劇団竹「待つなセリヌンティウス」、観ました。
竹さんの実体験を元に書かれたお話、
舞台の現場は、「故人を偲ぶ会」。
オマエ、俺のこと待つなよ。俺は長距離ランナーじゃない
【あらすじ】
自殺で亡くなったらしいテツオ。遺族から詳しい死の真相が語られることがなく4年。
そしてテツオの実家で故人を偲ぶ会が開かれた。
参加者はテツオと生前親しかったバンド仲間や親友、片想いの相手など。
もう時効とばかりに明かされた真実。テツオの想い出話や、テツオの死を受けた後の悲喜交々。
やがてそれぞれの『自殺を止めることが出来たかもしれない』という自責の念は運命共同体を築き、奇妙な狂乱を生む。
私は身近な人が自殺した経験も、親しい人と死に別れた経験もない。
祖父母が亡くなったのも幼い頃のことだったので、
私にとってはまだ「死」というものはあまり身近でない。
だから、今回のお芝居のあらすじを見たときは、
共感できるところというのはきっとなくて、ただただフィクションみたいに、他人事みたいに、
ただただ傍観することになるかもな、なんて思っていた。
だけど、
「あと一人来るかもしれないんですけど。
それでは、ニシナテツオさんを偲ぶ会を、始めたいと思います」
その言葉で始まって、私は一気に
「舞台の傍観者」ではなく、「テツオさんの死を偲ぶ会の参加者」になった。
見ず知らずの、「テツオ」という人のこと。
その人が、どういう人だったのか、
誰にとってどんな存在で、その人にとっての一番強い思い出はなんだったんだろうって、
一人一人の話を聞くのがすっごく楽しみで、
普通に話を聞いて、笑ったり、驚いたり、うなずいたり、泣いたりしてた。何度も泣いた。
中学のとき好きだった人の家族、
高校のときの友達、
大学のときの片思いの相手、
音楽活動を初めてからの仲間、
通っていたお店の女の子、
彼に憧れて劇団を立ち上げたという人、
相手やシチュエーションが違えば、見せる自分っていうのはそれぞれ違うもんで、
まして時間が違えば、本当にたくさんの別の顔があって。
たくさんの人の口から、一人の人間のいろんな人物像が語られて、
だけどその中でも、やっぱりその人らしさみたいな、一本の軸みたいなものが見える。なんかそれが見えた瞬間って、すごく愛おしい気持ちになる。
私は、テツオさんのことを知らない。
そして、ケイコちゃんのことも知らない。
まったく交わることなく、遠い場所で、私の知らない場所で、自ら死んでいった誰か。
だけど、たくさんの口から語られて知る、
「そういう人がいたんだ。」
「誰かにとって大切な人が、この世界に確かに生きていて、今はいなくて、
それを悲しむ人が、もしくは思い出にしている人が、確かに存在しているんだ」
それが、お芝居という、こういうかたちで、
もう死んでしまって知りようもない人のことが、こうして伝わる。
それは、ものすごい出来事のように感じた。
死んでしまったら、もう二度と会えない。
過ぎていってしまった時間は、二度と戻らない。
だけどこうして、誰かが生きていたということを、伝えていくことはできる。
伝えていくこと。忘れないでいること。
竹さんのこういう表現の仕方生き方に、純粋に、心が震える。
「表現」を人生にしている人の意味目的は、人それぞれにあると思うけど、
竹さんのは、好き嫌いとかそういう感情めいたレイヤーじゃなく、ただただ心が震えるんだ。
終わったときは、
「えっ、これで終わり?? 竹さん今回ちょっと脚本短くないー?もう一展開くらいあるでしょー!」
って思って、体感的には40~50分くらいかと思って時計を見たら、1時間半経ってて本気でびっくりした。
席を立とうとしたけれど、身体がどうしても動かなくて、頭も真っ白になって、
ただただ涙が止まらなかった。
なんか、感動したとか悲しいとかハッキリとした理由も分からず、
何なら胸が痛んでるわけでもないのに、本当に、ただ自分の内側から、涙があふれてあふれてきた。
私には偲ぶような故人もいないのに、なんでこのお話でこんなに泣いてしまうんだろうって出演者のk.a.n.aに話したら、
「死っていう喪失だけじゃなくても、大切なものを失うっていう悲しさは、誰しも持ってると思う」
って言ってくれて、あぁそうかぁってストンと落ちた。
自分が今まで生きていて、コツコツと蓄積されていった、悲しいと思ったこと、感じた出来事が、
自分の身体の中のあちこちに今でも残っていて、
それらが反応して、震えて、振動しているかんじだ。
だけどあぁもう、本当に、悲しいって気持ちと同じくらい「愛おしい」って気持ちが溢れてくるの、
それはひとえに役者さんたちのちからがすごくて。
一人が話をしているときに、後ろで相づちを打つそのあまりに自然な感じだったり、
(これのおかげもあって、よけいに自分もこの会の参加者だなぁって思えた。
小さく吹き出す感じとか、目線の動きとか本当に細やかで、
そういうのが感じ取れる距離感の劇場でよかったなぁ合ってたなぁって思う)
メロスのパロディのお話がホントに面白かったり、
海辺に並んで座ってるときに、キラキラした海の音が聞こえるようだったり、
キャバクラの女の子のテツオさんのモノマネが秀逸だったり
(唯一生きているテツオさんが出てきてるシーンだったよね)
ヨリネちゃんの失恋エピソードは何回聞いても自分事のように憤慨するし悲しいし、
何気に一番共感したのは「鬱ってことをバレないように生活してた」ってくだりだったり…
どのシーンを切り取っても好き、って思える。
好きな言葉もいっぱいある。
本当に、不思議な舞台だった。
今までいろんなお芝居を観てきて、「○○系だとこれが一番好きかなー」みたいなのはあるのだけど、
今回のお話は、そのどれにも属さないというか、
お芝居を観たっていう感覚じゃないのかもしれない。
すごく日常のようで、自分の人生にこういう時間がありました、っていう感じの。
“演技”じゃなかったからなんだろうな。
出演者の結美子ちゃんのブログに書かれていた竹さんの言葉、
台詞を噛むなんて論外とか
散々言ってきたのに、
こんなこと言うのもなんだけど。
もし噛んでしまったり、
台本を5行とかすっ飛ばして
辻褄合わなくなってしまったとしても、
心だけはずっと途切らせずに
そこにいてください。
それさえ守ってくれていたら
たとえ何があったとしても、
どんなこと言われたとしても、
僕だけは味方でいますから。
あぁだからだぁ、と思う。
ここまでしてくれる竹さんに出会えたことが、
テツオさんやケイコちゃんにとっての、人生最大の幸運なんじゃないかと、勝手に思ったりする。
劇団竹 竹林林重郎さんのブログもここにリンクしておこうっと。
画像もありです。







































