前回のバルーンから一年が経ち
広げた三尖弁の状態を確認するための
カテーテル検査
(三尖弁:さんせんべん=心臓の右心房と右心室の間にある弁のこと)
血中酸素の値は
この一年
90~94を維持しており
極端に下がることも無く過ごせたものの
右室の大きさや
血流
圧力のバランスなどは
やはり
カテーテルでないと確認出来ないので
検査入院
状態によっては
再度バルーンも行う予定になっていた
*****
いつものように
検査の前日から入院
夕方には点滴の針が入った
いつもなら
この点滴の針が入るのに
30分~1時間はかかるものの
今回の病棟担当医の先生は
あっさり3分で完了
まさに
『神技ッ!!』
(こんなの初めて!)
おかげで娘は
さほど機嫌も悪くならず
針が入っている所も
痛くなかったようで
あまり気にすることなく
過ごすことができた
***
検査前日は
親も付き添いで泊まれるため
今回も旦那さんがお泊まり
わたしは一旦帰宅し
翌朝再度
病院へ
***
検査当日朝
病院へ向かうバスの中で
『検温で37.4度の微熱がある』と
旦那さんからメール
病院に到着すると
娘は泣いていて機嫌が悪く
抱っこすると
確かに『熱い』
看護士さんが
再度検温に来るも
やはり37.4度の微熱
『もしかして検査は延期…?』
なんて考えが過ぎりつつ
しがみついて離れない娘を
ひたすら抱っこ
30分ほど経つと
徐々に娘も落ち着き
いよいよ検査室へ向かう直前の検温
『36.5度』
ちょっとした知恵熱だったのか
平熱に戻ったので
予定通り検査室へ
娘は専用の『台車』のようなものに
乗せられ
検査室へ向かうエレベーターの前で
バイバイ……
ここで
『ママー!ママー!!』と
泣き叫ぶ声を聞くのが
いつものことだけど
なにより辛い……
*****
検査は3時間ほどで終了
検査後はPICUにて経過観察
(PICU=小児集中治療室)
全身麻酔のため
検査後6時間は全身拘束状態
身体の形をかたどった板に
両手足と胴をしっかり固定される
腕には点滴
鼻にはチューブが入り
口にもチューブ
(腕や足には血圧や心拍数を計測するものも巻き付けられている)
この姿
初めて見たときは
かなりの衝撃だった
まあ、その後
手術後の姿のほうが
はるかに衝撃的だったけれど……
(生後4ヶ月で受けた手術→手術の実施)
それでも
何度見ても
この光景ばかりは
やっぱり慣れない……
***
検査の結果は
担当医からすぐに説明がある
前回のバルーン後に比べ
三尖弁の開きも大きく変わらず
バルーンで三尖弁を開くまで
かなり高かった右室の圧も
ほぼ変わらない状態だったと
そのため
今回はバルーンは行わなかった
圧のバランスが微妙なことで
すでに
血液の逆流が起こっているため
これ以上 弁を広げると
この逆流が増えてしまうことが
予想される ということだった
血中酸素も普通の人に比べれば
低いものの
現時点で次の手を打つほど
緊急性は無いため
経過観察を続けることになった
ただ
そうは言っても
血中酸素が今の状態が長く続けば
脳への影響が出て来かねないため
娘の体重が15㎏になる頃を目処に
次のステップについての説明はあった
*****

↑検査後 大部屋に移ってご機嫌↑
*****
検査のたび
担当の先生方は
『予想される最悪の状態』を
常に説明する
楽観的な事ばかり
きれい事ばかり
並べられないことは よく分かる
今ならね
でも始めの頃
わたしは先生方が口にする未来が
確実なものだと 思い
それはそれは
『どうすればいいの?』の連続で
軽いパニック状態 だった
何も分からないから
ネットで
『右室低形成』とか
『肺動脈狭窄症』とか
『シャント術』とか
調べてみたら
かなり恐ろしいことしか上がってこず
怖くて怖くて
未来は闇黒にしか思えなかった
そして
点滴が無数につながる娘の姿を
目の前に 途方に暮れ
娘に会いに
病院へ行くことさえ
辛くて苦しいものだった
(一番辛かったとき→心拍停止の要因~現実を受け止める想い~)
周りの人に
たくさん励まされて
『大丈夫だよ!』
なんて言われても
正直 なにも 信じられなかった
『わたしは今 なにを 信じれば良いのだろう?』
『そもそも 信じるって 何だろう?』
……と さまよっていた
そして
『未来を信じられない』 自分を知り
『何を信じるか』分からないフリをする 自分の 弱さ にぶち当たり
『信じる』ことへ 見返りを求める
自分が居ることに 気付いた
何かを一心に
信じれば 信じるほど
同時に
もし そうならなかった時への
不安や恐れが膨らみ
それに堪えきれない自分が いた
そしてさらに
そんな弱い自分を 責めていた
信じることが 執着となり
『どんな未来も あり なんだ』と
受け入れる しなやかさを奪っていった
*****
あの頃は ほんとうに
辛かった
苦しかった
何に光を感じて生きていたんだろう?
……と
今でも 思うほど
もがいて もがいて もがき続けた
確かなものは
目の前の 娘の鼓動と
抱いたときの温もり 柔らかさ
そして
泣き声 だけだった
会いに行くたびに
ただただ
『生きている』ことを
感じるだけだった
信じられることは
先のこと ではなく
ただただ
目の前のこと だけだった
娘を ただ 見て
娘の声を ただ 聞いて
娘に ただ 触れて
娘を ただ 感じる
わたしに出来ることは
それだけだった
なにも 出来ない
どうにも してあげられない
そんな事の 連続だった
それでも娘は
とにかく 生きていた
どんな痛いことを されても
どんなに苦しい思いを しても
生きて いた
ウジウジして
泣いてばかりいる わたしより
ずっと強くて
ずっとずっと 頑張っていた
そして 何もかもを 受け入れていた
生きる ってことが
どれだけ 凄い ことなのか
どれだけ 強い ことなのかを
娘は命を懸けて 見せてくれていた
だから
わたしも 受け入れよう と思った
今 の 目の前の すべてを
受け入れよう と思った
乗り越えよう とか
信じよう とか
そんな執着に 振り回されず
このすべてと ともに 生きよう と
ああなったら… なんて 望みも持たず
こうなったら… なんて 条件も捨てて
ただ 今を 生きよう と
そして
そのすべてが 幸せで 在ろうと
いつだって 幸せは
自分のこころが 決める
大好きな言葉を
その通りに 生きようと
(こんな生き方をしようと、決意していました→検査の結果~そして再検査へ~)
*****
先日 娘が2歳を迎えました

わたしの人生の中で
この2年間は
ほんとうに壮絶なものでした
この先も
どうなるか分かりませんが
出産したときに
想定された未来からは かけ離れた
良い現実に
娘と生きています
決して
明るい未来なんて
信じられなかったし
想像も出来なかった
乗り越え方も分からず
すべてに感謝することも 無理でした
ただ
娘の生きる姿を 感じ
ともに 生きてきました
笑って過ごせることだけを
瞬間 瞬間で 選んで生きてきました
だから 今も笑えているんだと
今だから 信じられます