、ほんとに矛盾してるんだね!
でもぼくはまだ、あまりに子どもで、あの花を愛することができなかった」
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ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない
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大人の「やっている」ことを見ていても
「やってくれている」ことは
見えていない
この違いは
なんだろう?と
子どもは
親のやっていることを
よく真似します
口癖だったり
習慣だったり
その一方で
自分のためにやってくれていることや
注意されることなどは
ほとんどと言っていいほど
見ていないし
聞いていません
(恐らく、そう感じるのは私だけではないはず、、)
自分の子どもに限らず
私自身も親に対して、そうでした
両親が自分のために
「やってくれていた」ことに
ちゃんと向き合えるようになったのは
父亡き後でした
生前の父は仕事人間で
ほとんど接点が無いと
私の目にはいつも写っていて
いくつになっても
学ぶことに真摯に向き合う
父の背中をずっと見てきました
でも父が亡くなったあと
父との思い出を振り返ると
どんなに忙しくても
私の部活の行事を欠かさず
見に来てくれていたのは父でした
それも毎回
とても嬉しそうに
亡くなってから気付いても
遅いんですけど
私は父の何を見て
「自分には関心が無い」と思い込んでいたのだろうと、、、
不思議なもので
当時は気付かなかった
父の表情や仕草が
自分の捉え方が変わった瞬間
鮮明に思い出されて
より切なく哀しくなりました
「父のやってくれていたこと」
そこにこめられていた愛情を
私の心は
無意識に受け取っていた
でもそれは
心の目が開いていないと
見ることができなかった
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
わかっているようで
本当の意味で
わかることができるのは
言葉をただなぞるだけでは
できないことだと
思い知らされることが
たびたびあります
嬉しい
楽しい
哀しい
悔しい、、、
人間の魂
「たましい」の「しい」は
これらの感情を表すものだと言います
たくさんの「しい」を経験し
生きていくものだからこそ
「心の目で見る」ことには
「感情」が伴うものなのでしょう
自分が親の立場になって
子どもに分かってもらえない
「もどかしい」想いもまた
親として経験することに
きっと意味がある
そんなことに想いを馳せる
一冊となりました
一冊の本には人を動かす力があり、
人を変える力もある。
本って、本当に素晴らしい。
それでは、また。