劇団竹「待つなセリヌンティウス」、観ました。

 

竹さんの実体験を元に書かれたお話、

舞台の現場は、「故人を偲ぶ会」。

 

 

オマエ、俺のこと待つなよ。俺は長距離ランナーじゃない

 

【あらすじ】

自殺で亡くなったらしいテツオ。遺族から詳しい死の真相が語られることがなく4年。

そしてテツオの実家で故人を偲ぶ会が開かれた。

参加者はテツオと生前親しかったバンド仲間や親友、片想いの相手など。

もう時効とばかりに明かされた真実。テツオの想い出話や、テツオの死を受けた後の悲喜交々。

やがてそれぞれの『自殺を止めることが出来たかもしれない』という自責の念は運命共同体を築き、奇妙な狂乱を生む。

 

 

 

 

 

私は身近な人が自殺した経験も、親しい人と死に別れた経験もない。

祖父母が亡くなったのも幼い頃のことだったので、

私にとってはまだ「死」というものはあまり身近でない。

 

だから、今回のお芝居のあらすじを見たときは、

共感できるところというのはきっとなくて、ただただフィクションみたいに、他人事みたいに、

ただただ傍観することになるかもな、なんて思っていた。

だけど、

 

「あと一人来るかもしれないんですけど。

 それでは、ニシナテツオさんを偲ぶ会を、始めたいと思います」

 

その言葉で始まって、私は一気に

「舞台の傍観者」ではなく、「テツオさんの死を偲ぶ会の参加者」になった。

 

見ず知らずの、「テツオ」という人のこと。

その人が、どういう人だったのか、

誰にとってどんな存在で、その人にとっての一番強い思い出はなんだったんだろうって、

一人一人の話を聞くのがすっごく楽しみで、

普通に話を聞いて、笑ったり、驚いたり、うなずいたり、泣いたりしてた。何度も泣いた。

 

 

 

中学のとき好きだった人の家族、

高校のときの友達、

大学のときの片思いの相手、

音楽活動を初めてからの仲間、

通っていたお店の女の子、

彼に憧れて劇団を立ち上げたという人、

 

相手やシチュエーションが違えば、見せる自分っていうのはそれぞれ違うもんで、

まして時間が違えば、本当にたくさんの別の顔があって。

たくさんの人の口から、一人の人間のいろんな人物像が語られて、

だけどその中でも、やっぱりその人らしさみたいな、一本の軸みたいなものが見える。なんかそれが見えた瞬間って、すごく愛おしい気持ちになる。

 

 

 

私は、テツオさんのことを知らない。

そして、ケイコちゃんのことも知らない。

まったく交わることなく、遠い場所で、私の知らない場所で、自ら死んでいった誰か。

だけど、たくさんの口から語られて知る、

「そういう人がいたんだ。」

「誰かにとって大切な人が、この世界に確かに生きていて、今はいなくて、

 それを悲しむ人が、もしくは思い出にしている人が、確かに存在しているんだ」

 

それが、お芝居という、こういうかたちで、

もう死んでしまって知りようもない人のことが、こうして伝わる。

それは、ものすごい出来事のように感じた。

 

死んでしまったら、もう二度と会えない。

過ぎていってしまった時間は、二度と戻らない。

だけどこうして、誰かが生きていたということを、伝えていくことはできる。

伝えていくこと。忘れないでいること。

 

竹さんのこういう表現の仕方生き方に、純粋に、心が震える。

「表現」を人生にしている人の意味目的は、人それぞれにあると思うけど、

竹さんのは、好き嫌いとかそういう感情めいたレイヤーじゃなく、ただただ心が震えるんだ。

 

 

 

 

 

終わったときは、

「えっ、これで終わり?? 竹さん今回ちょっと脚本短くないー?もう一展開くらいあるでしょー!」

って思って、体感的には40~50分くらいかと思って時計を見たら、1時間半経ってて本気でびっくりした。

 

席を立とうとしたけれど、身体がどうしても動かなくて、頭も真っ白になって、

ただただ涙が止まらなかった。

なんか、感動したとか悲しいとかハッキリとした理由も分からず、

何なら胸が痛んでるわけでもないのに、本当に、ただ自分の内側から、涙があふれてあふれてきた。

 

私には偲ぶような故人もいないのに、なんでこのお話でこんなに泣いてしまうんだろうって出演者のk.a.n.aに話したら、

「死っていう喪失だけじゃなくても、大切なものを失うっていう悲しさは、誰しも持ってると思う」

って言ってくれて、あぁそうかぁってストンと落ちた。

 

自分が今まで生きていて、コツコツと蓄積されていった、悲しいと思ったこと、感じた出来事が、

自分の身体の中のあちこちに今でも残っていて、

それらが反応して、震えて、振動しているかんじだ。

 

 

 

 

 

だけどあぁもう、本当に、悲しいって気持ちと同じくらい「愛おしい」って気持ちが溢れてくるの、

それはひとえに役者さんたちのちからがすごくて。

 

一人が話をしているときに、後ろで相づちを打つそのあまりに自然な感じだったり、

(これのおかげもあって、よけいに自分もこの会の参加者だなぁって思えた。

 小さく吹き出す感じとか、目線の動きとか本当に細やかで、

 そういうのが感じ取れる距離感の劇場でよかったなぁ合ってたなぁって思う)

メロスのパロディのお話がホントに面白かったり、

海辺に並んで座ってるときに、キラキラした海の音が聞こえるようだったり、

キャバクラの女の子のテツオさんのモノマネが秀逸だったり

(唯一生きているテツオさんが出てきてるシーンだったよね)

ヨリネちゃんの失恋エピソードは何回聞いても自分事のように憤慨するし悲しいし、

何気に一番共感したのは「鬱ってことをバレないように生活してた」ってくだりだったり…

 

どのシーンを切り取っても好き、って思える。

好きな言葉もいっぱいある。

 

本当に、不思議な舞台だった。

 

今までいろんなお芝居を観てきて、「○○系だとこれが一番好きかなー」みたいなのはあるのだけど、

今回のお話は、そのどれにも属さないというか、

お芝居を観たっていう感覚じゃないのかもしれない。

すごく日常のようで、自分の人生にこういう時間がありました、っていう感じの。

 

“演技”じゃなかったからなんだろうな。

 

出演者の結美子ちゃんのブログに書かれていた竹さんの言葉、

 

台詞を噛むなんて論外とか

散々言ってきたのに、

こんなこと言うのもなんだけど。

もし噛んでしまったり、

台本を5行とかすっ飛ばして

辻褄合わなくなってしまったとしても、

心だけはずっと途切らせずに

そこにいてください。

それさえ守ってくれていたら

たとえ何があったとしても、

どんなこと言われたとしても、

僕だけは味方でいますから。

 

あぁだからだぁ、と思う。

 

 

 

 

 

ここまでしてくれる竹さんに出会えたことが、

テツオさんやケイコちゃんにとっての、人生最大の幸運なんじゃないかと、勝手に思ったりする。

 

 

 

 

劇団竹 竹林林重郎さんのブログもここにリンクしておこうっと。

画像もありです。

 

 

 

公式サイトはこちら

 

 

「君の名は。」観ました。

 

そしてIMAX、初体験しました……!!!!

 

1回普通の上映で見て、すごく良かったから2回目観ようとしたら、見に行ける時間のがたまたまIMAX上映で。

 

正直さいしょは、

「画質が綺麗とか、音がすごいとか言われても、

音楽も映像も専門じゃない一般庶民の私に分かるのかなぁ??」

と半信半疑…

 

けど、

めっっっっっちゃくちゃ良かった………!!!!!!!

ぇええええこんなにすごいの!?って衝撃!!!

 

 

言葉の、身体の中に入ってきかたが全然違う、

3Dじゃないのに画面の立体感とか奥行き感とか見たことない美しさ、

通常上映でも、何度も涙ぐんだり泣いたりしてしまっていたけれど、

IMAXで観て2時間号泣…(声枯れた。)

 

 

部屋に差し込んでくる光、あんなキラキラの粒混じってた…!?(最初見逃しただけ??)

星の…っ 星の瞬きが、こんなに綺麗だなんて…っ!!

山の緑が風に揺れてザワついてる質感なんて細やかなの!!

雲の光、こんな虹色に美しく輝いていたなんて!!!

こんな小さな息づかい、絶対1回目じゃ聞こえてなかった!!!

音がすごい、どうすごいってうまく言えないけれど、

音質のスゴさで五感ぜんぶ洗脳されてしまったと思う、

 

あぁぁこんなに作り込んでいたなんて、

それがほとんどの上映ではカットされてしまうなんて…!

"音楽がスピーカーの良し悪しで雰囲気変わる"っていうのは定番な認識だけれど、

映画でもそうだったなんて知らなかった。

上映方法でこんなにも変わってしまうなんて。

 

もう一生IMAXでいい!!!

500円くらいプラスするだけで、これほどの体験ができるんなら全然いい!!

対応映画館はまだ少なそうだけれど。

 

 

* * * * * * * * * * 

 

さて。映画を見た個人的な感想だけれども(感想っていうかいつもの妄想)。

 

「夢」っていう感覚を、すごくリアルに描いてるなぁって思って、すごく切なかった。

 

夢って、見てるときはすっごくリアル。

痛かったり 息苦しかったり、

いい匂いがしたり 美味しかったり、

好きな人や嬉しい出来事に 心臓が鼓動を打ったりするのに、

目が覚めたその瞬間はその感覚がまだ続いているのに、

あっと言う間にみるみるいろんなものが遠くなってしまう。

 

忘れたくなくて、もう一度目をつむって布団をかぶって現実の情報を一切遮断して、記憶をたぐり寄せる。

思い出せる、まだ思い出せる、そう、ここで、誰が、でもここは、どうだったっけ、

どんどんぼやけていく。

さっきまで見えていたものもどんどん、輪郭がなくなっていく、思い出せなくなってくる。

 

これは本当にたまたま今朝の出来事、

『すごく、怖いことがあった、こんなの耐えられないってくらい怖いこと、

だけど一番最後に大丈夫だってなって、力が抜けるくらい嬉しかった、

なにが起こったんだっけ、誰と一緒にいたんだっけ、好きな人だった?それとも全然知らない人?

どうして私は怖いと思ったんだっけ、』

 

すごく大事なことがあったような気がしたのに、あっと言う間に思い出せなくなって、

残るのは感情だけ。

 

 

あぁでもそう言えば、現実の世界でも、

名前も顔も思い出せないくらい遠くなった人に一番最後まで覚えてるのって、

その人に対する感情だ。

 

好きだったとか苦手だったとか、憧れてたとかムカついたとか傷つけられたとか、安心できたとか元気になれたとか、もう一度会いたいって思ってたとか、

 

「あのたった一言だけ、すごく嬉しかったな」

「電話の声が優しくてビックリしたな」

「何かを言われて、すごく腹が立ったんだっけ」

「パワフルだなぁって、見ていて気持ちがよかった」

 

私も誰かの中に、そうやって消えずに残っているんだろうか。

その人はどんな風に、私のことを覚えているのかな。

 

 

誰かに対して、覚えてられるのってなんだろう。

名前、顔、声、髪の毛のかんじ、手の大きさ、感触、指の形、いつもつけてるアクセサリー、よく行く場所、最寄り駅、家までの道、通ってた学校、仕事、職種、好きな音楽、苦手な食べ物、話し方、口グセ、

 

それら全部忘れても、その人への感情だけは覚えてる。

感情すら思い出せなくなったとき、本当にその人のことを、忘れちゃうんだろうな。

 

 

 

 

 

新海監督の描く、自然の風景の美しさはもちろんなのだけど、

東京の景色のほうに、むしろ泣いてしまった。

 

外の世界のことなんにも知らない、箱入りで育った田舎の頃よりも、

今の東京のほうが、ずっとずっとたくさんの感情を詰めこんで生きてるからかな。

 

新宿の街並は、今の自分の日常の景色。

街が大きな箱みたいだ、

もう10年以上もこの場所に感情を持ち歩いて、無意識に詰め込んできてる。

そしてきっと私だけじゃなくて、たくさんの人が、この一つの場所に様々な感情を蓄積していってる。

 

場所には、記憶と、感情が残る。

 

 

 

 

 

それでもずっと続いていくことなんてないし、ずっと同じなんてないし、この先なにがあるかなんて分かんないし、

それなら今「むすばれた」人たちとのことを、ただただ今、大切にしたいなと思った。

出会った人たち、優しい人たち。

出会って、いろんな人の影響で自分は作られていって、

そして知らないところで私も何かに影響しているのかもしれない。(どうだろう??)

 

 

 

 

 

普段アングラなものを見ることのほうが多いけれど、

いやーたくさんの人が面白いっていうだけのことはあって面白いよ!笑

 

新海誠監督の作品を見るのは初めてだったのだけど、すごかったなぁ、好きになったなぁ。

「言の葉の庭」とか、昔の作品もちょっと見てみよう☆

 

 

 

 

この大晦日で52年の歴史に幕を閉じる、

明大前キッド・アイラック・アート・ホールのラストスパートを飾るのにふさわしい、橋本拓也さんのエンターテイメントショー!!

29日に千秋楽観にいきました、

TAKUYA’s Live 2016 Final「GOKIGENYOU(ゴキゲンヨウ)」

 

 

「しみったれた最後にはしたくなかったんで」

と橋本さん。

その言葉にふさわしい、キッラキラで強くて激しくて、大爆笑で、自由で、最高にカッコいい、

流れ星を見つけた瞬間を魔法で引き延ばしたみたいな、

キッド最後の TAKUYA’s Live でした。

 

 

 

笑いあり、ダンスあり、感動あり。

コメディな設定にして美しい舞台と照明。

(廃部寸前の弱小チアリーディング部が、秩父の山奥にいるチアリーディングの神と、優勝目指して特訓をするというお話。)

 

 

 

そんな美しい空間の下で、ずっと爆笑しっぱなしのTAKUYA’s Live 笑

 

チア部は5人。

大柄な人、小柄な人、手足が長くて細い人、バランスのとれた人、

チアリーディングって考えると、雰囲気も体型も違い過ぎて成立しないんだろうけど笑。

こんなにもみんなが「自分」なダンスって、すごい面白い。

 

 

こうしてみると、誰のなにも「欠点」なんかじゃないんだなぁって思う。

全部「強さ」だ。

 

 

ダンス向きのスタイルじゃなくても、踊りにキレがなくても、

「『自分』 として、一生懸命生きることが大事」っていうことを思い出させる…そのまんま過ぎて恥ずかしいな! どこの歌詞だよー!笑

いやでも、よく聞くってことは、それだけ大事なことだってことですよ、

「挨拶は大事!」みたいなね笑。

 

5人ともがそれぞれのすごい個性で動いていて、

あぁもう5つの(つまり10個の)目が欲しいなって思うくらい、あ、つまり5回見ればいいの!? 3回しか公演してないけど!笑

なんで千秋楽だけ見に来ちゃったんだ私ー!!と後悔。。

せめて!!せめて2回は見たかった…!

 

ホントにねー、びっくりするくらいカッコよかったのダンス。動きも、フォーメーションとかも。

感動ですホントに。

橋本先生すごいです。

 

 

 

 

 

 

 

キッドで見る、あの透明と青とマゼンタが混じる照明の世界が好きだった。

 

今夜は、シャボン玉がふわふわと舞った。

 

2階までの吹き抜けの、高い天井を見上げる。

 

空を見上げてるみたいだった。

顔を持ち上げて、何度も涙がこぼれた。

 

終わっちゃう悲しさだけじゃなくて、

やっぱり、とても綺麗で。

橋本さんの作る物語は大爆笑で。

大笑いして空を見上げたら、あまりに綺麗で、一度きりしか出会えないその空に泣いてしまった。そんな感じだ。

 

はやぴーはすごいな。

照明、空間づくり、改めて彼の力を敬愛するなと思う。

ここまで作り上げた。私はここ数年からしか知らないけれど、はやぴーは私がまだ中学生の頃からずっと、この場所で表現者たちの世界を作ってきたんだ。

最後の最後まで、妥協を許さず全力で作り上げてきた。

 

 

 

大好きな色の照明の中で、ふわふわと夢みたいに舞うシャボン玉。

忘れたくない景色だった。

この今の気持ちまるごと、一生大切にしたい光景だった。

 

大切なものって、いつまで覚えていられるんだろう。

大切なものって、いつまで大切でいられるんだろう。

 

変わっていってしまうからな、この場所がなくなってしまうみたいに。

環境も自分も、流れていってしまうからな。

 

だけど、この景色を忘れたくないって思ったことだけは、忘れないでいたいと思う。

 

 

はやぴーが照明を灯すとね、本当に、世界が広がるの。

「物理的にだよ、ホントのホントにだよ」って言えるくらい、本当に、遠く遠くまで見えるの。

数メートル先の壁なんてなくなる、

自分の見たいものが見える、自分の行きたいと思っている場所になる。

ここが明大前のコンクリートの中だなんて、とても思えない。どこにでもなる。どこにでも行ける。

静かな灰色の箱の中はいつも、ものすごいことが起こってるんだ。

 

そんな場所を、チーフのはやぴーと、

この場所を好きだと思うスタッフのひとたちみんなで作り上げてきた。

それが、キッド・アイラック・アート・ホールだ。

 

 

 

 

 

あ、もうこっからは身内目線ですが!笑

みなさまの素晴らしさを!!

 

マツコさん・マヤさん(ハレルヤシスターズ)

大柄な二人のキレッキレなダンス、かっこいい!見ごたえがスゴい!!

マツコさんの巨漢な美しさを見ると、マヤさんが普通体型に見えてくる…笑

マヤさんのツッコミは鋭利で気持ちがよいなぁー

 

ちーちゃん

美しいのはいつもだけど、もうスタイル良すぎるし手足細くて長くて美しくて、

しかも影絵劇団員なだけある、優雅で優美な身のこなし!!美しい…

チアダンスで一番目を奪われてしまったのは彼女です。うっとり。

 

k.a.n.a

めっちゃダンスうまくなってる…!って感動!!

2年前の夏、橋本さんの「コントDEヒント」に妖精役で出たときは、

可愛らしい女の子がガンバってマス☆みたいな感じだったのだけど、

もう体幹のしなやかさがすっごく綺麗になってて、軸が安定してて身体も柔らかくて。

バランスの取れたスタイルなのね、身体の締まりが美しい!

 

川久保さん

今日は特に、私の知ってる川久保さん史上最高に面白かった!!!

面白さに磨きがかかっているよね!!?

なんかもう、いわゆる芸人的な面白さじゃないのよ、川久保ワールドなの!!!

この世界観は彼女にしかないわ…すごいわホント…

 

橋本さん

橋本さんはやっぱり安定の太い幹です、橋本さんがしゃべると、踊ると、

みんなの空気が一点に ぎゅぅッ!と凝縮されるみたいに空間が締まるの。

ソロダンスは見ていてやっぱり満たされる気持ちになるし、

あの5人の個性をここまで引っぱり出した演出力、ほんとにさすがです!!

 

 

 

 

 

アンコールは2回くらいあったような笑

 

まさかの川久保パフォーマンスで幕を閉じそうに(笑)

疲れきって「もうホントなにもしませんから!!!」って言ってる橋本さんに、はやぴーが容赦なくレッド・ホット・チリ・ペッパーズ 流したけどねww 

一見ぐだぐだのようなのに、

ひとりひとりがあまりに面白過ぎて、

みんなで揃ってするダンスは感動的にカッコよくて、

橋本さんのソロダンスは貫禄な締まりがあって、

全然疲れない。ずっと楽しい。

 

「終わらないで、終わらないで」って、みんなの願い。

願っても叶うことばかりじゃないのに、

叶うはずのない「2回アンコール」が実現ww

 

もうホント、全国に10カ所くらい建設されてるディズニーランドに一日で回ったみたいな

そんなぐるっぐるの楽しさ!!!

超エンターティメント!最高!!!

 

 

 

幸せいっぱいで、帰りたくないよーぅって気持ちになってしまいました。

そんな年の暮れ、12月29日。

 

おつかれさまでした!!

ゴキゲンヨウ!!!

 

 

 

 

 

 

作・演出:橋本拓也

出演:橋本拓也、マツコ(ハレルヤシスターズ)、マヤ(ハレルヤシスターズ)、りりり子、千晶、k.a.n.a 

照明:早川誠司

会場:KID AILACK ART HALL

 

 

 

「Chihei Hatakeyama + Hakobune "The fall rises" リリースパーティー」
上板橋にあるお寺、安養院 瑠璃講堂でのライブ!

 

 

お寺!

 

 


すごい良かったー、ていうかすごかったー、
お寺という荘厳な空間の中、素敵な音響設備の中でのアンビエント、ドローン、実験音楽を、

床暖房の上でぬくぬくズブズブ聴くという…

 

ちょいと遅れて行ってしまい、2人聴き逃してしまったのが本当に悔やまれる!

 

 

 

【冷泉】

 

冷泉さんの音楽は、いつもミ二マムで、それでいて飽きさせない、すごく惹き込まれるから面白い。

 

前聴いたときは、

Cの音(多分C)をオクターブで交互に繰り返し続けるっていう。ただそれだけ、で30分(笑)

でもそれが同じCの音でも、響き方や音色が違っていってて、

その違いも”気付いたらさっきと違う” みたいなので、それが本当に面白いの!!

 

今日は、CとDの音(多分CとD)が交互に。

二つのテンポの周期が微妙に違っていて、

均等に繰り返される状態から、だんだんズレていって、フッと重なって和音になるときがあって、またズレていく。

 

その、ちょっとずつ重なって、またズレていく様子がね!

田舎で車に乗ってるとき(東京だと車乗らないんで…)

信号待ちでウインカーを出してる前数台の車の、そのウインカーのリズムが、

 

「あ、ピッタリ交互だ」とか、

「…いや、ちょっとずつズレてってるな、てことはずっと待ってれば………………

 きたきた!重なった!!!…あーまたズレてきちゃった…」

 

ってじ─────って見てたあの感覚と同じなの!

なんか懐かしいし、ワクワクしてしまうのよね、ソワソワ!っていうか、キタキター!っていう、あの感じ。

…細か過ぎて他人には伝わらないと思うけど…笑

 

 

 

【H.Takahashi】

 

エレクトロぽくてすごく好みだった~音が可愛い!

 

なんていうか、銀河鉄道の夜を思い出す。

自分は宇宙にいて、星がリンドウの花畑みたいにキラキラしていて、

その中を、横に電車がゆっくりと走ってるのが見えるの、

私はそれを少し離れたところから、暖かい温度の中、あたたかな光として見てるような。

 

電車は、ゆっくりっていうか、寧ろ止まってる。

動いてるのは、周りのキラキラとした星たち。

星が流れていってるから、電車が動いているように見えるだけで。

 

 

そして思った、

止まっていても、その電車は電車の中で、そこの時間が流れてるんだなぁって。

 

前に進むことだけが全てじゃない、

ゆっくりと本を読んだり、なにかを書いたり、

それは止まっているようでも、きちんと、時間が流れていて。

 

 

周囲で流れていく星たちだって、別に自分を置いていってるわけじゃない。

それぞれに、みんなリズムがあるだけ。

みんなそれぞれの、川の中を、自分のスピードで流れているだけ。

 

うん。焦らなくていいし、無理に周りのリズムに合わせることもないんだよなぁ。

 

そう思えた。

すごくいい音楽だった。

映像も良かったな、シンプルな直線だけで描かれた、部屋や廊下のエンドレス。

好みだった。

 

 

 

【ハチスノイト(hatis noit)】

 

声だけでレイヤーを重ねていく音楽のハチスちゃん。

その声があまりに神がかりすぎていて、時々怖いと思ってしまうくらい…

 

けれど今日は、場所性とのマッチなのか、音響と合っていたのか、

もう純粋に綺麗だった!

ハチスちゃんの音楽は、儀式的だものな。

お寺っていう場所と、すごく合ってて美しかった。

 

というか相変わらずハチスちゃんが美し過ぎて癒される…!!.:。+゚

美しいは正義だ!!.:。+゚ と思わずにはいられない。

 

 

 

【Chihei Hatakeyama + Hakobune】

 

 

安定の二人…

本当に、心地よい。

 

音楽のことは全然詳しくないから、なにがどうでなんて説明は出来ないのだけど…

もう本当にただ、細胞に合うなぁ、という感じ。

なんの引っかかりもなくて、

浸透圧が同じというか。同じ体温の中にいるみたいな。

 

安心して身を委ねられる。

猫がお腹出してごろんしてるくらいの無防備な気持ちで、ゆらゆらしていられる。

 

 

映像もすごい綺麗だった。

水の中から空を見上げているような映像。

水面のゆらめきは、雲みたいで。

泡が舞い上がる様子は、雪や花びらのようで。

 

 

特に何に思いを馳せるでもない、

ただただ、ボーッとする時間、心地の良い時間。幸せ。

 

 

 

 

 

体感できてよかった。

 

身体の調子の悪さは相変わらずで、

普段使わない路線乗ったら 電車の中でプチパニック起こして泣きそうになりながら行ったんだけど(笑)

それでも行ってよかったー!

 

しっかし巨大なスピーカー4台、巨大プロジェクター3台、床暖房…

お寺ってお金持ちなのね…(- ω -) 

 

そんなところでライブさせてもらえるんだから、すごいなぁ☆

 

 

 

 

 

写真家・矢郷 桃さんの「Calender展」、行ってきました!

もーめっちゃずっと楽しみにしてた….:。+゚

 

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桃さんのブログより↓

http://www.momoyago.com/blog/

 

淡々と流れていく 日々のなかでも

季節はめぐり 、芽吹き、花が咲き、実が実り、雨が落ち、風が吹く

そうした季節のなかで 佇む草花の姿と その愛おしさ

 

そして二十四節気ごとの暦や

満ち、欠けてゆく月を通して

私たちを支える宇宙や自然の恵みを感じること

心通わせ また感謝し

みなさまにも届けることができたらとカレンダー制作をはじめました。

 

2014年からつくりはじめ、2017年で3年目。

そのあいだ、たくさんの方の手元に渡り、

とてもうれしく、大きな感謝を感じています。

 

2017年のカレンダー販売にあたり、

季節のめぐりとその愛おしさをみなさまとより深める機会になればと展示をすることにしました。

師走の忙しい時期かと思いますが、みなさまとお会い出来るのを楽しみにしています。

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なんでしょうね、もうすごく好きなんです、彼女の写真。

鈍い光に満ちていて、

明け方の薄暗い光の中で見る夢みたいな 瑞々しさがあって。

 

 

桃さんの視点なのに、自分も見たことがあるのかも、って思わせられる。

人って、目にしたもののほとんどを覚えていないっていうよね、

(信号機の色の並び順を聞かれて、全員がすぐに正解を答えられない、みたいな。

 見たもの全部覚えてたら脳がパンクするらしい。)

だから、自分はもちろん見たことないのだろうけど、

覚えていないだけで、本当は見た事があるのかもしれない、

そんな記憶の奥がくすぐられるような、ちょっとドキドキする心地よさがある。

 

 

 

写ってるのは、そのへんの雑草や、枯れてしまった季節終わりの花たち。

 

普通に過ごしてるだけじゃ、「汚く枯れたそのへんの雑草」でも、

桃さんの視点を通すと、すごく切なくてキラキラした、生命の最期の輝きみたいに見えるからすごい。

 

「写真を撮るようになって、そういうものに目がいくようになりましたね。

 そうじゃなかったら、私にとってもただのそのへんの枯れた草です(笑)」

 

あぁそうか、写真を撮る行為っていうのは、

自分の好きなものを自覚したり、

それこそ本当に、日常の小さなキラキラや幸せを収めていくようなことなんだよね。

なんてことを、改めて思い出す。

 

 

 

 

展示場所の、自由が丘のcafeイカニカも、すっっごく素敵なところで!!

駅からちょっと歩くけど(女の人だと20分くらいかかるかも…)

すっごい素敵なおうちカフェ!!

そしてチーズケーキとガトーショコラとチャイ頼んだんだけど、めっっっちゃ絶品!!うまー!

 

(完食後w)

 

 

 

木の感じ、枯れた植物の生け方、シンプルさ、どれもすごく好き。

 

 

 

桃さんとゆっくりお話できたのも嬉しかった。

展示してある写真を撮ったときのこととか、

暗室で現像するときのこととか。

暗室で現像とか…憧れるなー、ただただ憧れる。

モノクロの現像は赤い照明の中でできるけど、カラーは完全闇の中でじゃないといけないそうで。

闇の中での作業とか、禅の域だな…

 

 

 

 

来年のカレンダーゲット。デスク横に。

(画像はまだ今年のもの)

 

 

二十四節気と、満月と新月が書かれているのも、

毎日の暮らしを丁寧に、っていう桃さんの人柄と気遣いが滲んでいて、ほっこりする。

 

好きな写真が、写真集になってるのもいいけど、

カレンダーだと部屋に飾っていられるし、月毎に風景が変わるのがすごく嬉しいな。

一年が終わったら、自分でコレクションにすればいいし☆

 

 

作業デスク横の壁に飾ってるの、

これでまた一年、仕事中に癒されるです.:。+゚( ´  ∀  ` )

 

 

 

 

なんだか今年雨多くない??

と思ったら割と例年通りなんだそう。えーそうかなぁー???

 

そんなわけで土曜日はギャラリーと美術館のハシゴ。

 

 

◆小川敦生「素の建築」◆

 

「真っ白に見えて実は」っていう作品があるとの情報を聞きつけ、いざ現物を拝見。

 

 

ほんとにパッと見、ただの白紙が額の中に入ってるみたい。

んで近づいてよーく表面を見てみると… なるほどー!!!

見れば見るほど、なんか視力をやられる。

目の盲点を刺激される感じです。

この精密さ、フリーハンドらしいのだけど…どうやってるんだ、謎。

 

外苑前の「Art&Space ここから」にて。

↓ギャラリーサイトのブログでも紹介されています

http://www.cococara-minamiaoyama.com/2016/09/22/小川敦生さんの問題作/

 

 

同時開催◆松岡 亮「VELTZ」◆

 

 

アナログTVによるインスタレーション。

TVの砂嵐?をいくつも並べて、照明用の機材と繋げて音楽を作ってる。

ザー、ビカッビカッ、ブツブツ、

なんだかテクノイズみたい!アナログの音っていいな、キュンキュンしちゃう。

 

上記2つのスケジュールは以下で!

http://www.cococara-minamiaoyama.com/schedule/

 

ここのギャラリーは8月末に出来たばかりなのだそう。

大きな窓に、こだわって置かれた古い木の家具や、アンティークの鉄の棚など、なんとも落ち着く空間。

外苑前駅からすぐだし、これはちょいちょいチェックしたいです☆

ゆっくり観てたら、店主さんが冷たいお茶を出してくれました。優しい!

 

 

 

 

さて、外苑前から上野に移動!

 

 

◆東京都美術館「木々との対話」◆

 

 

「奥深い白の着彩」との情報を聞きつけ、いざ土屋仁応さん作品の鹿さんに会いに!

 

 

木彫なのに、うぶ肌みたいな質感!!

森の動物や、架空の生き物が、今にも動き出しそうで。

素材は楠だそう。

 

 

 

どこから見ても美しい…

 

 

 

水晶で作られた瞳も、なんだか憂いというか、寂しそうというか、でも優しいというか… 一方的に愛したくなる。

 

 

かっっ可愛い…

 

 

 

あとエントランスでどどーん!と現れる國安孝昌さんの作品!

 

 

下から見上げてると、なんかもう人間ではどうしようもない自然の脅威に飲み込まれていくみたい。

海とかもそうだけど でっかいものって、なぜだかボーッと見続けてしまうのよね。

 

 

こちらの展示は10/2までやってますので気になる方はぜひ~☆

 

 

 




【個展のお知らせ】

日ごろのグラフィックデザインのお仕事とは関係なく、アート作品の展示です。
とにかく昔から「色」が好き。
重力・空気・衝撃などの力の作用を利用して、なるべく自分の意識の外で「色」がいきいきしたらいいなぁと、そんな感じで描いております。
20点くらい展示します。

初日・土日・夜遅い時間は在廊予定です。

お時間ございましたらぜひ◎お待ちしております。

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【陶山ゆつき 個展「PLAY color」】

会期:8月24日(水)〜28日(日)・9/2(金)〜3(土)
時間:14:00~21:00(最終日は19時まで)
会場:キッド・アイラック・アート・ホール 5Fギャラリー
入場無料

オープニングパーティー:24日(水)19:30 start
※ささやかなものですので、お気軽にご参加くださいませ。
オープニングゲストLIVE:hakobune


《お問い合わせ》
■キッド・アイラック・アート・ホール
[明大前駅(京王線・京王井の頭線)より徒歩2分]
〒156-0043 東京都世田谷区松原2-43-11
Tel:03-3322-5564
Mail:arthall@kidailack.co.jp
Web:http://www.kidailack.com/







あまりにあまりすぎて、
感想をどこから手をつけていいのか分からない、
なんて言っていいのか分からないけどとにかく ”食らった”、
「セクシャルマイノリティ」をテーマに描いた
劇団竹・最新作
『デンドロフィリアックが描いたデタラメなヴォイニッチ偽稿』


自分の”性の本能”が、世の中から「マイノリティ」とされてしまった7人の苦悩。

テーマからしてすごく興味深くて、
早く早く観たいなぁって もうこの日をずっと楽しみにしてた。

本当に問題作、天才的な傑作・・・
自分の恋愛対象が、ノーマルだとかそうじゃないとか関係なく
「愛する」ということの、つらさや寂しさ、あたたかさを感じられる作品だと思いました。


パンフレットにあった、竹さんのご挨拶の一部。
『この作品をあなたの隣に潜む変態と、そして、あなたの心の中にも潜む、ほんのわずかなアブノーマル性にも送ります。
 どうか全ての人の魂が力強く輝きますように。』


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まずとりあえず、紹介から。

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近未来、DNA操作で自分の『性癖』を自由に変えられる時代。
個人で診療所を開設する医師「時沢 圭一」の所に様々な人たちが訪れる。

社会的コンプレックスからノーマルになりたい、ホモセクシャルの「蓮池 猛」、
レズビアンとして堂々と生きている「松井 咲良」、
結婚しているが、自分がレズなのかバイセクシャルなのか悩んでいる「時沢 草」。

ニンフォマニア(淫乱症)の「椎名 菖蒲」は
亡き夫の弟でロリコンの「榊 臨光」に片思いをしているが、
彼は菖蒲の4歳の娘、「陽菜」に恋をしてしまった。

手足を切断した女性にしか興奮しない四肢欠損フェチの「大熊 榛生(ハルオ)」は、
これ以上誰も傷つけないために、
「デンドロフィリアック」(植物や樹木に対して性的興奮・愛情を抱く、極めてマイノリティな性癖)
に変えて欲しいと医師にお願いする。
そして医師・時沢 圭一も、実はカニバリストという性癖を抱えていた。

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…すごい話だ。

頭混乱。

まず「植物」に性的興奮ってなに…?? とか、
「四肢欠損」で興奮するとか怖すぎてつらい… とか、
「ニンフォマニア」って初めて聞いたけど、淫乱症って性癖なのか…とか、
「カニバリスト」って、宗教的なものじゃなかったの?性癖なの??とか…


分かんないけど、なんというか、…
思春期に初めて”性”の世界を知ったときのショックとか、恐怖と興奮みたいなものを、
今また「こういう世界もあるのか」とショック、恐怖、興奮を感じたようなかんじ… です。

アブノーマルかもしれないけれど、
そこに共通するのは、ただただ「愛する」という気持ちで、
愛しているのに、
それがマイノリティであるがゆえに、世間から「気持ち悪い」とか「異常者」だとかって批難されたり、
誰かを傷つけてしまったりする。
愛しているのに。

悲しいことなんだな、と思う。
(もちろん色んな人がいるし、シャレになく精神異常な人もいると思うけど…)


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ロリコンとかも、
今まで「気持ち悪いなぁ」としか思わなかったんだけど
本当にどうにも子供しか愛せないって人は、報われなくてつらいんだなぁって。
(色んな人がいると思うけど…)

ロリコンからゲイに転換した臨光さんのセリフ、

「男は好きになったよ、君のことは愛している。
 だけど、先に陽菜に出会ってしまったんだ」

切なすぎて泣く…

そして衝撃にも似たような気持ちだった、
性癖を変えても、自分の中に一度芽生えた「恋」という気持ちは、なくならないんだって。

恋って、本当なんなんだろう、
まるで物質みたいに、自分の中に残り続ける。
「感情」は気分で変わったりするけれど、
「恋」って気持ちは、気分に関係なく、実るか諦めるかするまで、ずっとずっと、自分の中にあり続けてる。
本当に、物質が埋め込まれてるみたいに。

「恋」=「主観による思い込み」だと思うけど、
つらいのにそこまで思い込めるって、なんなんだろうな。厄介だよほんと。



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カニバリストって愛し方はまったくもって異常だなぁと思うけれど、
「好きすぎて相手を自分の一部として取り込みたい」っていうのは
少なからず分からんではないのかも… と思う。
その人の性格、才能、声、身体、手にしているもの全てが愛おしくて、

私はあくまでノーマルだから(概ね多分)、
身体を繋げるとか、
相手が自分を一番好きだと言ってくれる とか、
そういうことで満たされるのだろうけど、

「好きな人とひとつになりたい」ってよく言う表現の、
究極的にひとつになるのが、相手を食べるということ… う─────ん… いやー、無理…。



そういえば、っていっこ思い出したのが、
私はすごい好きな音楽で、この「取り込みたい欲求」に やるせなくなることがある。

人とだったら身体を繋げることが出来るけど、
音楽っていう、実態も意思も存在しない相手に対してはどうしたらいいんだろう…と
行き場のない気持ちになることがあります。
決して音楽に性的興奮をしてるわけではないのだけど…
けど好きすぎて、なんとかしてひとつになりたいなぁって、思ってしまうのです。



* * * * * * * * * * *

たくさん色々混乱するなか、
一番疑問に感じたのは

「どうしてセクシャルマイノリティを、”怖い”と感じるのか」

『性癖』で検索かけてみると、
まぁいろんなものがありまして…気持ちが悪くなってしまい…

やっぱり “恐怖” を感じてしまうんだよね。

どうして「性」ってこんなにも、いろんな意味で特別なんだろう。
3大欲求の中で「性欲」だけが特別扱いみたいだよね?

「睡眠」と「食」は普通の行動なのに、
「性」だけが、年齢規制されたり、人に見せる物じゃないとか、神聖だとか不浄だとか言って隔離される。
どれも同じ本能なのに、何が違うんだろう。


・命に関わることだからなのかな。
性行為は、世界に新たな命を1つ増やす 責任の重い行為だから、
「使用上の注意をよく読み用法容量を守って正しくお使いください」的な?

・他人が関わることだからなのかな。
自分が何を食べようが、どこでどう寝ようが個人だけで完結するけど、
性だけは、他人がいて成立することだから、
自分と違う、理解のできない感覚の人を見ると、
「自分に接触されたとき」のことを想像して、恐怖を感じるのかな。
「未知」「分からない」って恐怖だものね。

・ものすごい「快楽」を伴ったものだからなのかな。
「快楽」は「堕落」に繋がる、
堕落は国を発展させない。
発展しない国は、やがて滅んでしまう。
それを阻止するために、規制をかける。
そうして社会が、「正しい性のありかたはコレです」って概念を植え付ける。
子孫繁栄の本能も手伝って、大概の人は「ノーマル」に育つ。
そしてそこに属せない性質・感覚を持ってしまった人は、
「アブノーマル」「セクシャルマイノリティ」として分類されて生きづらくなってしまう。

…とかそういう感じでしょうか…。



* * * * * * * * * * *

ところでホモセクシャル役のセキュリティ木村さんの存在が、
このアブノーマルな世界と自分たちの世界の、いい架け橋になっていた。

ホモセクシャルって、いろんなマイノリティの中でも比較的身近だし、
ノーマルに転換手術し終えたときの、

「世界が違って見えるよ!
 初めて女とSEXしてさぁ、「あーこの穴に入れるために男と女はあるんだー!」ってすげー自然だったよ!
 そう思うと、男同士って不自然だったよなぁ!」

ってセリフに、普通に共感。安心できるほど共感。
始終重いお話の中で、唯一ほっこりしたシーンだと思う(笑)

「ノーマルのやつにこういうこと言われて傷つく」
って内容も、「そうなんだ…気をつけよう」って思いました。

臨光さんへの口説き文句、恋の始まり方も、すごく自然な感じで、聞いていてドキドキしたなぁ。



* * * * * * * * * * *

そろそろまとめに向かう!!(> <)


◆タイトル入ったときの音楽と映像、カッコよすぎて泣いた。

◆全てのマイノリティに関連した歴史的絵画が後ろに映し出される演出、すごいよかったなぁー。
誰しも見たことがある普通の絵画に、「これで自分は背徳感を感じた」ってすることで
マイノリティの人の感覚を、少しでも受け取れたような気がします。

◆ともちゃんの3つの衣装がどれもすっごい可愛くて!
ていうかともちゃんが可愛すぎて…相手役のk.a.n.a羨ましい。
レズの世界に誘われるときの戸惑った表情や、潤んだ瞳がたまらなかった。

◆7人全員、本当に世の中に存在してるんじゃないかって思うほど役がハマってた。
何回か噛んだりしていたけど、むしろそれが現実味を帯びていて(日常会話だって普通に噛むもの)自然に観られたなぁ。
というか、役者さんが噛んだときって普通「あ、噛んだ」って集中力がそこで途切れてしまうんだけど、
それを現実感にまで魅せられる演技力が本当みんなすごいなぁって思う。

◆k.a.n.aの、千秋楽パワーが最後すごかったなぁ。
「愛してる」って言葉じゃ、伝えきれないほどの愛。
色とりどりで鮮やかな「愛してる」だった。
何度も何度も、強く打ち寄せてくるその言葉に涙が止まらなかった。
…一番最後怖かったけど…

最後の最後まで、最高の脚本です竹さん。



竹林 林重郎のブログより写真拝借です!
素敵なみなさん◎




自分の人生に このお芝居を体験する時間があって本当によかった、
全人類に観てほしいと思うくらいの素晴らしい作品でした。


次回作は、9月28日~10月2日!
同じくKID AILACK ART HALLにて
『ハートシトロンメランコリックカフェ』

可愛らしいタイトルだなぁ、どんなお話になるんだろう、わくわくです!


日常をあまりに美しく切り取るその写真で、Instagramのフォロワー数が芸能人並み…という秋本翼さん
もうほんとすごい好きで。
好き過ぎてその人自身になってしまいたいと思うベスト3の1人(笑)

写真展、『幸せから 少しだけ 遠くで 生きる』
昨年と同じ場所、西荻窪「Sajilo Clove」にて。3月半ばに行ってきました。




昨年は桜の写真だったなぁ。


写真の空気と、添えられている言葉が
あまりに透明で切なくて、涙が止まらなくなる。


『何かを成し遂げることばかりを
 「幸せ」と呼ぶならば、
 その過程のことをぼくはなんて呼ぼう』






「幸せから 少しだけ 遠くで 生きる」

展示のタイトルは、少し悲しく聞こえるかもしれないけど、そうじゃなくて、 って。
入り口にあった、今回の展示への言葉。


「この東京という街には、たくさんのひとがやって来る。

 大学に入るため、新しい仕事に就くため、自分の夢をさがしたり追いかけたりするため。

 成功もすれば挫折だってする。

 ぼくの仲間でも、志半ばでふるさとへ帰った友人もいた。



 でもね、結果はきっと中途半端だったんだけど、

 みなで集まって夜中の公園でふざけて走り回ったことや、

 布団に横たわって、それぞれの夢を語り、目指した日々、

 どれもきっと「幸せ」と呼ぶんだと思う。



 求めていたそれからは少し遠くても、

 いろんな幸せの形があることをぼくはちゃんと感じていたいし、

 この個展を見てくれたあなたが、少しでもたくさんの幸せを、

 日常から拾い上げてくれたらうれしいと、そう思う。



 あなたの頭の中にある、「その」幸せから、少しだけ遠い場所で生きる。

 それがたとえ、小さくても、貧しくても、胸を張ってみれば、
 幸せと呼べるんじゃないだろうか。」




東京で生まれた人でも、この感覚は共通なものだろうか。

私は、まさにそんな境遇だったから、本当にこの言葉が染みて。
自分も、帰ろうとしたときがあった。
仕事がなくなって、お金がなくなって、これ以上東京に一人でいられないと思った。
あそこで踏ん張れたから、今、一つの夢を叶えることができた。
だけどもしかしたら、あそこで挫折していたかもしれない。

一つの夢を叶えられたといっても、
まだまだ先はあるし、
他のまた、叶えたいこともあって、
だからやっぱりまだまだ途中で、

そうするといつだって、
「幸せから 少しだけ遠い場所」
なのかもしれない。

でも、その場所だって十分、十分に幸せだとおもう。




この人の言葉は、特別飾った言葉じゃなくて、
誰かに普通に話しかけているようで、
自分の奥の大切な場所に、スッと入ってくる。

文章は、翼さんの周りの人たちの様子、その人たちへの想いが、目の前で映像になって流れるようなほど浮かんでくる、
そしてそれはまた、たくさんの人の心の中にもある想い、きっと。

この人のすごいところはこういうところで、
あくまで、「普通の人の日常」なんだ。

「プロフェッショナル」「本格的」というのとは少し違う、
それよりももっと自分たちに近くて、でもセンスがよくて、
ただそれだけのことなのだけど、
そのうまい距離感と独特の感性で、

これだけの人たちが、この人のファンになる。

撮影も全てiPhone、
印刷はキンコーズでトレーシングペーパーにしてもらったのだって。

今の時代、誰にでも出来る手法、
高いカメラや技術なんてなくても、
それでもこれだけのことができる、
これだけたくさんの人を魅了することができる。

こういう人がいるっていうのは、なんだか希望だなぁ。




初日と最終日、2回行きました☆
1回目は一人でゆっくり(泣く。)
2回目はカナカナと。
家が近所なので、実はあんまり外でゆっくりお茶って珍しい(笑)



昼下がりの楽しい時間。優しい時間だ。

最終日はすっごい混雑で、お店の中が満員電車のように。
翼さんの人気でココは規模が小さすぎるだろうなぁと思いつつ、
「ここが好きなんです」とおしゃってました。




山口から上京してきて、そしてこの展示が終わったら、東京を去って熊本に行くのだという。
まったく知らない土地に、一人で行くって、どんな気持だろう。

そう、熊本の益城町に引っ越しされたそうで、
建物の損壊もなく、怪我もなく無事だそうですが…心配です…
平穏な日常が、一日も早く戻りますように。










haruka nakamura のライブがあるというので、
西荻窪のネパールインド料理屋さん「Sajilo Clove」に行ってきましたー。

インド料理屋さんとは思えない可愛いお店。



以前も写真展を観にここに来たことがあって。
西荻窪っていったらここのカフェしか来たことないな(笑)
あと大学生のとき、やまだないとの「西荻夫婦」がなんか好きで、
なので西荻って聞くとなんだかちょっとキュンとする。



仕事終わってけっこうギリギリに行ったのに
真ん前のめっちゃいい席空いてた。
みなさんなぜか遠慮するのよね、このステージ真ん前の席を。わーい◎






haruka nakamura と、AOKI,hayato、ゲストでsaxのARAKI Shin さんて人との3人のライブ。
haruka nakamuraを生で聴くのは初めてで、
一体どんな時間になるんだろう…と、期待しつつ、しすぎないようにしつつ、始まりを待つ。

おしとやかにざわついている店内で、フッと空気が変わる、
あぁ、空調を切ったんだな、
それまでは空調の音なんて全然気にしなかったのに、
切ってしまうと思った以上にノイズ音のなさが心地よい。



「次の瞬間にはなにが起こるかわからない、
 今この時だけを、大切に思えるような時間に」


そんな言葉を、AOKI,hayatoさんが最初にお話してくれた、印象的だった。


ゆっくりと始まる、ささやかな音、
時々外から聞こえてくる車の通り過ぎる音が、まるで波の音みたいに聞こえた。
メロディーを聴いていると、海をみているような気持ちになる。

こういう音楽を聴いていると、海を思い出すことが、多い気がする。
なんでだろう、
どっちかっていうとがっつり山育ちで、あまり海には馴染みがないのに。
もしかしたら、全ては海から産まれたって、そうなのかもしれないな、
一番奥の奥まで還るような、気持ちになって、海を思い出すのかもしれない。



もうほんと、すごかった、
ここが、世界の全てのようだった。
閉じ込められたとかここしかないとか、そういう意味じゃなくて。
この空間が、世界の全てと繋がっているような。あたたかい。
誰のことも、思い出せばすぐそばにいるような。

うまく言えないのだけど、
この暗くて柔らかい空間が、世界と等しく感じるような、感覚。
物理的には閉ざされた部屋の中で、だけどどこまでも伸びている。


これはもう、事件じゃないかと思ってしまう、
こんな小さな街の、駅から少し離れた場所にある小さなお店の中で、
ほの暗いで、こんな時間が存るということが。

すぐ外は、普段ここで生活している人たちがいつもと同じ日常の中を歩いていて、
どこかへ向かう途中の車もここを通り過ぎていって、
だけどこの、壁一枚隔てたこの小さな空間だけが、
こんなにも特別で別世界で。
パラレルワールドみたいだ。



一度、演奏の途中でAOKI,hayatoさんがステージを離れて、
けど彼の鳴らしていた音はリフレインで響き続けていて。

その音を聴きながら、
あぁ、たとえ居なくなってしまっても、
過去のことになってしまても、
死んでしまったとしても、

その人が生きた跡は、必ずなにか、残るんだな本当に って思った。

生きていれば、なにかが残るし、
何かが変わる、
人は生きているだけで、
絶えず何かに変化を与え続けているんだなぁと、実感する。

人を見てると、そう思うのだけれど、
自分なんて何処に誰になんの影響も与えないのだろうなーとか、基本思ってる。ネガティブ(笑)
そしてそういう考えって、きっと無責任なのだろうなぁ。



そんなふうに、ぼやんといろんなことを頭の中で考える。
けっこう、音楽を「聴いてる」って感じじゃないんだよね、どんな音だったとか、あんまり覚えてない。

だけどなんか、「時間」を作ってくれてるようだった。

なんというか、響いているだけで安心するような。
安心して、思考のなかでどこへでも行けるような。




音が静かに鳴り止むころ、
ちょうど外を、学生の集まりだろうか、楽しそうな声が通り過ぎていって。
少し遠くで響くはしゃぎ声も、音楽に聞こえる。
偶然にも、そんなすてきな終わり方だった。



途中からずっと泣いてしまってたしな、頭がぼわぼわ。

持ってないCD売られてたので買い!
装丁が素敵すぎる…
切なくなるこの装丁、これも音楽の一部だなぁ。


頭と胸のなかと足先がふわふわした感覚を、大事に抱えて帰宅。