たまたまサイコパスについて調べていた結果、ブログにたどり着く。
私は小学校、中学校、高校とすごく生きづらかった自覚がある。
不思議な程、鮮明に覚えている。
多数派の人間(カースト中・上位勢)との接し方やノリが分かってきたころのこと。(これを習得するまでの間は人間関係に結構苦労した)
私は共感能力が乏しい割に口達者でユーモア重視なところがあったため、友達(の質)には恵まれていた。
それでも、人間関係において浮き沈みの激しい日々だった。クラスの人気者になったと思いきや、カースト最底辺の嫌われ者になったり。
小学校5年生で何度目かも分からないカースト底辺を経験し、すっかり自己卑下に忙しくしていた頃、6年生に進学。
そこは、言わば「本物のリア充」の多いクラスだった。カーストなんてものは無いに等しく、皆が平等であることを望んでいるかのようなレベルの高いクラスだった。(しかし、学年120人程度の小学校で周囲の人間レベルが突然に上がることは考えられず、私自身が周りのレベルに追いついたと考えるのが妥当かもしれない)
とにかく、私は6年生のクラスでとても楽しく過ごした。クラスが違う時は眺めていることしか出来なかったレベルの高い人達との交流に喜びを感じた。
そして、その人達と楽しく会話したり、遊んだりしている時に切実に感じたことがあった。
それは、
「私は誰よりも普通だ。」
こう思い、とても満足したのを覚えている。
今思えば、この感情についてより追求すべきだったと思う。当時の私は、自分が他の人と違うなどと思ったことは1度もなかったはずだ。そもそも、他人の目をほとんど気にしない性格であったが故に、当時に限り他人と自分を比較していた覚えはない。(もし他人と自己の比較がきちんと出来ていたのならば、最低限の勉強や努力はしていたはずなのだから)
であるのに、「自分は普通だ。」と喜んでいることは「自分は普通ではないのかもしれない」という不安があったことを表している。
私は小学生の頃から既に、無意識下では自覚していたということになる。今のあらゆる自己要素は、抗いようのない運命であったと確認した。
脳みそが疲れたので
続きは別の機会に。(。ᵕᴗᵕ。)"