◯雷首山人の書「徳」素晴らしい言葉ですね。 シャープな書体と、力強いスピード感に満ちた素晴らし作品です!

 

 

「徳」を積めとは、(仁・義・礼・知・信)この五つを実践せよ! と云う儒教の教えだそうです。

 

            「仁」  人を思いやる心
            「義」  正義を貫く心
            「礼」  礼を尽くす心
            「知」  知恵を磨く心
            「信」  人を信じる心

 

 その結果、(1) 心に養い身に得たところ。人道を悟って行為に表わすこと。(2) 道徳的に善い行為をするような性格の習慣。(3) 生来有する性質、天性、品性。(4) 人を感化し敬服させる力が備わると云う意味のようです。

 

◯それでは此の書を書いた雷首山人とはどのような人だったのでしょうか?

 雷首山人は寛政元年(1789)生~嘉永五年(1852)歿雷 江戸時代後期の医師,儒者です。

   

福岡県福岡市能古博物館の「能古博物館だより」に詳しく載っていましたので要約してみました。

 

 ※夫君雷首のこと
亀井家の医業を継ぐため少乗と結婚、さらに藩許を得て亀井家の家族となった三苫源吾は号を雷首山人、略して雷首また山人として亀井家記録に出る。本稿では雷首を用いる。

 

 雷首の医学修業は、南冥(妻の父)直伝によると思うが、南冥の師「水冨独喘庵」が再三長崎に遊学して蘭方医術を志していた影響を多分に受けたようである。

 

 雷首直筆の薬購入覚え等を見てみるとモルヒネやキニーネ等の現在でも使用されている先進的な薬を処方していたようで驚きである。

 

 金持ちには薬代を相当にいただくが貧しい人たちに差別のない診療と高価薬も惜しまず与える、酒好きで武士身分に出世しながら腰の刀を忘れることがある元々の生れ育ちが農家のせいか。これなど庶民に好まれる話題になり人気があったようだ。

 まさに「赤ひげ先生」的な雷首像がつくられ好感を持たれる。少乗の文人画作品に、多くの雷首賛が加わるのも、両人に対する世間の篤い人気にはかならないのである。

 

 雷首の人柄を知ると「徳」の書が名実ともよく似合いますね!