生きてる

それってすごく意味のあること

とは思いつつも

昔はタイトルほどはそこまで思ってなかったけれど、


やっぱり生きて、そして身体が動くから
私はとことん幸せだと思う。


事故当時、時速にすると50マイル=80km の車に衝突されました。

私は100パウンドくらいの生身の人間。
帽子はかぶっていたのかな。
夏の薄い格好で足はサンダル

ぶっ飛ばされて、どうやら頭部から着地。

だから頭蓋骨は折れました。顔の骨と、鎖骨、背骨のどこかも。


手術により頭と顔の骨は修復され、MRIを撮ったところ
脳への後遺症はなし。すごく幸いキラキラ

顔は、感覚がおかしかったのもだいぶよくなってきました。

目が開かないのは、筋肉が切れたようです。
他にも神経が動き出すのが、半年から1年の間で考えられるそうで、今は待っています。

背中の骨折部分は、転院した病院で言われて
私は自覚がないうちに治っていたらしい(ラッキーw)

そして、鎖骨骨折
先週で診察が終わりましたー!!

リハビリも終わり、診察も終わり

私を転院に受け入れてくれた病院には通院が終わりました。

これで一段落グー

私は帰国前に、大学病院で受け入れてもらうことはできませんでした。
この病院が応じてくれなければ、転院先が決まらず帰国できなかったので
本当に感謝してもしきれません。

リハビリでも優しく対応していただきました。

本当にありがとうございましたぺこり


さっき心臓に関するニュースでシェアしてるのを見かけて(私のではないけど)

『生きている間ずっと動いてる心臓』


と書いてるのを見て、

それが当たり前だと思ってたし、普通は違和感をかんじることもないのでしょうが...汗


私、止まったこともあるんだそうです心臓...

生きてる間にね、止まったけどまた動いた


って、、、
やっぱり奇跡的なことなのでしょう。


私すごいな!
とは、思わないけれど

そもそも車に撥ねられたのは自分が悪いんだから

(自業自得なのです)


本当に、こうして生きれて良かった。

もうそれしかない。


親も、病院で私の生命が助かったのがわかった時点では、

こうしてずっと植物状態か、起き上がれても要介護生活か

覚悟したといいます。

目が覚めてから、
(この頃のことは記憶がありませんが)

病院で歩き始めたときは母と看護師で両腕を持ったそうです。

ふらふらはしていたけど、私は自力で歩いたから、

「歩けるんだ!」と思ったと言います。


それから、私は「歩く!歩く!」と騒いでたらしいですけど

記憶なし。

病室にジッとしてるのがやだったのかなぁ?謎。


ナースアシスタントが必ず連いて
記憶がある頃は、なぜか起きているときは彼女、彼らが

「歩きたい?」と私に頻繁に聞くので
しょちゅう散歩してました。

病院の庭で鳩が歩いてて全然逃げないので
よく歩いて追いかけたりして(笑)

なんでかな~と思ってました。。。そもそも自分でしてたことを覚えてないという不思議



今、普通に歩けています。

動いています。

生活に不自由することは全くありません。

「本当に幸運だったね」

と、みんなみんな言います。


そのとおりですもんね。私だってそう思います。



あ、で、

なぜに病院でのことをこんなに書いちゃったかというと

落ち込んだときには
「こうして生きてるんだから、それだけでも幸せなんだから贅沢言わないの!」

と前向きになるためにも自分の現状理解のために、病院のことよく思い出すのです。

病院は、ナースアシスタントはいっぱいいて、みんな親切なんだけれど性格色々で
優しい人もいれば、、この人怖いからおとなしくしてよ~って思うこともあったり(笑)

半月くらいしか記憶はないですけど、
なかなか楽しくいい思い出です。

私を心配してくれた人たちの思いとまるでウラハラに

案外本人は入院楽しんでたなんて、、、すみません汗

退院のとき、みんなが本当に喜んでくれた。

お医者さんも、ナースもICUの方たちがたくさん病室に来て、挨拶してくれて

私は全然覚えてない人の方が多かったけど(…)

これだけお世話になったってこと。

命、大切にしないといけません!


そして、落ち込んだとき、って言葉を書いたように
落ち込むこともあるんだなぁ

そりゃあ人間だもの。

今回、本当はそれ書こうとしてじゅーぶん長くなっちゃったよう!

明日は朝早いのでもう寝ないとかん怒汗
ということで、ここらへんで。

中途半端にすみません汗2汗2

あ、結果、前向きになっていますのでご心配なく手。