中学生の息子が
部活で県内の強豪校との練習試合へ
行くことになりました

息子の学校は
残念ながら   弱小校

また息子は
新入生のため試合には出れず
観戦・応援のみです




この知らせを聞いたのは
実際に練習試合へ行く前日

急遽
参加が決定したものでした


息子自身
観戦のみのため
「試合に出るわけじゃないから、
別に行かなくても良い、、」と


***


顧問の先生からの
練習試合に関する手紙には

レベルは雲泥の差だけれど
「トップクラスの練習をみることは
とても勉強になる」

そして
「何か持って帰ってきてくれると嬉しい」と
書いてありました



年齢的にも
とてもベテランの先生


弱いチームだけれど
決して子供たちのことを諦めていない


何か意識が変わるきっかけを
見つけようと
試行錯誤してくださってる意図を
とても強く感じました



息子には
急なことだから
「行きたい」と言って
反対されるかも知れない、、という
わたしへの思いも
あったのかも知れません


そんな気持ちも感じはしましたが
「一生懸命頑張る!」と
自分で決めて入った部活


「遊び」とは違います


上手になりたい
強くなりたいのであれば
顧問の先生の用意してくださった機会を
自分の学びへ活かすべきではないか?と
話しをしました


試合に出ないからこそ
客観視できることが沢山あって
自分の糧にできることが沢山あるはず
、、、と



***


楽しい部活は
楽(ラク)な部活ではありません


技術の向上
心身ともに強さを身に付けたいのなら
何事にも目的を持って挑む
貪欲さが必要だと思うのです



わたし自身が中学生の頃は
部活というと
顧問の先生が怖くて
先輩がさらに怖くて
両親がどうしようもなく怖くて、、


半ば強制的な感じで
気持ちもイヤイヤやるところもありました


それでも
練習を重ねていくうちに
その楽しさに出会い
結果的には
得られたことが沢山あった気がします


これは部活に限らず
何においても手法はひとつではなく
先生から公式を学び
先輩から公式を理解する
または解読する方法を学び
何度も自分で練習し
自分に合う方法を探していく


それを繰り返すことで
自分の「型」を作り上げていった
それらの過程が


今は何においても
とてもスマートで効率的なノウハウが
すぐ手に入ってしまう


そのことによって
自分で経験することもなく
経験を重ねることさえ無駄ではないか?と
勘違いしてしまう


効率の良し悪しは
経験してこそ語れることのハズが
常に
「最も効率的なこと以外、興味を持たない」
何事にも
そんな姿勢で構えているようにさえ
感じることがあります



とてもスマートで効率的なノウハウは
どのように使うか
使えるか
活かせるかが大切であって
知っているだけ
なぞっているだけでは
自分の血肉にはなり得ません



、、、が
こんな思いを
ただただ述べても
恐らく息子世代には
なかなか本質は伝わらないもので


***


結局
息子は練習試合へ行き
新たな出会いがあり
発見があり
気付きがあり

実際に練習もしたそうで
体力的には
かなりキツかったようですが

とても生き生きした表情で
感想を話してくれました



勉強
部活
交友関係
取り巻く環境がガラリと変わった
中学生生活


それぞれの経験から
少しずつ少しずつ
成長しくことはもちろんですが


それらに向き合う姿勢について
息子に対して
言っていることと
やっていることがチグハグではないか
わたし自身の在り方も
いま一度 見直しながら
歩んでいこうと思います