今日は、父の一周忌の法要を

おこなってきました。


広島・大阪に住む姉達一家も

集まれるということで

少し早いですが、

お彼岸も重なり

このタイミングとなりました。


一周忌を迎え 

故人は親族に対し

「背中を押す」という

おつとめに入られると

ご住職よりお話をいただきました。


生前は「親」という立場で

育て・助け・見守ってくれていた「父」


故人になっても なお

「背中を押す」という

サポートをしてくれていると知り

さらに深い「感謝」が

込み上げてきました。


そして

歴代のご先祖様を

遡って考えてみると

いかに 今

自分という存在が

「生かされているか」と・・・


(今夜は少し、長く書かせてください・・・)


正直、私は

父の死を迎えるまで

自分の「生」について

正面から向き合っていませんでした


親に敷かれたレールを

ただただ進む


世間の「当たり前」を

自分の「枠」として

そこから出る勇気も

出ようという意欲も無く


「~すべき」や

「~ねばならない」を

日々 自分に課して

こなしていく


自分の選択は

自分の意志では無く

その選択の責任は

自分には無い・・・と


「何か違う・・・」という気持ちに

蓋をして 見ないフリをしてきたけれど

自分の中での葛藤が

誤魔化しきれない程

膨らんできた時

急に分かった父の病


身体が病に蝕まれていく中でも

父の気持ちは いつも

「仕事に復帰するんだ」と


家族の誰よりも

父自身が

最後まで その意思を

諦めなかった


でも

その意思に反して

病に屈した身体


父の最期の言葉は

「もう 疲れた」 だった


その姿を ずっと傍で見守って

「もし 私だったら・・・」と

初めて 

「生きる」ということに

向き合った


急な 余命宣告に

「悔いの無い 生き方だった」と

想えるだろうか? 


今の仕事に

そこまでの 意思を

保てるだろうか? 

貫けるだろうか? と


生前最期の父の姿から

私は

「自分の人生に覚悟を持つ」

ことを 教わりました


もちろん 急には

変われなくて

「自分の気持ちの向き合い方」すら

分からなくて


でも

そこからの出逢い・ご縁は

急激に変わり

この1年で

私の「生き方」は

全く変わりました


何より

生きていて 楽しい・・・と

想えるようになりました


私の「覚悟」に対し

どんな力が働き

どんなサポートが入ったのか

「見えないもの」は

私には分からないけれど

故人となった「父」の

エネルギーは「感じて」いて


一番身近な「神様」は

父なのかな・・・と


この1年を振り返り

ただただ

「ありがとう」と

想いを込めて

伝えて来ました。