『家族』というのは
時間という軸のなかで

それぞれがそれぞれに
人生という名のメロディーを
奏でているようなもの

なのかも知れない

……と


なぜか無性に
音楽に例えたくなりました



中学高校で吹奏楽をやっていたのが
きっかけで
大好きになったバッハのオルガン曲
(一番好きなのはバッサカリアとフーガ ハ短調
これは自分が演奏したのも含めると5000回は聴いていますねぇ)



バッハのオルガン曲の特徴って
旋律が幾つもあって
それぞれが折り重なりながら進行し

そして

それぞれが何度も
変奏されながら繰り返され


でも最後には
その全てがまとまって
壮大なものになるんです



まるで小さな源流から始まった川が
どんどん大きく太くなり
最後には壮大な海に流れ込むように



この曲を聴く度に感じるんです



『それぞれの人生を生きる』
ことと

『バラバラに人生を生きる』
ことの違いを




そして『家族』というのは
『それぞれの人生を生きながら』

同時に

『ひとつの楽曲を創り出している関係』
なんだなと




ひとつのメロディーが転調すれば
(家族の誰かが転機を迎えれば)
それに引っ張られて
全体が転調していく



たとえその過程で
『不協和音』になることがあっても
そこで生み出された緊張感を
うまく調和していけるのは


その不協和音を
ただ『距離感が変わっただけ』
捉えることができるから




親の事情や
子供の成長過程において
それまでの距離感とは
変わるタイミングというのは
どうしたって訪れます


それは日々の小さなことだって
同じです



チューニングがうまくいかなかっただけのことなのか
(コンディションの問題なのか)
転調のタイミングのズレで
不協和音になっているのか



その違いに過ぎないのでしょう




そしてそのどんなときも『家族』
やっぱり
それぞれに人生を生きながら
ひとつの楽曲を創り上げているのです



そんな風に捉えたら
日常で感じる『不協和音』へも
さほど執着しすぎず
受け流せるのかなと……





********




そんなふうに思いを馳せる今日は
『父の日』ですね


わが家は旦那さんへ
お茶碗をプレゼント


いま使っているものは
結婚したときに買った夫婦茶碗


ずっと大切にしてきたけれど



旦那さんのだけ
少し欠けちゃって…
(別にワザとやったわけでは無いですよ……)


なので
これを機に

ふたり揃えて新しいものにしました
(自分のも新しくしたくて便乗しましたー(笑))







最近忙しくて
家族とゆっくり食事をする機会が
減っている旦那さんへ


こんなときだからこそ
『みんなで過ごすときを大切にしよう』
という想いに
感謝の気持ちを添えて……


みなさまも
ステキな『父の日』を♬