改めてなぜ今、武士道なのか?
年も変わったので再度、それについて書こうと思う。
それは大学四年の事。私の稽古している武道のスペイン遠征の途中、
夕食パーティーでホームスティなどでお世話になった夫婦と話をしていた際に
宗教の話になった。彼らはキリシタン。
「日本人は宗教教育無しにどうやって子供に道徳心を教えるのか?」
と聞かれ、僕は
「他の家庭はわからないけど僕は武道を通して武士道精神から学んだ」
みたいな感じで答えた。
えらく背伸びをした答え。バイブルは無い。
自分に子供が生まれ、子育てにあたり改めて
「武士道教育、日本人らしさ」
を少しずつ調べた。そしてあることを思うようになった。
「日本人はある意味、世界一危険な民族なのかもしれない…。」
元々、武士道とは聖書のようなバイブルのようなものは無い。
なぜなら武士という侍集団を統率するために様々な形で受け継がれ変容をしてきたものだからかと思う。
大きな影響を受けているのは「儒教」である。
そして五常五倫の教えを重視していた。
以前にもブログには書いたけれど
五常とは
「義、仁、礼、智、信」
義
自分自身の打算や損得から離れた正しい行い。
仁
思いやりの心
礼
社会の秩序のための礼節
智
学問に励み、正しい善悪を判断する力を身に付けること
信
約束を守る。嘘をつかない。
五倫
1.父子の親
父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
2.君臣の義
君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
3.夫婦の別
夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
4.長幼の序
年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
5.朋友の信
友は互いに信頼の情で結ばれなくてはならない。
これが「五倫」。
日常生活で自然に身に付くことであり、人として大切にしなければならないこと。
昔はこれを教育としてはっきりと教えていた。
会津教学などがそうである。
しかしながらある時期を境に日本人は武士道的な教育をやめてしまう。
正しくは止めさせられてしまう。
日本という国は世界の中でも変わった国である。まず島国であるため独自の文化を築いてきた。また他のアジアの国とは違い、植民地支配されたことがない。
そんな小さな島国は鎖国を続けていたが幕末に開国をした。
弱った江戸幕府を軍事力によって脅して植民地支配を企んだ欧米諸国だったが明治維新により阻止され、その後、世界からは「日本は負ける」と思われていた日清戦争や日露戦争にも勝ってしまい、日本は領土を広げた。そして第二次世界対戦へ…
領土を広げた日本だったが国力が遥かに優る欧米諸国に勝てず敗戦をする。
小さな島国は最大でパプア・ニューギニアあたりまで支配し、まさに大日本帝国となる。
そして敗戦、GHQの指示により日本はガラリと変わる。
戦後、武道禁止令という命令で武道は禁止される。そして思想的な教育も排除される。
幕末の武士、佐久間象山は「学問に道と芸あり」といったという。
「道」とは「人の道…哲学や思想学など」をいう。
「芸」とは生活したり働くための習い事をいう。
今の「芸」中心に学ぶ教育システムは高度成長時には学歴社会をうみ、人々は利己主義、利益主義になった。ある程度、国全体が裕福になったら平等という名の衰退化を招いている。
今の競争しない教育で学力が伸びるわけがない。
成績表には5段階数字はなくなっている。はっきりと評価をされない。
そしてその甘えの中で個人の権利、プライバシーを主張し、個人の自由は自分勝手という考えに変わる。
日本人思想の学校教育の禁止。
そのような教育では愛国心など生まれるわけもなく、国家斉唱を拒否する教師まで出る。
今の僕たちの祖父母あたりはその波に巻き込まれ、親たちはすでに現代教育の先駆け。第三世代の僕たちはどっぷり漬かり…。
日本人らしさを失った日本はこのままでは道徳の無い民族になってしまう。
親が幼い我が子を虐待し殺してしまう時代。
死んだ親を放置し、年金をだまし受けとる子供。
親が親になれていない。もしくは過保護なのである。
学校で「五常五倫」を教えることは今のままでは、まず無い
なぜならある種の宗教思想だから。
僕は宗教は悪いものだとは思っていない。
キリストもイスラムもヒンドゥーもユダヤも仏教もみんな、一応平和を願っている。そして人々がうまく暮らしていけるように教えを説いている。人を傷つけたり迷惑かけなきゃ問題は無いと思う。
もし仮に武士道思想の教育を学校でしようとしたら世界から日本国内から批判を浴びると思う。
世界を脅かした教育手法でもあるからだ。
間違った方向にさえ向かなければ問題ないのだけど…
歴史は繰り返されるのならば時は来ているのかもしれない。
親が教えなければ誰が教えるのか?という時代になりつつあると思う。
20年後に
「背伸びした文章だな」
と笑えることを願う。
少なくとも息子たちは成人している。
武士道を考える。それは日本の道徳教育を考えることであり
自分自身の道徳心と子育ての道を考えること。
これから社会の中心になり、親となる僕たちに世代に課せられたモノは大きい。
年も変わったので再度、それについて書こうと思う。
それは大学四年の事。私の稽古している武道のスペイン遠征の途中、
夕食パーティーでホームスティなどでお世話になった夫婦と話をしていた際に
宗教の話になった。彼らはキリシタン。
「日本人は宗教教育無しにどうやって子供に道徳心を教えるのか?」
と聞かれ、僕は
「他の家庭はわからないけど僕は武道を通して武士道精神から学んだ」
みたいな感じで答えた。
えらく背伸びをした答え。バイブルは無い。
自分に子供が生まれ、子育てにあたり改めて
「武士道教育、日本人らしさ」
を少しずつ調べた。そしてあることを思うようになった。
「日本人はある意味、世界一危険な民族なのかもしれない…。」
元々、武士道とは聖書のようなバイブルのようなものは無い。
なぜなら武士という侍集団を統率するために様々な形で受け継がれ変容をしてきたものだからかと思う。
大きな影響を受けているのは「儒教」である。
そして五常五倫の教えを重視していた。
以前にもブログには書いたけれど
五常とは
「義、仁、礼、智、信」
義
自分自身の打算や損得から離れた正しい行い。
仁
思いやりの心
礼
社会の秩序のための礼節
智
学問に励み、正しい善悪を判断する力を身に付けること
信
約束を守る。嘘をつかない。
五倫
1.父子の親
父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
2.君臣の義
君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
3.夫婦の別
夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
4.長幼の序
年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
5.朋友の信
友は互いに信頼の情で結ばれなくてはならない。
これが「五倫」。
日常生活で自然に身に付くことであり、人として大切にしなければならないこと。
昔はこれを教育としてはっきりと教えていた。
会津教学などがそうである。
しかしながらある時期を境に日本人は武士道的な教育をやめてしまう。
正しくは止めさせられてしまう。
日本という国は世界の中でも変わった国である。まず島国であるため独自の文化を築いてきた。また他のアジアの国とは違い、植民地支配されたことがない。
そんな小さな島国は鎖国を続けていたが幕末に開国をした。
弱った江戸幕府を軍事力によって脅して植民地支配を企んだ欧米諸国だったが明治維新により阻止され、その後、世界からは「日本は負ける」と思われていた日清戦争や日露戦争にも勝ってしまい、日本は領土を広げた。そして第二次世界対戦へ…
領土を広げた日本だったが国力が遥かに優る欧米諸国に勝てず敗戦をする。
小さな島国は最大でパプア・ニューギニアあたりまで支配し、まさに大日本帝国となる。
そして敗戦、GHQの指示により日本はガラリと変わる。
戦後、武道禁止令という命令で武道は禁止される。そして思想的な教育も排除される。
幕末の武士、佐久間象山は「学問に道と芸あり」といったという。
「道」とは「人の道…哲学や思想学など」をいう。
「芸」とは生活したり働くための習い事をいう。
今の「芸」中心に学ぶ教育システムは高度成長時には学歴社会をうみ、人々は利己主義、利益主義になった。ある程度、国全体が裕福になったら平等という名の衰退化を招いている。
今の競争しない教育で学力が伸びるわけがない。
成績表には5段階数字はなくなっている。はっきりと評価をされない。
そしてその甘えの中で個人の権利、プライバシーを主張し、個人の自由は自分勝手という考えに変わる。
日本人思想の学校教育の禁止。
そのような教育では愛国心など生まれるわけもなく、国家斉唱を拒否する教師まで出る。
今の僕たちの祖父母あたりはその波に巻き込まれ、親たちはすでに現代教育の先駆け。第三世代の僕たちはどっぷり漬かり…。
日本人らしさを失った日本はこのままでは道徳の無い民族になってしまう。
親が幼い我が子を虐待し殺してしまう時代。
死んだ親を放置し、年金をだまし受けとる子供。
親が親になれていない。もしくは過保護なのである。
学校で「五常五倫」を教えることは今のままでは、まず無い
なぜならある種の宗教思想だから。
僕は宗教は悪いものだとは思っていない。
キリストもイスラムもヒンドゥーもユダヤも仏教もみんな、一応平和を願っている。そして人々がうまく暮らしていけるように教えを説いている。人を傷つけたり迷惑かけなきゃ問題は無いと思う。
もし仮に武士道思想の教育を学校でしようとしたら世界から日本国内から批判を浴びると思う。
世界を脅かした教育手法でもあるからだ。
間違った方向にさえ向かなければ問題ないのだけど…
歴史は繰り返されるのならば時は来ているのかもしれない。
親が教えなければ誰が教えるのか?という時代になりつつあると思う。
20年後に
「背伸びした文章だな」
と笑えることを願う。
少なくとも息子たちは成人している。
武士道を考える。それは日本の道徳教育を考えることであり
自分自身の道徳心と子育ての道を考えること。
これから社会の中心になり、親となる僕たちに世代に課せられたモノは大きい。