親だから
子供に『公平』に愛情を注がなければならない
こんな『幻想』に振り回されていた
そしてそもそも
『公平』の意味を履き違えていた
***
わたしは
3姉妹の末っ子
末っ子あるあるとして
姉たちより幼少期の写真が
極端に少ない
おそらく『100:1』くらい差がある
七五三も
姉たちは三歳・七歳
わたしは七歳のみ
家族旅行など
わたしが産まれてから
したこと無かった
成人式の着物も
姉たちは
わたしのそれとはケタが違った
……とまあ
挙げればキリがないけれど
姉たちから言わせれば
『一番愛情を注がれていた』とか……
『大学出たのはあんただけ』とか…
そして親としては
『同じように育てたつもりよ…』と
子供が何人であろうと
親からの愛情に対し
それは
『公平でなければならない』と
わたしたちは無意識に
そんな思いを抱いているのかもしれない
『公平』と『同じである』ことを
イコールにして……
だから苦しむ
『お姉ちゃんは あれを買ってもらえたのに私は…』とか
『いつも妹ばかり ○○してもらっていた…』とか
『同じもの』を『同じように』
与えてもらえないことが
『公平に与えられていない』感となり
『無いもの探し』へと
繋がっているように思える
***
わたし自身
親に対して
『してもらえなかったこと』は
挙げたらキリがない程あるけれど
それこそ
『姉たちと比べて』 であり
その延長で さらに
『お友達に比べて』と
比べっこのループにハマっていく
『同じ』か『同じじゃないか』なんて
そもそもが
状況も 環境も違うなかで
比べられないのだから
『公平』と『同じ』を結びつけることは
『幻想』に過ぎない
どんな状況であれ
どんなモノであれ
『与えてもらった』ときにあったであろう
その『愛情』に目を向け
恐れることなく『受け取れ』ば
良いのではないか……と
そうは言っても
素直に受け取れない裏には
『あなたはお姉ちゃんに比べて○○なんだから』
なんてことを言われたから
親の愛情に対しても
姉たちと比べるようになったんだ……という
気持ちがあることも否めない
そして
『してもらったこと』があるのだから
それだけに目を向けて
『してもらえなかったこと』は
無かったことにすれば良い
『それでチャラにしようよ』
なんて思うつもりも
さらさらない
『してもらったこと』と
『してもらえなかったこと』で
打ち消しあおうとするから
『葛藤』や『対立』が起こるのだから
ただ
それらを別々に受け入れることは
大人になった今なら
出来ることなのではないか……とは思う
『比べる』ことの善し悪しは さておき
姉たちがしてもらって
『羨ましい』と思った気持ち
『同じように』してもらいたかった気持ちと
わたしが確かに
『してもらった』こと
このふたつを
同じ土俵にあげるから
おかしなことになるのだから
別々のこととして
心の中に『共存』させてあげればいい
***
わたしが
『してもらった』ことは
姉たちと違うことだからこそ
『真実』であることを感じようと
『同じ形』であることが
『公平』でも『真実』でも無いことに気付く
心の目を
いろいろな経験を通して
育んできたはずなのだから
***
おやつにビスケットを
10枚食べて満足する子と
3枚で十分な子
両者に10枚あげて
『全部食べなさい』と言うのは
『公平な愛情』と言うだろうか
それぞれに合う量をあげることが
本当の意味で『公平な愛情』ではないか
それは
『量』で見たら明らかに『不公平』
でも
『愛情』で見たら『公平』
『不公平』だからこそ『公平』になる
そして
『公平』とは
決して『同じ』ということではない
***
姉たちとは
血のつながりはあれど
個性が違うからこそ
『同じ形』では
受け取れなかったものも
たくさんあったはず
『わたし』という個性に対し
『わたし』に合う形で
与えてくれた『愛情』を
感じて見れば良いのだと
そしてそれは
子供たちに対しても
そうで在ろうと
同じ土俵で比べながら
個性にあった形で愛情を注ぐから
歪みが生じる
のであれば
同じ土俵で比べず
(それがつまり個性を認めるということ)
個性にあった形で
愛情をたっぷり注いでいこう……と
***
ちなみに
あの頃 姉たちと比べられた
苦い思いでや 古傷は
個性が違うのに
同じ土俵で比べられた
『不公平』な比較
大人になった今なら
その真実を受け入れ
自分の子供たちには
同じことをしないと誓うことで
きっと
昇華できるはずだから

子供に『公平』に愛情を注がなければならない
こんな『幻想』に振り回されていた
そしてそもそも
『公平』の意味を履き違えていた
***
わたしは
3姉妹の末っ子
末っ子あるあるとして
姉たちより幼少期の写真が
極端に少ない
おそらく『100:1』くらい差がある
七五三も
姉たちは三歳・七歳
わたしは七歳のみ
家族旅行など
わたしが産まれてから
したこと無かった
成人式の着物も
姉たちは
わたしのそれとはケタが違った
……とまあ
挙げればキリがないけれど
姉たちから言わせれば
『一番愛情を注がれていた』とか……
『大学出たのはあんただけ』とか…
そして親としては
『同じように育てたつもりよ…』と
子供が何人であろうと
親からの愛情に対し
それは
『公平でなければならない』と
わたしたちは無意識に
そんな思いを抱いているのかもしれない
『公平』と『同じである』ことを
イコールにして……
だから苦しむ
『お姉ちゃんは あれを買ってもらえたのに私は…』とか
『いつも妹ばかり ○○してもらっていた…』とか
『同じもの』を『同じように』
与えてもらえないことが
『公平に与えられていない』感となり
『無いもの探し』へと
繋がっているように思える
***
わたし自身
親に対して
『してもらえなかったこと』は
挙げたらキリがない程あるけれど
それこそ
『姉たちと比べて』 であり
その延長で さらに
『お友達に比べて』と
比べっこのループにハマっていく
『同じ』か『同じじゃないか』なんて
そもそもが
状況も 環境も違うなかで
比べられないのだから
『公平』と『同じ』を結びつけることは
『幻想』に過ぎない
どんな状況であれ
どんなモノであれ
『与えてもらった』ときにあったであろう
その『愛情』に目を向け
恐れることなく『受け取れ』ば
良いのではないか……と
そうは言っても
素直に受け取れない裏には
『あなたはお姉ちゃんに比べて○○なんだから』
なんてことを言われたから
親の愛情に対しても
姉たちと比べるようになったんだ……という
気持ちがあることも否めない
そして
『してもらったこと』があるのだから
それだけに目を向けて
『してもらえなかったこと』は
無かったことにすれば良い
『それでチャラにしようよ』
なんて思うつもりも
さらさらない
『してもらったこと』と
『してもらえなかったこと』で
打ち消しあおうとするから
『葛藤』や『対立』が起こるのだから
ただ
それらを別々に受け入れることは
大人になった今なら
出来ることなのではないか……とは思う
『比べる』ことの善し悪しは さておき
姉たちがしてもらって
『羨ましい』と思った気持ち
『同じように』してもらいたかった気持ちと
わたしが確かに
『してもらった』こと
このふたつを
同じ土俵にあげるから
おかしなことになるのだから
別々のこととして
心の中に『共存』させてあげればいい
***
わたしが
『してもらった』ことは
姉たちと違うことだからこそ
『真実』であることを感じようと
『同じ形』であることが
『公平』でも『真実』でも無いことに気付く
心の目を
いろいろな経験を通して
育んできたはずなのだから
***
おやつにビスケットを
10枚食べて満足する子と
3枚で十分な子
両者に10枚あげて
『全部食べなさい』と言うのは
『公平な愛情』と言うだろうか
それぞれに合う量をあげることが
本当の意味で『公平な愛情』ではないか
それは
『量』で見たら明らかに『不公平』
でも
『愛情』で見たら『公平』
『不公平』だからこそ『公平』になる
そして
『公平』とは
決して『同じ』ということではない
***
姉たちとは
血のつながりはあれど
個性が違うからこそ
『同じ形』では
受け取れなかったものも
たくさんあったはず
『わたし』という個性に対し
『わたし』に合う形で
与えてくれた『愛情』を
感じて見れば良いのだと
そしてそれは
子供たちに対しても
そうで在ろうと
同じ土俵で比べながら
個性にあった形で愛情を注ぐから
歪みが生じる
のであれば
同じ土俵で比べず
(それがつまり個性を認めるということ)
個性にあった形で
愛情をたっぷり注いでいこう……と
***
ちなみに
あの頃 姉たちと比べられた
苦い思いでや 古傷は
個性が違うのに
同じ土俵で比べられた
『不公平』な比較
大人になった今なら
その真実を受け入れ
自分の子供たちには
同じことをしないと誓うことで
きっと
昇華できるはずだから

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