相手に
期待する気持ちがある中で
自分がやるから
「やらされてる感」
「やってあげてる感」が
溢れ出してくる
「わたしは
こんなに頑張ってるのに」
「わたしにばかり
いつも押しつけて」
「あなただって
もっと○○をやるべきよ」
って……
実はね、
「あなたもやるべき」
には
「わたしはやるべき」
が含まれているの
そう
自分に対する
~するべき
~ねばならない
が……
だからね
仮に相手が
やってくれたとしても
わたしが
やるべきことを
「やらせてしまった」
なんて罪悪感が
わいてきて
それはそれで
ものすごく
居心地が悪い
そう
「やって欲しい」と
期待しておいて
やってもらったら
罪悪感にまみれてしまう
もちろん
やってくれなければ
それはそれで
「どうしていつも
わたしばっかり!」
って……
結局
自分がやっても
相手がやっても
心地良くない状態を
生み出してしまうの
だからね
ここで
「あきらめる」ことが
活きてくる
「あきらめる」って
投げ出すことじゃなくて
「明らかに見る」
ことなの
つまり
「ただ 見る」
自分の気持ちを
交えずに
「ただ 見る」
目の前に
「やることが ある」
それだけ
そして
わたしは
「やる」 のか
「やらない」 のかを
選ぶだけ
わたしが
やらなければならない
でも
あなたが
やらなければならない
でも 無い
そうすると
「やらない」
つまり
「やらなくても いい」
という選択肢が
生まれることで
今まで抱えていて
大前提にあった
わたしが 「やるべき」
では無くなるの
すると
自然と相手にも
あなたは
やらなくても いい
ことになるから
相手がやらなくても
責めない
ましてや
やってくれれば
自然に
「ありがとう」が
こみ上げてくるの
相手への期待って
本当は
自分に対する
~するべき
~ねばならないが
前提になっていたの
だから
「期待しない」って
相手を見限るのではなくて
本当は
自分で自分を
縛り付けていた
思い込みから
自由にしてあげることなのよね
期待する気持ちがある中で
自分がやるから
「やらされてる感」
「やってあげてる感」が
溢れ出してくる
「わたしは
こんなに頑張ってるのに」
「わたしにばかり
いつも押しつけて」
「あなただって
もっと○○をやるべきよ」
って……
実はね、
「あなたもやるべき」
には
「わたしはやるべき」
が含まれているの
そう
自分に対する
~するべき
~ねばならない
が……
だからね
仮に相手が
やってくれたとしても
わたしが
やるべきことを
「やらせてしまった」
なんて罪悪感が
わいてきて
それはそれで
ものすごく
居心地が悪い
そう
「やって欲しい」と
期待しておいて
やってもらったら
罪悪感にまみれてしまう
もちろん
やってくれなければ
それはそれで
「どうしていつも
わたしばっかり!」
って……
結局
自分がやっても
相手がやっても
心地良くない状態を
生み出してしまうの
だからね
ここで
「あきらめる」ことが
活きてくる
「あきらめる」って
投げ出すことじゃなくて
「明らかに見る」
ことなの
つまり
「ただ 見る」
自分の気持ちを
交えずに
「ただ 見る」
目の前に
「やることが ある」
それだけ
そして
わたしは
「やる」 のか
「やらない」 のかを
選ぶだけ
わたしが
やらなければならない
でも
あなたが
やらなければならない
でも 無い
そうすると
「やらない」
つまり
「やらなくても いい」
という選択肢が
生まれることで
今まで抱えていて
大前提にあった
わたしが 「やるべき」
では無くなるの
すると
自然と相手にも
あなたは
やらなくても いい
ことになるから
相手がやらなくても
責めない
ましてや
やってくれれば
自然に
「ありがとう」が
こみ上げてくるの
相手への期待って
本当は
自分に対する
~するべき
~ねばならないが
前提になっていたの
だから
「期待しない」って
相手を見限るのではなくて
本当は
自分で自分を
縛り付けていた
思い込みから
自由にしてあげることなのよね