最近よく耳にする
(わたし自身、よく使っていますが)
感情を「味わう」ということ


どのようなものか?
はっきりイメージ出来ますか?



~感情は人生の彩り~
人生彩る言葉を繋ぐ*しほコトバ*
ようこそ



「味わう」

わたしは正直
ずっと
雲をつかむような感覚で


どちらかというと
わいてきた感情に
意味付けせず
ただ「どっぷり浸る」


そんなイメージを抱いていました


そして
何となくの感覚に
ずっと違和感も感じていました


それが
とある本とのご縁で
やっと
ハッキリしたのです



その本とは↓↓↓

「へそ道」入江富美子著



この本の中で
感情を「味わう」とは


感じる

自覚する・認める

自然と消えて無くなる

この一連の流れである……と



感情は
「さらして さらす」
という言葉のように


自分の中で「さらして」
……つまり
感じるまま
こみ上げてきたままに「感じて」


どんな感情も
そんな気持ちが自分の中に
「ある」ことを
自覚し、認めること=「さらす」ことで
いつしか無くなっていくのが分かる

それはまるで
真っ白なさらしのように……




そう
「味わう」は
その流れの最後で
こみ上げた感情が
自然に無くなっていくのです


だからもう
「通り過ぎるだけ」に
なるのです


そうは言っても
そんなにあっさりスッキリ
「無くならない」……ですよね


それは
その感情に対して
「良し悪し」を作り
「意味付け」をしているからなんです


感情を感じるのと
ほぼ同時に……


それが
心の「クセ」と
言われるものなんです



感情を味わおうとしたとき
ありのままに感じ
いつの間にか
自然に消えて無くならないのは


その過程に「クセ」である
自分で決めたルールを発動しているから


どんな意味付けをしているのか
どんなルールで縛っているのか

その握りしめているものから
手を離すチャンスでもあるのです



そもそも私たちが
「感情」という心を兼ね備えているのは
それを「味わう」ことを
(感じ→認め→無くなるという一連の流れ)
「楽しむ」ことが目的とされています


それは
感情に浸ったら どうにかなる…
という受動的なものではなく


味わう中で
自分が抱いているもの(クセ)に気付き
それを手放すという
能動的な過程を楽しむ
……ということ


その上で
心のように
コロコロ移り変わる不確かなもの
入り組んだ感情の世界からは
抜け出していく


それこそが
魂が育つことである


そうして
抜け出しながら
向かう先は………



「使命」である
本来の役割を生きること

……へと
繋がっていくのです