未熟なミニトマト。

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先日、春から粘りついていた目に見えない何かに終止符を打った。

いままで、人とぶつかることを恐れて他人の意見に口を出したり、自分の意見を強要しないようにしてきた。逃げてきた。

ぶつかるよりも、自分の意見は自分の内に秘め、他人がやっていることと比べて少し安心をするというような、自己犠牲かつ自己中心的な他人を非難する生き方を見つけてしまったのだ。逃げ場を見つけたのだ。


しかし春から粘りついていたアレは、そんな逃げ場などわたしには与えず、ただひたすら身にまとわりついてきた。振り払ってもどこかについている。気づいたら侵食されていた。


でも、春から夏、そして秋になるにつれて、人とぶつかり合ったり、人の意見を聞き入れて自分で考えたり、踏み入れたことのない境界へ足を出し、それまで知らなかった世界を見た。自分の小ささを思い知った。


どんなに困難が続いても、やがてそれには終止符を打つ。打たねばならぬ。それには時間が必要かつ重要で、そのやり繰りが難しい。


昨夜、わたしはその粘りに終止符を打った。自分たちの理想が春に思い描いていたものとは同じでも違くとも、わたしは大好きな人たちが笑顔で夜を過ごしている姿を見て、「あぁ、幸せだ。」と終止符を、打ったのだ。


この経験を無駄にせずわたしはわたしのペースで生きていく。もっと気楽に生きろとよく言われるが、その気楽がわたしにはまだ曖昧で、模索したい。そう思わせてくれる環境や人間や時間が必ずきっとどこかにあるからだ。

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クラゲが、神秘的に、感じた。