人生において
大きな壁に躓いたとき
大きな問題に遭遇したとき



躓いた出来事や
遭遇した問題を通して

『何に気づき  何を学ぶのか』

その答えが
自分の中でハッキリ出たとき

そして
一歩を踏み出したときこそ
『乗り越えたとき』だと思う


*****


わたしの場合
もちろん娘のことが当てはまります


状況が想定よりも良くなっているものの
決して完治した訳でも
そもそも疾患が無くなった訳でもない


(世の中にはたくさんの奇跡があるので  その奇跡を信じて待つことも
もちろん アリ だと思います)


ですが、
『ふっ』……と
その時は来ました


娘のことで
わたしはずっと『信じる』ことに
向き合ってきました


何を 信じるか
どう 信じるか


不安が膨らみすぎて
信じるもの
信じても裏切られないものが欲しかった


特に
娘の疾患は心臓なので
目に見えません


日常生活の中で
何をどう頑張っても
今の心臓の状態が
良くなっているのか?
悪くなっているのか?
さっぱり分からないのです


目に見えないことへの不安
未来を信じることさえ怖い
何も出来ない無力感


そんな状況の中で
ずっと自分に投げかけていました


『娘の疾患から 何に気付くべきなのか』
『この状況から 何を学ぼうとしているのか』


どちらかというと
目に見えない大きな力を
信じて(信じようと)生きてきたと思います


……が
こんな時に限って
そうは言っても
それだけでは  やっぱり違うんです


目をつぶった世界では
信じられます
信じようと強く思えます


でも

目を開けたとき
娘との実生活を送るには
自分の信念が
そして
確信が欲しいんです


『これだ!』って
信じられるものを抱きしめて
前を向いて生きたいんです



それが私にとっては
娘の『笑顔』でした


もっと言えば
笑い声も
泣き声も
叫び声も
一挙手一投足

そのすべての『生きている  いま』が
答えでした



目を開けて見える娘の『姿』から
『いま 共に生きている』ということに
気付き

『いま』という一瞬こそすべてということを常に感じながら生きるという『学び』



目の前の現実
娘の姿を
受け入れることがスタートだと


***


共に生きているようで
『心ここに在らず』


わたしの心はずっと
不安や恐れ
未来や過去に野放しになっていました



娘を見ているようで
傍観しているだけだったのです



嬉しくても悲しくても
どんな感情にも嘘をつかず
娘と『この瞬間』を生きるようになって


大変なことが無くなるのがゴールではないことを受け止められるようになりました


***


『いま』という一瞬こそすべてということを常に感じながら生きるという『学び』


そこに気付けたら
一歩踏み出す方法は
『じゃあ どう生きるのか?』
ということ



それは もちろん



笑って過ごせることを
瞬間 瞬間で 選びながら生きる


ご飯も
お散歩も
お昼寝も
お風呂も
全部 楽しむ!!


楽しみ方を 考える時間を
最優先にする!!



不安で暗い顔をしている母
心配で眉間にシワを寄せている母より


よく分からないけど
いつも何だか楽しそうに笑ってる母と
一緒にいたほうが
ゼッタイ嬉しいと思うから!!



だから わたしは
それを自分の信念にしました


今  信じる心  にして
一歩踏み出しました


***


そうしたら また
目をつぶったときに
信じていた
目に見えない大きな力も
信じられるようになりました


そして


この一瞬一瞬に
感謝できるようにも なりました


*****


不安も恐怖も 無くならない

けれど

それは感じるべき時に  感じれば いい

それが
『生きる』ということだから